San Jose

Little Joe Washington


2004-06-10 THU.



あの伝説的な Magic Sam の Ann Arbor Live のオープニングを飾ったあれと同じ曲です。
パーク・タワーに行けなかったワタクシの意識に最初に打ち込まれた Little Joe Washington というプレゼンスに溢れたクサビがこの曲でした。
Rough で Loud で、それなのに、どこか優しさを感じさせる、独特の甘さを含んだギターに度肝を抜かれたものでございます(パーク・タワーで観たひとはそのカッコにも度肝を抜かれたそうですが。「レゲエのオッサンや!」という報告も来ておりましたっけ⋯)。

この Little Joe Washington with The New Jack Hippies による Earthwire Blues は、Texas 州 Houston の Michael Farber と Kingfish Keith が Little Joe Washington を迎えて行ったセッションで、全編メッチャ Rough なんですが、Guy Schwartz とその The New Jack Hippies と一丸となった疾走は Houston の夜を熱くしたことでございましょう(なんちて、この録音は冬だったそうですが)。
お持ちの方は、Magic Sam の San Jose と比べてみるのもオモシロそ。

Little Joe Washington こと Marion Washington は、1939 年の 3 月 1 日、Texas 州 Houston の第三区、University of Houston から Old Spanish Trail にいたるあたり(?)で生まれ育ちました。
当時は鉄道の線路に面した二階建ての住宅で、一階では床屋と小さなカフェをしていたようですが、そこではヴァイオリンとサックスをたしなんでいた叔父さんによって時折りジャム・セッションが行われていたそうです。
そんな中で Marion は僅か 5 才ですでに、部屋の隅にあるアップライト・ピアノでそれに「参加」していたそうですよ。
9 才ではトランペットを吹き始め、15才の時には Albert Collins のバックでドラムを叩いていたんだって!

やがて彼の興味はギターへと移り、当時地元では傑出していた Joe Hughes ってプレイヤーが特にお気に入りだったらしく、その手クセからトーンまで、ことごとく真似ていたそうで、そこから Little Joe( Little Joe Hughes ってこと)の名がついたもののようです。

やがて彼は Roscoe Gordon、さらに Cecil Harvey のツアーに同行して Texas から Nevada あたりまでを回ることで腕を上げて行ったようですが、20才になった時には El Paso に腰を落ちつけ、そこから国境を越えた Mexico の Juarez の the Lobby Bar まで出向いて演奏をするようになりました。
そこで彼は The Champs というグループに出会い、一緒に Calfornia に行き、Donna というレーベルに録音をしています( 1961 年 Hard Way Four や The Last Tear )。
続いて 1963 年には Los Angeles で Federal に Someone Loves Me や I Feel All Right、Bossa Nova and Grits を録音しました。

さらに彼は引き続き Houston から国境を越えた Juarez までのエリアで様々なグループでプレイしていたようなのですが、やがて依存症を伴う悪弊に染まってもいったようで、いつしか路上生活者のような暮しや、楽器も質で流してしまうような状態へと転落していったようです。
1990 年代の半ばには彼はもはやリッパな(?)ホームレスとなっており、以前に叔父さんがそこで時折ジャム・セッションを開いたあの床屋だった廃屋に住み付いていたらしいのですが、過失からか、そこが全焼してしまった後は廃棄されたクルマの中で寝泊りしていました。

それでも、彼は決して音楽を捨てたワケではなく、この頃のことを回想して、鳥のさえずり、犬の吠える声、吹きすさぶ木枯らしのブキミな唸りなどが楽想をもたらしてくれた、と言っていたようです。
彼のユニークな外観(?)はこの時期に培われたものなのでしょうね。
そんな彼も次第にその存在を認められるようになり、みなさまもご存知のように日本などの海外にまで演奏活動に出かけるようになりました。

その Little Joe Washington、前回のパーク・タワーに引き続き今年もまた日本に来るようで、8 月 1 日の Fuji Rock に続き 8 月 3 日には渋谷でライヴを行うとのことでございます。

磔磔(たくたく)という京都のライヴハウスをご存知でしょうか?

当時、拾得(じゅっとく、だったと思う)という先行するライヴハウスを追う立場だった、と記憶していますが、実はここにはひところ、ワタシの末の弟がバイトで入っていたことがあるのです。
ウチのリンク先のそのまたリンク、と飛び石サーチしてるうちに、その磔磔の歴史を当事者が綴っているページを発見し、もしかして弟のことが載ってたりして?と思って読んでみました。
でも、ひところブレイクダウンの房之助が磔磔でバイトしてたんだあ、なんてことは判ったけど、ウチの弟のことはとーぜん出ておりませんでしたねえ。

しかし、そこで、実にいい表現と出くわして、目が止まってしまったのでございます。
「メタルのほとんどはロックとは無縁。カレッジフォークを大音量で演っとるだけやんかというのが殆どだった」⋯うわぁ~!ワシが昨日、言うのをエンリョしたことが堂々と書いてあるっ!
すんごいですねえ。さすが第一線でライヴを見て来た、いえいえ、深く関わって来た方だけあって、切れ味がスルドいっ!

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