Nighttime

Joe Louis Walker


2004-06-02 WED.



これまた独特のテクスチュアに溢れたスロー・ブルースで、唱法としては「テンション高め」に属すると思えるのですが、声質のせいなのか、決してインパクトが強いってほどではありません。
彼は一時、ブルースから身を引き(?)ゴスペルに転向していた時期がありましたので、もしかすると、そのような経過がユニークなブルースを作り上げた、と言っちゃえばカンタンなんでしょが、コトはそうカンタンじゃないでしょう。
ケッキョクは「だって彼だから」というひとことでしか説明できないよな「個性」と捉えたほうがいいのかもしれません。

なんだかフランジャーでもかかってんじゃないの?っちゅうトーン・キャラクターのイントロに、前述のようにテンションの高い、でも耳障りじゃないヴォーカルが斬り込んできて、これまたちょっと存在感のあるギターがオブリを入れまくってますが、それはたぶん Matt Murphy のギターだと思うんだけど確証はおまへん。でも、あのヴォーカルと同時にこのオブリっちゅーのが出来るなんてのは人間ワザとは思えまへんので、たぶん Mattでしょ。

そして、途中のギター・ソロは、それとのビミョーな音質の違いから、たぶん、ご本人のギターのよな気が⋯そこまで詳しくは解説はしてくれてませんけど。
でも、たしかにこの間奏部分、明らかにそれまでのややトレブリィでクランチ気味、少ないリヴァーブ、ってのに比べると、豊かな曲想、ちょっとした手の抜き具合(?)、オーティスを思わせる(あ、このアルバムじゃ、4曲目の Fix Our Love っちゅーマイナー系のブルースで「実際に」オーティスが参加してるのよねん。出来?ん~、その曲の方を選ばなかった、っつーとっから想像がつくかも・・・)リフの回し方なんかが、やっぱそーとーにちゃいます。ま、ここも Matt が PU のセレクタをリアからフロントに変えて弾いてる、っつー可能性もありますが。

そりゃそうと、この Joe Louis Walker、彼もまたワタクシ好みのギターを持ってるバヤイが多いんですなあ。ジャケ写からだけで、実際にレコーディングに使ったものかどうかは「?」なのですが、1986年の Cold Is The Night ではブルー・メタリックのボディにベッコウ柄(?)のピック・ガードにメイプルネックのストラトキャスター、1988年の The Gift ではグレーっぽい(あるいはシルヴァーかもしれません。現物を持っていないのでビミョーなところ)ボディにメイプルネックのストラト、1989年の Blue Soul じゃ一転してサンバーストにローズ・ネックのストラト、1991年の Live At Slim's Vol.1 じゃあ、ウレしーことにワタクシの Red Hot に似ている(だけよん。だってワタシのは Fender Mexico のボトム・エンドのモデルで、御茶ノ水の ESP でひと目惚れした時の店頭価格が「たったの」 19,800円だったのでございますからねえ。その後ヘッド・マシーンに PU、ブリッジ・パーツとかを交換し続け、結果的にはその●倍もかけちゃったとは言え、ネは「メヒコ」ですからねえ)赤いボディにメイプルネックのストラト、1992年の Vol.2 じゃ、ちょっと「?」なんだけど。カスタム・メイドのテレキャスター様のギターを持ってますが、アップすぎてメーカーも全体像も不明ざんす。でも、明らかにフラット・トップのソリッド・ボディやね。

1993年の Blues Survivor と 1994年の JLW じゃナショナルかな?っちゅうリゾネーターを持ってるようですが、そこら、そちらに詳しい方にお任せしますわん(あ、教えてくださらなくてケッコーですからね!ホントに知りたい時には、どなたか教えてください、って言いますから、それ以外のときは放っといてちょ~だいね)。
1995年の Blues Of The Month Club はギター持ってないんで不明。 1997年のこの Great Guitars じゃあトツゼン Les Paul Custom!しかもこっから先は Fender 持ってる図が(ジャケ写では、ね)出て来まへん。

