Hard Life

Guitar Shorty


2004-04-09 FRI.
これはまた、なんともポップスがかった Gm からのスロー・ブルースでございます。

This is a hard life baby⋯という歌詞に合ってる(のか?)、思い入れタップリ、なんだかひと頃のザ・スパイダースの GS ナンバー、「夕陽が泣いている(だっけ?)」みたいなギターに導かれ、やや「いい声過ぎる(?)」ヴォーカルが切々と(彼女に去られちゃった現在の)ツラ~い人生を嘆いておりますねえ。

もしあんたに、そりゃあもうステキな彼女がいるんなら
いつだって抱きしめて大事にしなきゃいけないよ
そこ、扱いを間違えるとオレみたいになるのさ
なんだってアイツはオレのとっから逃げてっちまったんだ?


なんで、ってそれが判ってりゃあ、彼女は逃げてかないっすよね。
このテの「女に逃げられた Blues 」って、どれも「なんでや!」っちゅう(オトコからすっと)理不尽な仕打ちに対するウラミツラミになりがちでございますが、そりゃ、ああた、物事にはすべて原因っちゅうもんがおますから、アンタが気付かんでも、なんかやっちまってるのでございますよ。
以前にも(たしか Reconsider Baby のときやった思いますが)そこら書きましたけど、とかくオトコの側じゃ、前となんにも変ってないじゃん?オレがナニしたワケ?と、オロオロするばかり、っつー場合が多いようでございます。
でもねえ、オンナの側からすっと、それじゃ「イカン」のよ。
もしかして一緒に暮らしたら、あるいは付き合い出したら、このヒトも変ってくれるかもしれない、そゆ「期待もコミで」一緒になってるワケですからねえ。
それがいつまでたっても部屋の片付けひとつ出来ない(あるいは「しない」)、へーきで屁する⋯

浮気もしてない、優しくもしてる、それでも不満なワケ?とお思いになるのはもっともでございますが、そこが運命の別れ目なのよね〜。

それにいたしましても、バックのサックス、そしてコロコロと派手に転がりまわって「哀しみ」をいやがうえにも増しておる(?)ピアノ、なかなかに手馴れた作りではございますよ。
後ろで黙々と歩むウッド(と思われ)ベースがまた重くひきずるココロの如く、それでも流れてゆく「日常」の容赦ないあれこれを運んでくる⋯
やや演出過剰?と思えないこともないですが、いえいえ、ここまでやり込むことで、その悲哀もゲージュツとして昇華される(ホントか?)、と。

この、彼にとっては Cobra に次ぐ二度目のレコーディングがパックされた Blues Obscurities シリーズの Stretchin' Out が日本でもリリースされた 1975 年あたりにゃ、あの日暮はんですら「ギター・ショーテイもまた謎の人物だ。(中略) 2枚のシングル盤だけを残している。」と、まるでもー「失われた伝説」みたくライナーで紹介しちゃってるんですが、それがまあ日本にライヴしに来て、「義理の弟」 Jimi Hendrix のナンバーHey Joeで話題になったりするワケですから、一寸先は闇⋯ん?ちょとタトエが間違ってるよな気もするな。
まこと、出版物ってのは(ライナーも含め)あとから追いかけて訂正も出来ないですから「難儀」でございますよ。

William David Kearney は 1939 年 9 月 8 日、Texas 州 Houston で生まれています(異説あり、生年に関しては 1932 年、それとは別に生地として North Carolina 州 Belhaven を挙げている資料もあります)。しかし家庭の事情があったのでしょう、Florida 州 Kissimee の祖母のもとで育てられました。
そんな彼が叔父の部屋にあったギターに興味を抱き、こっそり忍び込んでは触り始め(とは言っても、まだ小さかった彼にとってギターは「巨大」過ぎ、まるでウッド・ベースを弾くみたいにしてたらしい)、やがてその叔父からギターの基本を教わりだしたのは、いわゆる学校教育を受ける以前の、まだ 6 才ころのことだといいます。
おまけにギターばかりではなく、基礎的な教育も施されていたようで、いざ学校に通うようになると、他の生徒たちに比べ、「いつだって 2、3 ページ先を行ってる」みたいなもんだった、と。

そのようにして、いささか早熟の気があったんでしょか、僅か 14 才ですでにプロのミュージシャンとなって、やがて Ray Charles や Sam Cooke、そして Otis Rush などともロードに出る存在となっていたのでございます。
その年齢と、さらに実際に背が高くなかったことから(そしてもしかすると本名が思い出せなかった or 法的に未成年者の深夜労働はヤバい、なんてウラがあったのかもしんないけど)、あるクラブのオーナーが「 The Walter Johnson Band featuring Guitar Shorty 」と、彼を「 Guitar のチビ( Shorty )」として看板に書いたため、それがそのまま彼の芸名となってしまったのでした。
その短躯をカヴァーするためか(?)彼のステージ・アクションはきわめて派手なもので、聴衆にはかなりウケていたようです。

さて、Ray Charles のもとにはほぼ 1 年間いたようですが、17 才の時には Willie Dixon に「導かれ」 Cobra で初の吹き込みをしています( 1957 年)。ただ、その直後、彼は Guitar Slim に魅せられて New Orleans に向かってしまったのでした。
New Orleans では有名な Dew Drop Inn で自ら結成したハウス・バンドとして活動をし、T-Bone や Big Joe Turner、Little Richard などとも共演しています。
そして 19 才の時、Sam Cooke が彼をウェスト・コーストに連れて行きました。そしてその後 1961 年まで Los Angeles とカナダを行き来する生活だったようですが、1959 年、Los Angeles で録音されたのが彼にとっての二度目のレコーディングとなった、今日の Hard Life を含むセッションでした。
クレジットには P-301-A Hard Life Pull 301 とあって、カップリングなどは不明です。またバックも、サックス、ピアノ、ベース、ドラムがともに unknown なため、いささか情報には欠けておりますが、聴いてお判りのように、なかなかしっかりした録音で、マイナー・レーベルにありがちなロー・ファイなものではございません。

ところで、この時期に彼は Seattle で Marcia という女性に出会い結婚しているのですが、これによって「あの」 Jimi Hendrix が彼の義弟となり、その縁で Jimi が彼のステージを見に来たりしてたそうですよ。
その後、彼は Black Top レーベルや Evidence Records からアルバムをリリースしております。

2003 年 9 月には六本木ヒルズで行われた Year of Blues Celebration in Roppongi Hillsで来日しています。
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