Everybody Needs Somebody

Silas Hogan


2004-06-12 SAT.



聴いていただけばスグ判ると思いますが「あの曲」をモロ、隅々までいただいちゃってますね。
あっちの Honest I Do が 1958 年でしたっけ?
この録音は 1964 年ですから、そりゃクリソツになるのもほどがあるじゃろが?と思いますが、ま、こんなのは「よくあること」でして、考えてみりゃ、ブルースじゃ、パクりパクられてるうちに、次第にひとつの曲が完成されてくワケで、タマタマ吹き込んだヤツが「作者」ってことになっちゃってる、なんてのザラだと思うんですよね。
だから、これも悪びれるでもなく、うん、このパターンいけるじゃないの!みたいなアッケラカンさがミョーに快い(?)。

ささやかな(?)ハープは Whispering Smith ですが、残りのベースとドラムは不明です。
そして、Excello でありながら(?)ベースがしっかり録れているとこ( Ernie Young がやると、殆ど聞こえなくなっちゃう!)、さらにスネアにかかってるリヴァーブからも判っていただけるやもしれませんが、この録音は Jay D. Miller、もち at Crowley です。

Silas Hogan は 1911 年 9 月15日、Louisiana 州 Westover で生まれています。
10 代に入ると、叔父さんから「ブルースの」ギターとハープを習ったらしく、1930 年代に入るころにはすでにハウス・パーティに出て演奏できるようなレヴェルに達していたようで、次第に Baton Rouge 周辺でバンドとして演奏するようになっていきました。
ただし、レコーディングの機会にはあまり恵まれなかったようで、初めての録音は 1950 年代に入ってからのようです。

ただ、このひとについて判っているのはせいぜいその程度までで、あまり詳しい資料はいまのとこ存在していないらしく(その割りには画像が残ってるんですが)、人物像を掘り下げるには至りませんでした。
1994 年 1 月 9 日、Louisiana 州 Scotlandville で死亡しています。

およそ 25 度、とさほど暑くはないのですが日差しは強い中、午後になって少し走ってきました。レーサーではなく HARO F-1 ってゆう前後 20 インチの小径ホイールながらモノ凄い前傾ポジションのやつで、本来はアメリカでのサーキット・レース用のモデルだったようですが、ナマイキに六段くらいの変速機もついてますが、なんでか後輪のブレーキは「あんまりスポーツ走行向きとは言えない」ドラムブレーキの発展形(?)みたいな変なのがついてます。それでもその前傾姿勢と変速メカのおかげでママチャリなんかとは比べものにならないくらいのスピードも出ます。
それでも、レーサーよりは「ごっつ太い」タイヤのおかげで、未舗装路にも入って行けますから、田んぼのアゼ道、土手の上の砂利道なんてとこを意欲的(?)に走れる、ってワケ。



秋田県との県境を成す一帯からの降雨(および積雪の融水)を集め弘前の南の大鰐(おおわに)町の方から北上して来て、やがては岩木川に合流することになる平川ってのがあるんですが、その川(けっこう大きい)を渡れる橋は一応幹線道路になってますんで、そのときだけはそこを通りますが、渡ったらまた側道に逸れ、レーサーじゃゼッタイ無理!っちゅう石ゴロゴロ、野草だらけ、てなアヤしい道を気ままに走って、思いがけないとこに出てみたりするんですが、そうやって地理的に意外に思える相対関係に驚く、ってのケッコウ面白いんですよ。
ただ、タイヤの小ささと「恵まれた(?)車重」のおかげで、さすがにレーサーでならカンタン、てな程のキョリは稼げないので、あまり遠くまでは行けませんでしたが、それでも弘前市域から周辺の四つの自治体区分をまわって帰ってきましたよ。
でも、なによりイイのはコレに乗ってると「見るからに」レーサーでもマウンテン・バイクでもないので「ご同類に路上で遭遇することが無い」よって変に挑まれることがナイ!ってのが「とっても」気に入ってます。

さて、明日もこんな天気だったら、こんどはレーサーで、もすこし遠くまで走ってみよかな?⋯なんてことを書くと、決まって天気が悪くなるんだよなあ。
え?予報見てから書け?ごもっとも。
permalink No.780

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