Little Store Blues

Jimmy Rogers


2004-03-17 WED.
一昨日の Othum Brown にひき続き Chicago Boogie( Barrelhouse bh-04 あるいは P-Vine PCD-1888「シカゴ・ブルースの誕生 1947」)から、今度はほんまもんの(たぶん、ね) Jimmy Rogers のナンバーでございます。

Gotta little Whisky, gotta lil' Gin・・・
と始まるあたり、さすが Sloppy Drunk の Jimmy Rogers だわい、とヘンな感心をしちゃいますが、Little Walter のハープと自分のギターだけ、っちゅうシンプルな構成ながら、なかなかスキの無い濃密な音世界を生み出していますね。
ここら、 Maxwell Street で、ともすると無造作に流れていってしまいがちな聴衆の脚を止めさせるための「のべつまくなし」感もございますか、それでも腰が重くない、軽快なキレの良さを失わないとこがさすが、でございます。

彼の有名なナンバーである Chicago Bound(と言ってもオリジナルは Memphis Slim らしいのですが)にあるとおり、徐々に北上して Chicago にたどりついたもののようですが、Jimmy Rogers こと James A. Lane(ミドル・ネームの A が Arthur とゆう説もある)は 1924年 6 月 3 日( 13日としている資料もありますが)、Mississippi 州の Ruleville で生まれています。
どうやら独習でハープとギターを覚えたらしいのですが、インタビューでまずどんな音楽を聴き始めたのか?という質問に対し、 はっきりとは覚えていないが、それほどブルース一辺倒ではなかったように思う。でも、最初に聴いたブルースとしては Lonnie Johnson じゃないかなあ。と答えています。地理的にもデルタ周辺の音楽を充分に享受できる場所にいたワケですから、かなり広範囲のミュージシャンの音を耳にして来たことでしょう。
Bessie Smith はレコードで聴いてたよ。 Lonnie Johnson の次は Roosevelt Sykes あたりかな、そのあたりからは Tampa Red、Big Maceo、Big Bill Broonzy、Bukkah White と、どんどん広がって行った。で、たまーに Robert Johnson も聴いたけど、彼に直接会ったことは無いんだ。レコードでだけね。
そして、誰に影響されたか、あるいは Jimmy Rogers にとっての「憧れ」の対象は?という問いに、う〜ん、やはり Robert Johnson かな。ついに会うことは出来なかったけど・・・他には Big Bill Broonzy だね。そして Memphis Minnie だろ、Tampa Red に Big Maceo もさ。だそうですから、やはりその辺の音が彼にはかなり影響を与えていたもののようです。

ところで、生まれたときには James A. Lane だったのですが、(そこら彼自身が詳しく語っているワケじゃないので「推測」に過ぎませんが)おそらく母の再婚した相手の苗字から James Rogers、愛称 Jimmy Rogers となったもののようですが、おかげでカントリー系のシンガーのジミー・ロジャースとよく混同されたり(書くと Jimmie Rodgers とスペルが違うんですけど)もしたようです。
どうやら十代のころにはハウス・パーテイなどで演奏をするようになっていたらしいのですが、Chicago Bound そのままの北上、ってことに関し、ある資料では「十代の終わり近く、彼は Helena に移り、さらに Memphis では Robert Nighthawk やロックウッドと一緒に演奏し、次いで St. Louis に移って 1947 年に Chicago へ行くまで、Sunnyland Slim と一緒にやっていた。」としてるものがありましたが、多くの資料では彼の Chicago 入りを 1939年としており、ま、本人の言だからゼッタイ!と言い切れないってのがブルース界のジョーシキではございますが、インタビューでも 1938年か 1939年だと思う。と発言されておられますのじゃ。
それに 1947年ったらこの Ora Nelle に吹きこまれた年じゃないの。来ていきなりスグに Little Walter と、こんだけスキの無い音を作り上げたってのはムリがあるっしょ。やはり大勢が支持する 1939年説の方が整合性が高いんちゃう?

そして 1940年か 1941年、Chicago で職についていた彼は同じ職場で Dan Jones という男と知りあったのですが、そのいとこが南部から出て来るんで職や住むとこを手配してやんなくちゃってのがあったそうなんですが、その「おのぼりさん」こそが彼と密接な関わりを持つことになるマディだったんですねえ。
マディと組むようになってからのことはみなさまのほーがよくご存知でしょうから、そこらスっトバさせていただいて、と。
1960年代にはどうやら音楽とは少し距離をおいていたようでタクシー会社をやってみたり、また衣料を扱う店を開いたりもしていたようですが、その店は 1968年の Martin Luther King 師が暗殺されたことによって起きた Chicago の暴動の際、全焼してしまいました。それが彼をしてふたたび音楽に本腰を入れさせる原因となった、としている資料もあります。

この Little Store Blues はマディと会った後、でも本格的にバンドに参加する前、まだ Maxwell Street あたりをたむろしてた時期の録音ということになります。
同地区はすでに取り壊されてしまったようですが、かっての Ora Nelle Records だった Abrams Music の角をまわったとこ、Heritage Bluesbus Music の中に出来た(なんて「見てきたような」書きっぷりですが、もちろんワタクシ行ったことはございません)Maxwell Street Museum には、Jimmy Rogers を記念した特別展示がなされておるハズでございます。

1997年12月19日、Jimmy Rogers は結腸部の癌と気腫によって Chicago の Holy Cross Hospital で死亡しました。妻 Dorothy との間に、息子 Jimmy D. Lane、Willie Lane、James Lane、そして娘、Angela、Jacalyn、Maryland、Debra に Vera、そして 17人の孫という家族を残して。でも息子に Jimmy と James って・・・紛らわしくない?
あ、死の一週間前にはその Jimmy D. Lane のギターと一緒に Atlantic に最後の吹きこみをしています。Atlantic AMCY-2959 Jimmy Rogers All Stars : Blues Blues Blues ね。
なんだかとっても嬉しそうに Gibson ES-355 TD "Lucille"( 1フレットにカポ!)を弾く彼の画像が印象的です。
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