Strokin'

Screamin' Jay Hawkins


2004-03-24 WED.
やや過渡的なスタイルながら 16 ビートを叩き出す Rik Shannon のドラム(ちょっとドタバタ気味?)に Michael Keneally のギターがファンキーなリズムを絡ませ始める。Mark Goldberg のベースはまだ(まだ?)チョッパー系にはなってないけど、それでも音切れの良いリフを乗せて、独特な密度で曲は動き始めます。
そしてそして、S.J.H. が I've been strokin' !と入って来て⋯いきなり

Strokin' to the East, I'm strokin' to the West, I'm stroking to the woman ⋯と来たもんだ。

んまあ、お下品ざますわねえ、っちゅう良識ある方々の眉をひそめるお顔が目に浮かびますが、「いえいえ、これはその、決してヤらしいイミじゃございませんで、ま、なんちゅーか、一撃を喰らわす、てなニュアンスなんでさあ」とでも言い繕っておきたいとこですが、歌が進んでくと

Did you make love, last night? Did you make love, last week? Did you make love, last Year? なんてえのが出てきますから、せっかくの言い訳も水の泡。

よく、ブルースの歌詞はダブル・ミーニングだ隠喩だ、などと言われ、スラングとしてセクシャルな意味合いを持つコトバが多く使われてる、とされております。なかにゃあ、そこにばっか注目して、なんでもかんでもそゆ方向でしか捉えないヤツがいたりしますが、でもねえ、それだけじゃないよな気がすんですよ。
むしろセクシャルなイミが隠されている、なんてえのは「ホントに隠している」白人社会や白人文化への「敵意」や「嘲笑」、あるいは、なんとか世界がひっくり返って、こいつらを這いつくばらせられないかな、という願望(?)などから注意を逸らさせる「もっともらしいエサ」だったりするんじゃないか?と感じることがあります。
もちろん、そんなこと言い出したら、どんな音楽のどんな歌詞にだって「隠れたイミ」と称して、周りが勝手な解釈を押し付けることは可能なワケで、なかにゃあ、作った本人がビックリしちゃうよな解釈も出てきちゃうかもしれません。
だもんだから「深読み」もいい加減にしないと「妄想」の域まで達っしちゃうバヤイがありますからねー。

なんていうワタクシめの「慎み(うぷぷ)」を嘲笑うかのよーに、Screamin' Jay ったら、この歌詞なんだもんなあ。
ま、ヤツにまともなブルースを期待するほーがマチガイなんでしょが、にしても、いくらそゆキャラとはいえミもフタもない⋯と、嘆くよなフリしてますが、ホントはそこが Screamin' Jay の価値(?)なのよねん。
いっつでもフザけ過ぎてるもんだから NAACP ─ National Association for the Advancement of Colored People ─全米黒人(正しくは有色人種)振興協会や CORE ─ Congress Of Racial Equality ─人種平等会議からも時として「敵視(?)」されるオトコ。
彼にとっては教育程度の低い白人たちが、黒人に対して抱いている理由無き「優越感」と、そこから来る「黒人てな、こんなもんだ」っていう、自分たちにとって都合のいい安易なイメージ、それを逆手にとって、戯画化して笑いのめすことで、その震源である「無知な白人層」を、「笑いのリンケージに組み込むことによって矮小化する」メカニズムが生成されていた、ということが出来るのではないか?なんて思ったりもするのですが、モチロンこれはワタクシ個人の主観であり、「そーに違いない!」なんて声高に主張するものではございません。

さてこの曲、なんでかキーは E♭のようでございまして、ギターの定常パターンの前半が E♭で、後半がA♭ってえ構造が一パターンとなっております。そのイミでは、ある種のワン・コード、と言えないこともございませんねえ。
このギターの音は、もろストラトのフェイズ・アウトっぽいですが、Elliot Randhall さんのヴィデオ見たら、P.R.S. でもかなりコレに近い音を出してました。あのギターはフロント PU のリア寄りの半分と、リア PU のフロント寄りの半分を合成する(シリーズとパラレルの両方が実装されてます。シリーズ接続になると、これも一種のワイド・ベースなハム・バッキングとなります)ポジションが選べ、それだと、かなりこれに近いコツコツしたタイトなトーンを出すんですよ。このポジションの存在が Gibson Les Paul などのタンジュンに F、F+R、R の三つしか選べないギターでは不可能なストラトのフェイズ・アウトっぽいトーンを生み出してくれるのでげす。・・・ってダレもそんなこたぁ尋いてないっすよね。

サイド・ギターは Bo Didley Jr. とクレジットされており、Michael Keneally とのコンビネーションはなかなかのものなのでございますが、レイナード・スキナードの『セカンド・ヘルピング』に収録されている Swamp Music ほどの「有機的な入り組み方」の域にまでは達してないですねえ。ま、こちらのほーが「クール」なぶん、インパクトもさほど強くないせいもあるのでしょうが。

この曲の収録された Black Music For White People DEMON Records FIEND CD 211 は、例の日本人らしきおねえちゃんが「日本語で」 S.J.H.に迫る怪曲、Voodoo Priestess も入ってる、好き者にはたまらないアルバムでございます。
permalink No.699

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