Cigaret Blues

Bo Carter


2004-05-25 TUE.



RBF 14 BLUES ROOTS / MISSISSIPPI に 2 曲収録されている Bo Carter のナンバーのうちの一曲です。
1928 年から 1940 年にかけて、およそ 100 曲以上を残し、当時としては稀だった、黒人のみならず、白人にも人気のあったブルースマンだったそうでございます。
この曲を聴いていると、ああ、なるほどね、これなら白人にも抵抗無く受けいれられそうだわ、っちゅう、ややソフトでちょい軽、かつビミョーにリリカルな部分のあるメロディ・ラインなどが、かなり広い層にアピールしそうなファクターが充分にあります。

このギターなんて、ところどころ P.P.&M. なんてのがもてはやされてた「フォーク・ブーム」の時代のギター奏法にまで影響を与えてるんじゃないかなあ?
なんちて、フォークはワタクシの守備範囲外なんで、ただの当てずっぽうなんすけどね。
それに、話がそっちに発展してくのを望んでもおりませんので、そこらワタクシにフィードバックしてくださらなくてケッコーざます。

でも、この Bo Carter のナンバー、決してブルース度が低い、って気はしないんですよ。
たしかに音楽のフトコロが深くて、ブルース以外の音楽もタップリとバックに控えてる、っちゅう余裕はヒシヒシと感じられますが、それだけに「ブルースを楽しんでいる」とゆう不思議な柔らかさに溢れているように思えるのでございます。
もちろん血を吐くようなとんがったブルースも素晴らしいし、そのような名曲も「あまた」あるのですが、でも、そういった Hard Life だけがブルースではありません。

つい、ブルースっちゅうと、酒・タバコ・女・ギャンブル・その日暮し・放浪・無職・不義理・いさかい・家庭内暴力・登校拒否⋯ん?ちょっと脱線して来たなあ。そのよーな「人間失格」スレスレの「不幸の星」を背負ってなきゃ唄えねえ、みたいにイキんでるムキもあるようですが、そじゃないブルースもい~っぱいあるんですからねえ。ヘンな思い込みはヤメましょう(あ、その手の「思い込みマン」にブルー「ズ」率が高い、っちゅーのはホントみたいっすよ)。

ところで、Cigaret ってのは紙巻きタバコのことでして、あのブっ太い葉巻のほーは Cigar と言います。

・・・ここらあたりの女は俺のタバコをダメにしちまう
やはり俺のタバコはお前に吸ってもらいたいんだ
ひと晩中さ
俺のタバコがゼンブきれいな灰になっちまうまで吸ってくれよ

出て行く前に言っとくよ
俺のタバコはデカくも長くもないのは確かさ
やはり俺のタバコはお前に吸ってもらいたいんだ
ひと晩中さ
俺のタバコがゼンブきれいな灰になっちまうまで吸ってくれよ

ここで My cigar じゃなく、My cigaret としたとこが奥ゆかしいですねえ。
え?ナンの話かって? いいの、判らないひとは。

Bo Carter という名前ですが、本名はまったく違ってて、Armenter Chatmon です。
Chatmon ときたら、そう、4 月30日付の The Beale Street Sheiks のとこに出て来た、あの Chatmon 一家、つまり Mississippi Sheiks の母体である Chatmon Strings Band という一連の音楽活動で名を成した有名な家系の出なのでございますよ。
1893 年 3 月21日、Mississippi 州 Hinds County の Bolton で生まれています。
1897 年生まれの Sam Chatmon は弟、ということになりますが、その間にも別な弟がいた可能性もありそう?なお、上には 1888 年生まれの双子の兄、Lonnie と Laurie がいます。
Sam と Lonnie、そして Lonnie の友人のギタリスト Walter Vinson とで結成したのが有名な Mississippi Sheiks でした。

Armenter Chatmon の方はその The Mississippi Sheiks にギターや時としてヴァイオリンで参加していたこともあるようですが、そのバンド以前に(彼が 1928 年、Mississippi Sheiks の方は 1930 年が初録音)既にレコーディングも経験しており、一人で充分やって行けたせいもあるのでしょうが、個人としての活動に専念していきます。
Cigaret Blues ばかりか Banana In Your Fruit Basket とか、Please Warm My Weiner なんてそっち系のネタばっかしが「好きモノ」の話題になりがちですが、やはり、彼の音楽的な豊かさも味わっていただきたいものでございますねえ。

彼が使っていたギターは National の Style N というモデルと、Style 4 'Tri-plate'(ん?Tri-plate?どっかで書いたぞう⋯ Let's 検索!⋯あった!Oscar Woods だ!Tampa Red も使ってたそうです)で、初めてのレコーディングは New Orleans で Brunswick Records に行いました。その後 Mississippi Sheiks でも Okeh や Bluebird にも録音を経験していますが、1930 年代末には健康を害し、彼の視力はほとんど失われてしまっていたらしく、それによってミュージシャンとしての生活も終焉を迎えたようです。

それ以降、メンフィスに引き篭っていたようですが、資料によっては「困窮の中で死んだ」としているものもあります。1964 年 9 月21日、脳溢血でした。




踏み絵




 



こちらの blog に移し終えるまで、某日記サイトに古い日記がストックされてたのですが、それはワタシが選んだワケではなく、それ以前の LYCOS での日記が、ユーザーにはなんの相談もなく、勝手に「統合」なんて名目で「強制的に」引き継がれてしまったのでした。
それでもゼンブをこのブログに移動するまでは、古い記事を参照する必要から LYCOS によって移動させられた日記サイトを活かしておかなきゃいけません。
そのため、そちらも一応運営するカタチになっていたのですが、そちらは敷居が低いぶん、イロんなひとがいて、(もちろん、日記を相互リンクした相手の方など、ちゃんとした人もいるのですが)先日のイラクで人質になってしまった事件の時など、その三人に対してホントに悪意のある中傷を平気で載せてたりするんですよ。
そんなのが腹に据えかねたワタシは扉に「自分ではイラクの状況を改善するための行動をなにひとつしていない人間が(人質になってしまった人たちを)批判している」と「踏み絵」のように掲げておきました。

その効果(?)は絶大でしたね。それ以来、ぱったり来なくなった人もいて、(それで敬遠するよな相手なら)かえって良かった、と思っています。
その人質バッシングもどうやらヤマを越えたようなんで、最近、ようやくその「宣言」は引っ込めましたが、ホントに今回の件では尻馬に乗って意地悪な発言ばかりする「日本人」ってものには大いに「失望」させられました。

それに代わって、いまは「すべての差別は無知の産物」というコトバを掲げてあります。
これは元々 Willie Dixon が Billy Branch に教えた、「なぜ、人間が差別をするのか、と言うと、それは知識が無いからだ。白人は、黒人にも文化があり、リッパな思想もある、ということを知らないから差別するのだ。それを知れば差別は無くなるだろう」から来たコトバです。

かってアメリカの白人は、黒人に「まともな」就学の機会を与えもせずに、無学であることをもって差別しました。肉体労働「しか」させなかったのに、肉体労働にしか使えない、と差別しました。

ここ日本では肌の色ではなく、お上にタテつくと「差別」ではなく「攻撃」が加えられます。人間の愚かさは出方こそ違え、洋の東西を問わないもののようで。

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