West Helena Blues

Roosevelt Sykes


2004-03-30 TUE.
豊かな低音域は彼の左手の力強さを表しているのでしょうか。
このテイクにはドラマー( Jump Jackson )も加わっているのですが、むしろそれ以上に、この曲の Giant's Step じみた基本リズムをつかさどっているのは Roosevelt Sykes 自身によるピアノの低音弦の「うなり」でしょう。
そこにやや高い声域のヴォーカルが軽やかに乗って、West Helena で知りあったオンナにまつわるブルースを情感もタップリと歌い上げていきます。

左手は休むことなく、しかしワン・パターンではなく下支えを続け、和音成分の少ない、装飾的なフレーズを散らした右手は「まったく別な人格を持つ」かのように独立した働きをいたしておりますよん。う〜む、やはりピアノはかくあらねば⋯
バックに専念してても、この右手一本に及ばない程度のピアノしか弾けないワタクシといたしましては、ただただかしこまって謹聴いたす次第でございます。
でも、それだけのピアノを弾きつつも、この歌の豊かな表現力はどうでしょ?
あ、こゆのに比べられると先日の Lonnie Johnson は、確かにヴォーカルがヨワい、ってことになるのかも。

この Roosevelt Sykes は 1906年 1月31日、Arkansas 州 Elmar で生まれました。しかし、彼がピアノを演奏するようになったのは Helena に出てからだ、と言われています。
15才で彼は St. Louis 周辺から各地のバレルハウスを回るようになり、その中で揺るぎない低音部や特徴のある右手のフレーズなどが鍛えられていったのではないでしょうか。
なんてエラそーなことを言うワタクシは、モチロンその足元にも及ばない「なんちゃってキーボーダー」ですから、専門の方々からは「おいっ、それはちゃうぞ!」なんてお叱りを受けることになるやもしれませんが。

その彼がレコーディングを開始したのが 1929年、Okeh での録音から、ということになります。しかるに彼はその翌年には、他のレーベルともガンガン契約しちゃうんですよねえ。
しかも、ちゃんと(ちゃんと?)そっちでは Dobby Bragg や Willie Kelly、Easy Papa Johnson なんてえ偽名を使って契約してるんですよ。
なんて悪いヤツだ!とお思いになられるやもしれませんが、ま、喰ってくためにゃあ少しでも多くリリースするっきゃないワケで、特に当時のレース・ミュージックに Okeh(にしろ他社にしろ)がそれほど大金を出してくれるワケもなく、他にも、この手を使ってたブルースマンは存在いたしますよ。

それでも 1935年に Decca に移ってからは、ミゴト彼の人気はブレイクし、しっかりしたプレゼンスをブルース界の一角に築き上げていったのでございました。
第二次世界大戦を経ても彼の人気が衰えることはなく、1943年、いわば大戦の真っ只中に、今度は Bluebird との契約を取り交わしています。
そして録音されたナンバー、彼と、そのバックを務める Honeydrippers による I Wonder と、その曲名も The Honeydrippers という 2曲を 1945年のヒット・チャートに送り込みました。
続いて Sunny Road もまたチャートに登場するヒットとなっています。

彼は Going Down Slow で知られる St. Louis Jimmy Oden とともに活動していますが、そっちは 7月 4日付の日記をご参照くださいませ。
その Bluebird 時代のあと、1951年には United Records に変り、そちらでも素晴らしい作品を残しております。
1955年には Imperial での Sweet Home Chicago がなかなか。
その後、Bluesville、Folkways、Crown、Delmark と遍歴を重ねて行きますが、どれも一定の評価をかちとっているようです。
1960年代末あたりからは New Orleans に落ち着き、1983年 7月17日の死まで、そこで余生を楽しんだ、とされとりますね。
彼の最後の録音は Blind Pig のために Michigan 州 Ann Arbor(そ、あの Blues & Jazz Festival のアン・アーバーね)の Blind Pig Cafe で 1977年に行ったライヴ・レコーディング、The Original Honeydrippers でした。
permalink No.705

Search Form