Wasted Life Blues

Valerie Wellington

2004-06-19 SAT.



「嫌んなった」に続き、同じアルバム Life in the Big City から、思いっきりしっとり(誰だ!ねっちょり、だなんて言ってるのは?)と歌うスロー・ナンバーを採り上げましょ。

なんたって、イントロでいきなり芳醇なフレーズを散らしまくる Carlos Johnson のギターで、もう半分、腰は砕けかけちゃいます。
ドラムは手数を最小限に抑え、音量も絞って(ってのは Brady Williams が、じゃなく、プロデューサーの L. McGraw-Beauchamp のやったことなんでしょが)、カンゼンにバッキングに徹し(うう、うらやまし~っ!)、Nick Charles のベースは地表近くを控えめながらもメロディアスに旋回し、ヴォーカルのベクトルとはまた違った、もうひとつの流れを匂わせる⋯
Rico McFarland のサイド・ギターは意外と前面に出て来てるんですが、音群を吟味してあるせいか、決してムダに喧くはありません。

前半での Valerie のヴォーカルは、あたかも、過ぎ去った日々を回想するがごとく、内向きの世界を綴って行きます。
Carlos Johnson のギターが時には、それにささやかなレスポンスを与えるものの、あくまでも、自己完結的な静かな水面を保つ。
それが一転して、後半、一挙に「想い」が堰を切ったように溢れ出してくる「奔流」として、一気に走るこのコントラストが鮮烈な印象を与えます。

こうゆう曲をサラっと出来るよになりたいね。
メチャメチャ道は遠いけど。

進行はやはりタダモノじゃなく、ま、キーは A だと思うんですが、いきなり D になって、Dm から A に戻り、それが F#m に落ちる。D から E、そしてキーである A に帰って完結するんだけど、次ぎのコーラスのアタマでまた上がるために A7がターン・アラウンドとなっている⋯

え?いえいえ、ワタシじゃあ、ムリ。
こんだけの表現力を持ったヴォーカルなんて、「遥か高み」ってヤツでございますよ。
そりゃ、やってみたい、とは思いますが・・・


ところでネット関係で面白い(?)話題が挙ってましたねえ。
そ、ブルースとスーツの関係について、です。
ブルース演るときはスーツでなきゃ、ちゅう「どアホ」な主張するウスラトンカチの存在がきっかけでした。
おやおや、そんなこと言うとホンモノのブルースマンもその大半は「ブルース演る資格が無え!」ってことになっちゃうんだけど?
シカゴでのブルース・フェスティヴァルでのステージ、その画像を見たことありますか?
そんなこと言い出したら Albert King も Albert Collins も Gatemouth Brown も Lightnin' Hopkins もブルースマンじゃないワケ?
ンなことぬかしてるテメエの演ってる音楽(?)と彼らのを比べて「どっちがブルースだ?」

たぶんカネたっぷり稼いだ B.B. あたり見てスーツでなきゃ、なんて思ったんだとしたら「とんだ」大馬鹿野郎だぜ。
スーツなんぞ着てるヤツにブルースは歌えんよ。もっとも寝るときもそれ着たまま地下鉄の構内で横になってる、ってんなら別だが!ってのはトーキョー・ブルースの「こんなヤツにブルースは歌えん!」の一項でしたねえ。
スーツ着てることでオレたちゃあ別格だ!思いたいのかね? 音でそう思わせろや!

あ、ワタクシの立場を鮮明にしときますってえと、まず、スーツですが、自分が着たい時には着ます。
今日はなんか、スーツで決めたい気分だなあ⋯なんて日には着用いたしますが、「こんな場合はスーツでなきゃいけない」なんて「決まり」はございません。

とゆーか、ブルースではなく、ブルー「ズ」でなきゃいけない、なんてのと同様、〜でなきゃいけない!っての、一番嫌いなんですよ。
ワタシはブルー「ズ」と言っちゃいかん!なんてゼッタイ言いません。
だって、続く語によっては実際に濁る場合もあるんだし。
でも、「濁らなきゃいけない」なんてゆーひとには「それは間違ってるよ」と言いたい。

他にもよく聞きますよね、ブルースにゃエフェクター使っちゃいけない⋯ギターはセミアコでなきゃいけない⋯ XXXXのギターなんてブルースに使っちゃいけない⋯誰々のブルースは必ず聴かなきゃいけない⋯
バカなヤツほど「くっだらない条件(それも自分はクリアーできてることばっかね)」をあげつらって「だからオレはホンモノだ」と強弁すんだよ。
たかがニホンジンがホンモノのブルースマンになれるワケ無えだろ!

ワタクシ、ブルースを演るときにスーツを着ちゃ「いけない」なんて、ゼンゼン思っておりません。
でもね、着なきゃ「いけない」って言うのには「反対」です。
こと、ブルースに関して「〜じゃ(あるいは〜しちゃ、〜しなきゃ etc.)いけない」てなことを言うのは変だと思いませんか?
そんなカンタンに割り切れるもんでしょうか?

シンプルなシラブルは覚え易いしインパクトもありますが、真理からはほど遠い場合もあるよ。
その「〜いけない」なんて「タブー(?)の乱発」はブルースの本質とはまったく関わりの無いことのよーな気がするな(ブルースの精神に反する、とまでは言いませんが)。

まあ、なんだってそ〜だけど「くっだらないこだわり」でしか自分の存在を意味付けできないのならニンゲンとしてペケだろ。

permalink No.788

Search Form