Nothing Left To Believe In

Maurice John Vaughn


2004-05-26 WED.



オープニングのサックスも彼自身によるマルチ・レコーディングなんでしょか?
A.C. Reed とも親交があり、ツアーも一緒にしたそうですが、ここではその名がクレジットされておらず、一人でヴォーカル、ギター&テナー・サックス、と記されていますから、やはり多重録音でしょうね。そしてサックスに合わせて(?)るのか、この曲、キーは Fm でございます。ず~っとそれで行って C から A#m(本来は B♭m、なのですが「♭」記号が半角じゃなく全角らしくって整合性が悪いので A#m としています) へ、そしてトニックへ帰る、って進行ね。

そして、そこにかぶせてくるギターがまたワタシ好みの Fender 系のフェイズ・アウト・トーン(ってのはライナーの写真じゃストラトらしきギターが写ってるからで、1993年の In the Shadow of the City では、あの Hot Tuna の Jack Casady が使ってる Epiphone のベース─ http://www.hottuna.com/photo_albums/current/jack_roof.htm ─のオリジナルとなるギターたるセミアコ、ゴールド・トップで変形ボディの Gibson Les Paul Signature ってヤツを使ってるみたいです。
1973 年から 1978 年にかけて生産されたこのギターはその
コンセプト(?)が非常に変わっておりまして、ダブル・カッタウェイではあるのですが、上の PU セレクターがあるほーのツノは ES シリーズのツノのカタチをしており、下のほーはフツーのレス・ポールと同じカッタウェイになっております。そのぶんハイ・フレットは弾き易いかも?
⋯でも、なによりユニークなのはその回路なのでございますよ。
一見、レス・ポールやら ES-335 同様の 2V/2T に見えるでしょ?
ところがどすこい、じゃなかった、どっこい!
これ、マスター Vol.とマスター Tone、あとの二つは PU の順相・逆相の切り替えノブと、最後のいっこがアウトプット・インピーダンスを 50/200/500kΩ と切り替えるためのスイッチなのでございます。ん?つーことはストラトじゃなくても、こいつならフェイズアウト・トーンが出せるかも??
で、オマケに、アウトプット自体が二つあって、ES-335 のようにボディ表面にあるほーのアウトプットはハイ・インピーダンス、Les Paul のよーにボディ・サイドにあるほーがロー・インピーダンスなのでございます⋯
ポジション・マークは台形のパール・インレイね。
さて彼のギター・プレイは「弾きまくる」ワケじゃなく、一音・一音をしっかりディケイまで見届けるみたいな余裕あるプレイで、これってバックがしっかりしてないと出来ないんだよね。
Kenny Pickens の 2音を交互に繰り返す単調なベースはハッキリ言って「こん、どアホ!ちゃんと仕事しろっ!」とどやしつけてやりたくなるけど、Casey Jones のベーシックなリズムをキッチリとキープするドラムは「これが正解」。

市内某店での自称ブルース(?)セッション(??)では、自己満足が優先なんじゃないの?っつう感じのロック系のドラマーや、ブルースを知らない(どころか「音楽」も判ってない?っつう)まったくのビギナーのドラマーに手を焼いたりしてるもんだから、こゆの聴くと、ホントにうらやましくなりますねえ。
まあ、確かになあ、ブルースのドラマーになるぞ!なんて決意して精進する、なんてヒトは聞いたことないよね。
だいたいドラマー目指すヒトって、こんな地味なバック・サポートに徹することの「意義」なんて理解できそーもないし(あ、別にそれ、バカにしてるんじゃないよ。誰だって、その楽器をやる以上は、それが華やかに活躍するシーンを夢見るのはとーぜんだし、それだからこそ向上の意欲も湧いてくる、っちゅうもんですからね)。

おととと、また脱線しちゃいましたねえ。
話を戻しまして、この Maurice John Vaughn、1952 年の11月 6 日、Chicago で生まれています。そしてサウスサイドの Juliet Low grade school に在学している時に、ドラム、ギター、そしてクラリネットを演奏し始め、スクール・バンドに所属しておったらしいのですが、やがてヒット曲のカヴァーばかり演奏するバンドに移ります。
そして 1968 年からはジャズのトリオに入り、サックスに集中しました。
その延長として、1976 年には Chosen Few という R&B グループのサックスのパートで、Chi-Sound Records に初のレコーディングを経験していますが、やがてサックスでの仕事は無くなって行った、といいますから、う~ん、もしかすっとイマイチなサックスだったんでしょか?

そこで、彼は作戦を変え(?)今度はギターのほうに投入し始めます。
そしてブルースへ、と舵を切り始めたあたりで、ワタシが郵便貯金ホールで初めて見た(あ、前にも書いたけど、ホントはその日、最初に出てきたジョニー・シャインズを先に見てるんだけど、その唄い方が例のヒョロ高い、語尾を伸ばすってもんだったんでスグにココロを閉ざしてしまい、それ故、まったく印象に残っておりません。でも、えどすりちゃまの Johnny Shines のとこで指摘しておられる「私と同様に、1970年代以降の余り面白いとは言えない弾き語りのアルバムを聴いて先入観を持ち、それ以前の彼の素晴らしいブルースを敬遠している方も多いのではないだろうか。」というのはワタクシの場合は当てはまりまへん。ワタクシはあくまでも、あの「唄い方」が、どーしても好きになれないのです。いくら遡ろうが、あの声を聴くともうそこでダウン、でございます)ナマのホンモノのブルースマン、Buddy Guy のバンドに加わって来てた Buddy Guy の実の弟で、確かその時は赤いストラト持ったアフロ・ヘアーだった Phil Guy( 1940,4,28 - 2008,8,20 )が彼の前に現れ、当時の彼のバンドともども、バックとしてカナダ・ツアーに来ないか?と誘ったのでした。
おそらく、この Phil Guy とのツアーに参加するようになってからブルースに集中するようになったもののようですね。それが 1979 年のことだったようで、やがて Phil ばかりか、その兄、Buddy Guy の JSP へのレコーディングにも関わるようになります。

1984 年(異説:1986 年)には自らのレーベル、Reecy を立ち上げ、アルバム Generic Blues Album をリリースしています(これは 1987 年、Alligator から発売。ただし、資料によっては 1990 年としているものもあります)。
この Nothing Left To Believe は、1987年の録音で、その後 Les Paul Signature を抱えたジャケットの In the Shadow of the City を 1993年にリリース。2001年には Dangerous Road を Blue Suit からリリースしています。

あ、すっかり忘れちゃってましたが、この曲のバックでハモンド(たぶん、ね)で通奏和音みたいに流してる Allen Batts、目立たないけど、「いい」仕事してます。

permalink No.762

Search Form