Slide Winder

J.B.Hutto


2004-04-06 TUE.
こんなことを言うのはホントに失礼だとは思うんだけど、この J.B.Hutto って、どの曲を聴いても、なんだか小モノっつうか、ぜんぜん重要人物じゃない、ってゆーハカナいプレゼンスを感じてしまうんですが、でも、モチロンこのひとのファンだっちゅー方もおられるんでしょね?
「あの」 Jimmy Dawkins のファンだっているくらいなんすから。

いやはや江戸川スリムさんが教えてくれた Dawkins のファン・サイトみたいの、もー笑うっきゃおまへん。
もー、こんくらい「世界に通用しない(?)」価値観を貫き通してるんだからリッパですよ。ワタクシもおおいに力づけられましたでえ。
ブルースマンの客観的評価を協議するシンポジウムじゃなく、個人の趣味のサイトなんですから、ウチみたくマディも B.B.も「扱わない」なんてサイトがあったっていいんじゃないの!ってね。
あ、その二人を「認めてない」んじゃないのよ。そ、嫌いだ、っつーだけ。がはははは!
他にも、ワタクシが一顧だにしないボビーブランドだってジョンリーフッカーだって声質が生理的に受けつけない、ってだけで、みなさん、そりゃもー「たいしたもんだ」ってことに異存はございません。

でも、その「嫌いだ」ってのを「認めてない」とカン違いして、議論をフっかけて来るバカが(さすがに最近は減りましたが)いるもんで困っちゃうんですよ。
「これこれ、こんな風にスゴいんだぞ、それをオマエは!」なんて、んなこたあとっくに承知してる、ってえの。
好き・嫌いは「理詰め」で変えさせられるよなもんちゃうの!
もっと奥深い、無意識の領域にまで根ざす、「好悪」のスレッショールドっつーもんがダレにだってあるハズで(それ、他人から、「オメエこの良さが判らんのか?」なんて言われて、コロっと宗旨変えしちゃう、ってのは自我が確立されてないショーコ)、その、どーしてだか説明なんてできないけど、って部分こそが「その人の個性」でしょ。

ま、現在のワタクシが、ここまで筋金入りの「ビートルズ嫌い」になったのも、そんな理不尽な「この良さが判らないヤツは人間じゃねえ」っつー攻撃に「さらされ続けた」からでして、たかが「好き嫌い」を「人格」のモンダイででもあるかのよーな扱いしやがるって、むしろそのことに腹が立って、ビートルズ・マニアにロクなのはおらん!となったワケ。
ええ、いまもそう思ってますよ。
ま、いまだにモノの道理の判らん、トチくるったヤツが「探せば」いるのかもしれませんが、さいわいなことにワタクシのまわりでは「ほぼ」絶滅しております。
とゆうのも、当時そんなことを言ってたヤツに限って、もはや音楽の「お」の字も無い生活を送ってるんですよ。
ぶっふっふ、アクはホロビる・・・え?それは使い方ちゃう?

うう、いかんいかん、いくら J.B.Hutto がつまらんからって道草の喰い過ぎじゃ。
彼のスライドだって、悪くはないんですよ。それなりのドライヴ感だってあるし、スライド・テクニックだってモチロン、ワタクシごときが足元にも及ばないレヴェルでございまして、破綻の無いそのスライド・ワークはとってもベンキョーになります。
・・・
でもねえ、動かないのよ。
骨盤が。
軽いとかゆーんじゃなく、おそらく人格がいささか「高潔」であらせられるんではないか?なんてアホな思いに囚われるほどのクリーンなイメージ。
それが逆にミリョクになりきれてない、と言うか・・・

実は、先日この日記で採り上げた Lil' Ed( Ed Williams )がこの J.B.Hutto の甥だそうでございます。
まあ、ありていに言えばワタシとしちゃあナマで聴くならそっちのほーがいいな、っつー気分ですが、この Hutto おじさんだって決して「良くない」ワケじゃあありません。
この Slidewinder、それこそスライドの基本をキッチリ押さえておられますし、そこそこガンバってもいるんですが、なにかいまひとつ決定打が無いのよね〜。

Joseph Benjamin Hutto は 1926 年、South Carolina 州の生まれです。しばらく Georgia 州で暮らしてたようですが、その間に家族で結成してた the Golden Crowns Gospel Singers に参加して、音楽への第一歩を印しておるようでございます。
父 Calvin が死んだあと、16 才の時に Chicago に移り、ギターを独習で学び、Johnny Ferguson & His Twisters の一員として演奏活動を開始しました(ただし、当初はドラムだった、とする資料もあります)。
自分のバンド Hawks( George Mayweather-harp / Porkchop Hines-washboard / Joe Custom-rhythm guitar )を結成し、1954 年には Chance に初吹き込み、その時の 9 曲の中から 6曲がシングルとして発売されていますが、さしたる評価は受けられなかったようです。
このオリジナル Hawks が破綻した後、彼は葬儀屋ビジネスに専念し(?)そこそこいい暮らしはしていたらしいのですが、1964 年にギター 2 本とドラムだけ、ベース無し(さよう、それって「まんま」 Hound Dog Taylor の HouseRockers じゃん?モチロンそのスタイルは Hound Dog Taylor が「先」)っつー新生 Hawks を結成し、そっからは「ブルース一直線」!フルタイム・ブルースマンとなったもののよーです。
ただし、その Hawks でのレコーディングの最初のセッションではエレクトリック・ベースも参加してるそうですが。

1976 年に Hound Dog Taylor が死ぬと、その HouseRockers を受け継ぎ、ライヴ活動もしてますが、このパッケージでの録音はありません。ケッキョク彼は別に New Hawks を結成し、そちらとレコーディングやツアーをしています。

ま、正直なとこ、HouseRockers に J.B.Hutto じゃ「力不足」・・・なんて言ったらかわいそ?
Hound Dog Taylor のプレゼンスにはちょっと(どころじゃない、と個人的には思ってますが)及ばないんじゃないかなあ。ま、それでも全身ピンクのスーツに身を包み(ってオメエは林家ペーか?)、50 フィートの( 100 フィート無いの?負けてるぞ!)コードでギターとアンプをつないでテーブルに飛び乗って演奏したりもしてたようですが、さしたる伝説にもなってない、ってのは、やはり演奏の中身そのものが「凄く」はなかったから、と言うのはキビシ過ぎるかな?

神経内分泌腫瘍により1983年死亡。
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