Time Is Running Out

The Kinsey Report


2004-06-09 WED.



昨日に引き続き Donald Kinsey の、こちらは彼自身のアルバム Smoke And Steel からのナンバーでございます。
さらに弾きまくるギターがコンサヴァな(?)ブルース・ファンのみなさまの眉を顰めさせることになるかもしれませんが、ワタクシは再三この日記でもカミング・アウト(?)しておりますとおり、かってのロックから「ブルース」に入ってきた、言わば、ロックにも片足を(とゆうか「想いを」かな?)残してるよな「ブルース好き」ニンゲンでございますゆえ、一切キョヒ反応が無いどころか、むしろ、うひょひょ、こうゆうサウンドでまたロックからこっちへ足を伸ばしてくれる人たちを増やしてほしいなあ、思いますよ。

とはいえ、もうすでに十年以上も前のサウンドが「それまでの古くせえブルースとは大違いでナウかった!」ちゅうても「もはや時間軸にズレがある」ワケですからねえ。イマどきのギター・キッズのみなさんが、いったい、どのヘンにキョーミをお持ちなのか、またどんな音、弾き方が好きなのか、が「?」なので、ホントにそうか?となるといささか不安もあるのではございますが。
俗にいう三大ギタリストであるとか、ワタクシなぞにとってはもはや別格であるところの Jimi Hendrix あたりは、ワタシの世代にとっては大きな意味を持っていましたが、逆にいまどきの若いモンがブラックモアなんぞのコピーにいそしんでいるとしたら「とんだアナクロニズム」なワケで、いいものはいつの時代でも「いい」なんて言ってるのは、それで育った連中と、それに「迎合」してる一部の主体性の無い若者だけでしょ。
⋯てなことを言っちゃうから憎まれるんだな?ワシ。うぷぷ。

ロックってのは時代の価値観を切り裂くものとして生まれ、次々と新しい Phase をもたらして更新されて行くものであって、基本的に「不連続性」こそがその特徴だ、と考えています。
だからその出現は決まって、それまでの安定した音楽状況に安住していた「おとな」たちにキョーレツな不快感を与えたのです。
そのような先端で周囲の白眼視にさらされながらも切り開いていったニンゲンには、そのことが理解できるのですが、そのころには自己満足的なフォークなんぞやってた輩に限って、時間とともに馴れて来ただけなのに、後になって「時代を共有していた」とか、勘違いしちゃうんだよな。ウソ八百!

ストーンズが日本に紹介され、その、ある意味「粗雑な」音は当時のリョーシキあるオトナたちに「こんなものオンガクじゃない」なんて言われたものでした。
それが As Tears Go By を聞いた(かなり年上の保守的な)知人が、「彼らも成長したね。やっと鑑賞に耐える音楽が出来るようになった」と言うのを聞いて、ああ、ストーンズももう終りだ、という衝撃とともに、ワタシにとってのロックの定義のひとつが「見え」たのです。
つまり、「ロック」は時代に棹さすカタチで登場するのだ、ということ。そして、それが時代に受け容れられる頃には、それはもはや「ポップス」に堕している、ということ。
ポップスは時代に棹ささない。ポップスは時代に媚を売り、その想をロックから盗み、換骨奪胎して換金作物とする。
ま、そんなだから、いくら大音量で演奏しようが、その歌詞が黒魔術やら背徳的思想に彩られていようが、そんなのは、様式美に安住してるだけの、いわば「ネオ・クラシック」じゃん。と思っちゃうんですねえ。

その意味ではホントの意味で神経に障る、カゲキなラップ・ミュージックなんてのが現代における「ロック」なのかもしれません(日本にはひとつも無いけどね。ワシらジジイが「すんなり」受け容れられる程度のもんじゃ、ゼンゼン時代に棹さしてない、ってことですから!)。

ありゃりゃ、またもや大脱線!しかも、今回は各方面から総スカンを喰らいそな予感。がははははは!
ま、でもこれでワタクシの偏向ぶりの理由が多少は判っていただけるかも(??)ね。
もちろん、これはワタシが考える、トンがった意味での「ロック」と「ポップス」であって、そんな区別になんの意義も見出せない方には無用のものでしょうが。

さて、ハナシを戻しまして Time Is Running Out ではもう Ronald Prince* はいません。ここでサイドを弾いているのは Dave Miller です。そしてもういない、と言えば、Donald の父、Lester "Big Daddy" Kinsey は前立腺ガンとの闘病の末、2001 年 4 月 3 日に死亡しているのですが、それに先立つかたちでその妻( Donald にとっては母である)Christine を 1995 年に失っており、このアルバムはその後に出ているハズですが、ライナーではその母への感謝の言葉が妻の Sharon への言葉と並んでいますから、このライナーの原稿を書いていたのはその直前だったのかもしれません。

*Ronald Prince ─ 昨日はスペースのカンケーで(?)触れていませんでしたが、Donald Kinsey & the Kinsey Report でサイド・ギターを務めていた Ronald Prince について。
彼はシカゴのサウス・サイドで生まれ、10才になったときに僅か 4 ブロック先に Willie Dixon がスタジオを開いています。
そしてその 4 年後には彼がそこに入り浸るようになっていたとか。あ、その前に、12才の時、初めてのギターを買ったそうです。
14才のときには、8 才から 16 才までのガキ⋯うっぷす、コドモたちで構成されるバンド The Brighter Side of Darkness のギタリストとなり、このバンドは Chess も注目するような存在だったらしいのですが、そこで家庭の事情から一家は同じ Illinois 州ながら、南南西におよそ 220km も離れた Decatur に移ることとなり、その時点で The Brighter Side of Darkness での活動は終ってしまいました。
Decatur 周辺のローカルなバンドではギターを弾いていたようですが、1976 年に高校を卒業すると、すぐ Chicago に戻っています。まず Theresa's Lounge で Sammuel Lawhorn や John Primer、さらに John Watkins などの演奏に触れていますが、まずは Johnny Dollar and the Scandalous Band(このバンドについては調べてません)や Bobby Rush、Syl Johnson などとともにギグを行っていたようです。また Mona Lisa ってバンドでウルフの前を務めたこともあったとか。
そんな中で、もう少し「先進的な」音楽への興味も湧いて来たことから昨日も紹介した The Chosen Ones を結成して、そこから Donald Kinsey と行動をともにするようになったのです。とは言っても、途中彼が Bobby Ingram に「仕えてた」三年間というブランクはあったのですが。その「お勤め」を終えてシカゴに帰った彼はさっそく The Kinsey Report に参加します。以後、ほぼ 11 年間 Kinsey とともにあって Alligator に二枚、Point Blank と Blind Pig に各一枚の The Kinsey Report のアルバムに参加して、その音を残しました。
その後は自らのバンド、Ron Prince and Hard Time Blues Band を結成するために抜けたようですが、一時 James Cotton Band のギターだった時期もあるようで、そこらはちょっと「?」でございます。
Ron Prince & Hard Times は Mosley Music ってえとこからアルバムをリリースしているようですが、もちろん(ってイバってんじゃありまへん)まだ聴いたことはありません。

ところで、板に寄せられた反響では、「キンゼイ・レポート」とゆうと、別なジャンルの研究報告として、「あましお若くない(シツレイ)」方々には知られているものがございまして、そっちもチラっと言及されておりましたが、さすがみなさま、それでヘンに騒いだりしないところなぞ、まことにケッコーでございますよ。
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