Corner of the Blanket

Donald Kinsey & the Kinsey Reportk


2004-06-08 TUE.



いかにも 1980 年代の Chicago シーンを反映したようなキレのいいリズムに乗せて、ロック・ギターのクリシェが香るエッジの効いたギター・フレーズをちりばめ、表現力も豊かなヴォーカルが歌い上げるこの曲、そのモダーンな外観の割りには、A から始まるシンプルな 12 小節のブルース構成を採っています。

そのサイド・ギターの動きなどを追っていると、やはり、一時ピーター・トッシュや、ボブ・マーリィとも交流があった、っつーのはウソじゃなさそ、とナットク出来るよな凝り方で、そこら、ブルース一筋で来たんじゃない「膨らみ」みたいなものを感じますね。
そのサイドを担当してるのは、唯一、血のつながっていない Ronald Prince ですが、それ以外のメンバーは、ベースの Kenneth Kinsey にしても、ドラムの Ralph "Woody" Kinsey も、実の兄弟という構成で、そのヘンも、こんだけキレのいいリズムをグルーヴを失わずに走らせられる一因かもしれません。

特に、音的にはあまり表面に出ておりませんが、この Kenneth Kinsey による、独特のリフを基本に構築されたベース・ラインが実に「ただものではない」のでございますよ。
そりゃコピ男クンたちは「こんなのカンタンじゃん」などと抜かしくさることでしょうが、そりゃ、こやって出来ちゃったものをパクるだけなら猿でも出来る⋯うっぷす、シツレーしました「猿マネ男」のマチガイです。

そして Ralph "Woody" Kinsey のドラムだって、ハイハットのレガートの入る位置がちょっと変わってて、ワタクシにゃどやっても思いつかんよなユニークなパターンになってますねえ。この独特のリズムは、Donald クンが「ちゃうちゃう!そこでハイハットのオープン、一拍ズラして、そうそう、そこでクローズ!」なんて口うるさくいじくりまわしたんでしょか?

スタジオ録音ですから、マルチでかなり遊んでるようで、例えばサイド・ギターにしたって左チャンネルと右チャンネルの両方から、別録りしたらしい二本が「ちょっと」ちゃうことしながら響き合うように和音&リズムの雲を紡ぎ出してます。
あ、でも、このサイドが Ronald Prince ひとり、と決めつけちゃうのはいかんかもしんないなあ。なんたってこのライナー、ただギターって書いてるだけでリードとかサイドとかセカンド、あるいはリズムなんて書いてないんですよ。
この右か左のどっちかが Donald Kinsey っちゅう可能性も無いワケではない(音的には、右でサイド切ってる方、ソロの音にかなり似てるんですよ)⋯
ただしこのバンド、その後の活動じゃ、Ronald Prince じゃない別なギタリストを入れたりしてるんですけどね。

とゆーワケで、このオブリ&リード(そして、もしかすっとサイドの一方も?) Donald Kinsey が弾いているんでしょが、このギター、なんでか Elvin Bishop の Struttin' My Stuff を思い出させるんですよ。なんせ「あっ!」ちゅうくらいクリソツなとこが⋯

Donald Kinsey の父は、Lester "Big Daddy" Kinsey として知られたブルースマンだったようで(ワタクシはその「知られた」ってえとこに関わっておりません。つまり、まだ聴いたことが無い。と思う⋯)、Mississippi 州の Pleasant Grove で 1927 年 3 月18日に生まれ、6 才のころはゴスペルを歌っていたようですが 1944 年に Indiana 州 Gary に移るころにはデルタ一帯のハウス・パーティなどでも演奏するようになっていたそうです。

Gary に来てからは、まず製鉄所に勤めましたが、Chase Street Church of God in Christ の牧師であった父は彼がブルースを演奏することを快く思わなかったようです。やがて信者のひとり Christine McNeal と 1946 年に結婚し、兵役の後、Gary に戻った彼は再び製鉄所で働き、家庭を築き、1960 年代後半からは音楽活動を本格化させていくワケですが、その少し前、1952 年 4 月26日に長男の Ralph が、1953 年 5 月12日には次男の Donald が、さらに 1963 年の 1 月21日には Kenneth が生まれています。そして長男の Ralph と次男の Donald が生まれてから、マディ・スタイルのブルースを本格的に演奏するようになったらしいですね。