次にエレキ(!)が出てくるのは 2002年の Pasa Tiempo で、ここじゃあ 1961年から 1968年までのいずれかの Gibson Les Paul Custom を持ってますねえ。で、なんで年代を限定するのか、っちゅうと、あの Buddy Guyでお馴染み、 SG シェイプの白いボディに 3 PU っちゅう特殊な Custom だからなのねん。
同じく 2002年の Guitar Brothers ではグっと渋く(?)同じ Les Paul でも初期の Standard、ゴールド・トップに P-90、トラピーズ・テイルピース・ブリッジっちゅうのを弾いてるようです。
さらに She's My Money Maker じゃ Les Paul シェイプで P-90 みたいな PU ながらちょい細身のボディ(?)かつ「 f」字ホールを持ち、アーチドの具合がやや弱いギターを使ってますが、ヘッドが写ってないためにメーカーを Gibson とは断定しづらいとこ。あ、余談ながら、このアルバムじゃあ、昨日の Earl Hooker に捧げた(んだと思う。たぶん)Hookers Blues ってのが収録されてまして、彼をホーフツとさせるよなスライド・ワークもガンバっちょります。(ただし 2003年の Ridin' High Live じゃフツーの Les Paul Standard に戻ってますが)

1949年の12月25日、つまりクリスマス(日本じゃあその前夜がメインみたいっすけどね)に San Francisco で生まれた Joe Louis Walker は、ゴスペルの支配的な環境にいたようですが、それでも両親の持っていた 78回転のレコードを通じて B.B.や Aimos Milburn、さらにウルフに親しみ、ブルースへの傾斜を強めていました。
そして 14才の時にはギターを手にし、そこからはさらにブルースにのめり込み、16才のころには Fred McDowell、Lightnin'やマディ、ジョン・リーなどのナンバーを San Francisco のブルース・バーで演奏するまでになっていたようです。
そしてマイク・ブルームフィールドと知り合ったことで家を出て、共同で Haight-Ashbury にルーム・シェアをして生活するようになりました。

この交流は彼にそれまでとはまったく異なったファクターを与えることになったのではないでしょうか?
ブルームフィールドを介して彼は Jimi Hendrix やスティーヴ・ミラー、グレートフル・デッドなどのミュージシャンとも共演し、ブルースの方でも Lightnin'や(昨日の) Earl Hooker、さらに Magic Sam とも一緒にプレイする、という経験をしています。
さらに、マディやジョン・リー、Freddie King らのオープニング・アクトも勤め、Lowell Fulson とも交友関係を持つなど、まだ 19才という若さの彼には「充分過ぎる」ような日々が与えられたのでございました。うう、うらやましい・・・

1969年にはブルームフィールドによって Chicago の Otis Rush のオーディションに送り込まれ(?)ますが、この時には Otis Rush と共演するには至らなかったようです。
この時に Chicago で触れたブルース・シーンの現状が影響したのか、はたまた別な位相のモンダイに巻き込まれたのか、が定かではないのですが、1975年に彼はトツゼン(?)ブルースを離れ、the Spiritual Corinthians というゴスペル・グループのヴォーカルに身を転じてしまいました。もしかすると、この経験もまた(結果的に)彼のブルースに「深み」を与えることになったのかもしれません。
いわばゴスペルの「純粋性」に魅せられていたような Joe Louis Walker でしたが、再びの転機が 1985年の New Orleans Jazz & Heritage Festival で訪れます。
この Festival に the Spiritual Corinthians の一員として参加した彼はそこで触れたブルースに感じ入ったものか、再度、俗世の塵にまみれる道を選ぶことを決意したのでした(なんちて、なんか活動弁士のセリフみたいやなあ)。

San Francisco に戻った彼はさっそく the Bosstalkers というグループを結成してベイ・エリアでの演奏活動を開始し、翌1986年にはデビュー・アルバム Cold Is The Night を Hightone Records からリリースしています。そして 1988年には The Gift を。あ、そこらはさっきの使ってるギターのとこで語っちゃってますからそっちを見てねん。

この Great Guitars は Otis Rush や Buddy Guy、Clarence "Gatemouth" Brown なんてゆうスゴいギタリストをお迎えして作り上げたスペシャルなアルバムで、前述の Matt Murphy もそうだし、さらにボニー・レイット、タージ・マハル、スティーヴ・クロッパー、スコッティ・ムーア、あ、ロックウッドもだ。そんなメンツで「これでもか!」っちゅう作品揃いなのでございますよ。ま、このアルバムについちゃあ、アルバム一枚まるごと採り上げてるサイトもあると思いますのでそっちで見てちょーだい。
1998年には Muscle Shoals に出向いて Jimmy Johnson も加えたアルバムなんかも作っているのですが、もー長くなり過ぎるんで省略します。


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