What Is That Smells Like Gravy

Johnnie Templ


2004-04-01 THU.
本日のブルース、1938 年 4 月 22 日、New York での録音で、Odell Rand のクラリネットをフィーチャーしたダンサブルなライト・チューンで、さほど「ブルース臭く(?)」はございません。いわゆる Hocum 調ってヤツでしょうか?
なにしろ、バックを務めますのは、当時 Chicago では、この手のナンバーをやらせりゃ人気ナンバー・ワン(とまでは言い切れないかも、だけど)の Harlem Hamfats でございますからねえ。

Harlem Hamfats はおそらく Mayo Williams( 1920 年代には Paramount に関わり、1930 年代には Decca のプロデューサー)の息のかかったグループで、メンバーに多少の変遷はあるものの、基本的には New Orleans のトランペッター Herb Morand に、Joe と Charlie の McCoy 兄弟(ギター&マンドリン。もちろん、曲によっては二人ともギター、というセッションもある。この What Is That Smells Like Gravy でもギターは二本)
さらには⋯
この曲でも活躍してるクラリネットの Odell Rand
ピアノの Horace Malcolm
John Lindsey または Ransom Knowling のベース(この曲では John Lindsey )
ドラムに Pearlis Williams か Fred Flynn(ここでは後者)

⋯という構成で、1936 年のデビュー作 Oh! Red がそこそこヒットして、以後 1939 年あたりまで、数々のスタジオ・セッションに参加しました。
ただこのテイクではトランペットの Herb Morand の名はクレジットされておりません。
またその Morand は後に New Orleans に行ってしまい、それとともに Harlem Hamfats の時代も終わります。
Document の Complete Recorded Works Vol.1~3 など。


で、カンジンの Johnnie Temple でございます。
1906 年 10 月 18 日、Mississippi 州の Canton(一説では Jackson )で生まれ、早くからギターやマンドリン(さらにハープやベースも、としている資料もあります)を学び、10 代ですでにハウス・パーテイなどで演奏していた、とされます。
1930 年代に入ると Chicago に移り、後の Harlem Hamfats のメンバーとなる Joe と Charley の McCoy 兄弟とも共演するようになりました。
1935 年には Decca に Louise Louise Blues を吹き込み、その翌年にはリリースされました。
ただし、彼のレコーディングは Decca(が多いのは事実ですが)だけに限られていたワケではなく、かなり多くのレーベルからも分散してリリースされていたようです。

Robert Johnson が彼自身のブルースを形成していく過程で、この Johnnie Temple が一定の役割をはたしている、とする考えは定説化しているようですが、逆に、それを期待してこの曲を聴くと、やや「裏切られる」かもしれませんね。
その Johnnie Temple ですが、1950 年代に入るとレコーディングの第一線を退き、以後は時々 Big Walter や Billy Boy Arnold につきあう程度となり、1950 年代中期にはそれも捨てて(?)故郷である Mississippi に戻り、それからは Jackson 周辺のクラブやジューク・ジョイントなどで演奏活動を続けていましたが、それもさほど長い間ではなく、静かにシーンから消えていきました。

1968 年 11 月 22 日、Jackson で死亡しています。
ブルースマンたちにとって、その存在はかなり大きいものがあったようですが、この人のファン、というのはあまり多くはないようですね。
その意味でも Musician's musician だった、と言えるのかもしれません。
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