父の Lester はまず Donald が 4 才のときにギターを教えはじめました(同時に Ralph にはドラムを教えています。このとき Ralph は 6 才だった、という資料を信じれば、それは 1958 年の、4 月26日から 5 月12日までの間、っつーことになりますね。別にいいんですけど。ただ別な資料では Donald は 5 才だった、としているものもあり、多少の混乱がございます)。この兄弟がそれぞれ 13 才と 12 才になったころには、もう充分に父と一緒に演奏が出来るようになっていました(なにやら Donald クン、そのころには B.B.King Jr. なんぞと呼ばれておったようですよ。実際、B.B.のナンバーばっか演ってたみたいですからムリもないのでしょうが)。
この二人はその後も研鑚を積んで、1984 年には弟の Kenneth も加え、ここに彼のバンド Kinsey Report が⋯と言いたいところですが、実は途中、ケッコー紆余曲折があるのよね〜。

ま、そのハナシの前に、"Big Daddy"と Donald は Eddie Silvers のバックの the Constellations として 1969 年に DJO にシングル Funky Fun In The Ghetto を吹き込んでいます。さらに 1972 年には Big Daddy Kinsey & His Fabulous Sons として中西部から南部にかけてツアーをしていましたが、Ralph が米空軍に徴兵されたため、Donald は Albert King のサポート・ギタリストとなって以後三年間を送ります。
1975 年には空軍を除隊してハード・ロック(あるいはヘヴィ・メタル系、なかにゃあ「ブルージィ・メタル」なんて、聞いたことない分類をしてる資料までありましたが、そんなの、聞いたことある?)のバンド、White Lightning を始めた兄の Ralph に加わるために、その Albert King の元を去りました(この White Lightning はベースに Busta Cherry Jones というトリオ編成で、いったいどんなツテがあったんだか判んないけど、なんでか元マウンテンのフェリックス・パパラルディのプロデュースで Island Records に録音もし、アメリカ国内ではエアロスミス、イエス、ジェスロ・タルにエドガー・ウィンターなどのライヴで前座を務めたこともあるとか)。

さて、そこで、どんないきさつがあったものか、ナゼかしら Donald クンはその White Lightning も離れ、「レゲエ界」に身を置くこととなりました。一説では New York で行われた Island Records のレセプションでボブ・マーリィに出会ったのがキッカケ、とされております。
そのボブ・マーリィの紹介で知りあったピーター・トッシュのお声がかりで、そのアルバム Legalize It に参加しましたが、その結果に満足したトッシュはツアーにも彼を伴うこととなります。
さらに今度はボブ・マーリィからのオファーで 1976年の Rastaman Vibration アルバムとツアーにも加わりました。この時期の彼のボブ・マーリィとのツアーは Babylon By Bus アルバムとして残ることとなりました。
またピーター・トッシュの方は 1978年の Bush Doctor もあるのですが、このアルバムに関しては、むしろキース&ミックの参加と Rolling Stones Records からの発売、というエポックで有名でしょう。

そのような輝かしい軌跡をレゲエで残していた彼が、そこを去る契機となったものに、ボブ・マーリィの暗殺未遂事件( 1976 年12月 3 日、自宅を襲撃され、危うく射殺されそうになった)があるのかもしれません。
ジャマイカでの政治的な対立が絡んでいた、とされていますが、この事件で、ボブ・マーリィと常に行動を共にすることの危険性にビビったのか、1978 年のツアーがウエスト・コーストで終了したのを機に、友人の(今日のブルースでサイドを務めている) Ronald Prince と Ralph を誘ってレゲエにファンクやブルース、さらにロックの要素も併せたバンド、The Chosen Ones を作って、一旦ボブ・マーリィの元を離れています。

それでも、ボブ・マーリィの(結果的に最後となった) U.S.ツアーには再び参加しています。
さらに The Chosen Ones で EP 盤を作った( Faulty Products レーベル)りもしましたが、今度はピーター・トッシュの Mama Africa アルバムに参加し、アフリカ・ツアーにも同行しました。

このような武者修行(?)の時期を経て、再び Kinsey 一家が揃い、Big Daddy Kinsey & the Kinsey Report がスタートしたのは 1984 年のことです。ベースには弟の Kenneth、サイド・ギターには Ron( Ronald )Prince、ドラムはもちろん兄の Ralph で、彼はこれもまたもちろんヴォーカルとギターでございます。
そして彼がロイ・ブキャナンのバックをつけた仕事が縁となり、Alligatorの The New Bluebloods にこの Corner of the Blanket が収録されることとなりました。

1970 年代後半の数年、レゲエというまた少し違う世界に身を置き、しかも(いわゆる)ヘビメタみたいなもんもやってた、というユニークな履歴が彼の音楽にひと味ちがった彩りを添えている原因なのかもしれませんね。

このひとの場合、資料がありすぎて(?)削るほーに苦労しました。判ったコト全部書いてたら連載になっちゃいそ!
このアルバム以降のことなどは、いずれまた機会があれば、ってことで、今回はここまででございます。
permalink No.776

Search Form