Get the Mop

Henry "Red" Allen


2004-07-01 THU.

ジョン・リーから Magic Sam へとつながるギターをメインとした「高速」ブーギが存在する一方では、ピアノをメインとしたブーギ・ウーギ・ピアノから拡大発展したようなジャズ・コンボ寄りの「高速」ブーギってのがあるワケでして、この両者の間には、スピード的には似通っているものの、共通した「ビート」は無く、Magic Sam のそれが、見事ではあるけれども、ある種、「平板」な印象を与えるのは、そのへんのビートの扱い、Swing 感というか、柔軟さよりも、ソリッドなタイム感をそのよりどころとしているからではないのか?

なんて小ムズカシいハナシはともかく(言ってる本人もちゃんとワカってない?)、この「疾走感」!まず「ワンッ、ワン!」っちゅう犬の吠え声(だと思うんだけど)で始まる高速ビートは、もの凄~い「聴いたことある」感に襲われ、ん?と思ったら、そう!これは、あの我が最愛の American Cartoon!Tom & Jerry で、トムの飼い主のお嬢さんが週末のダンス・パーティが開かれる友人宅に出かけたあと、鬼の居ぬ間に、と近所のワル猫どもを呼び集めて留守宅で繰り広げるドンチャン騒ぎ、その場でレコード・プレイヤーから流れて、それに合わせてハメをハズすシーンの音楽にメッチャ似てるじゃないの!
もち、ちゃう曲なんですが、この「大騒ぎ」感がソックリざます。

ず~~~っと続いてるハイハット・レガート、まさに「これでもか!」っちゅう気合の入ったランニング・ベース(しかもこりゃ短距離走なみのスピードだよ!)。ピアノだって負けてられまへん、ここを先途と、鍵盤上を爆走いたします。ホーンだって、これ以上、スピード上がったら死ぬ!ってな切り返しの早いフレーズで刻んでいきます。サックスはまだいいとして、トランペットの Henry "Red" Allen なんてマウス・ピース系でこんな早いリフはタイヘンだろなあ?と聴いてるこっちが同情しちゃうよな突っ走りっぷりで、そんなのが全体を構成してるんですから、そりゃもう「息もつかせぬ」なんてコトバが似合いそうな、こっちはただ聴いてるだけなのに、なんだか酸素不足で呼吸が苦しくなりまっせ、そりゃ・・・って、ワザと改行せずに列挙いたしましたが、その感覚を少しは味わっていただこうと思ったんですが、いかがっしょ?

せっかく平和な眠りを楽しもうと自室(?)のベッドにいた Jerry クンが、こんな曲を大音量でかけられて、バカ猫どもが大騒ぎを始めるもんだから、とても寝てなんかいられない、「おのれっ!いてこましたる」と出て行く・・・ってなおハナシで、蟻さんがハンモックに誘導されてくハナシの次に好きな回なのですよん。
Tom & Jerry にはあのズート・スーツなんかも出て来て、当時の世俗の音楽やら、その周辺の関連した文化も盛り込まれてて(ま、白人からの視点であることは確かですが)、なかなか面白いのでございますよ。

さて、カンジンの Henry "Red" Allen でえすが、そんな暴走するバックに負けず声を上げておりますが、ま、どっちかってえと「歌」っちゅうより「合いの手」みたいなヴォーカルでして、やはり、この曲での主役は各楽器のガンバりぶりでございましょう。
コンジョーの座ったブローをかますアルト・サックスは Don Stovall。早い曲に必死で追いすがるトロンボーンは J. C. Higginbotham でございます。シャカリキで、でもなんだか楽しそうなピアノは William Thompson。もう、しょっぱなから走りまくるタフなベース(しかも、これ、たぶんウッド・ベースでしょ?)は Clarence Moton の力技。あのハイハットだけでも疲れちゃいそな「お元気な」ドラム、Allan Burroughs、っちゅうメンメンでございます。
録音は 1946年 1 月14日、New York City。

この曲を「まんま」パクって、白人のカントリー系シンガー Johnnie Lee Wills がヒットさせちゃいますが、裁判の結果、「珍しく」黒人のミュージシャン側が勝訴した稀有な例となったのは、どうやら有名なエピソードらしいです。

Henry "Red" Allen は 1908年 1 月 7 日、Louisiana 州の Algiers で生まれました。
ただ、その後の足取りは、いささか判然とはしておりませんで、間をトバすようでナンなんですが、1933年と 1934年は the Fletcher Henderson big band に所属しております。
1934年と 1935年には、すでに彼自身の名義で Vocalion や Parlophone、Banner などのレーベルに録音も経験してるみたい。
と、まあ、この経歴から見ましても、彼の場合はモロにジャズの比重が高いミュージシャンでして、そこら、バリバリの(っちゅうのもヘンな表現ですが)ブルースマンって言うのはキツいかもしれません。でも、いいんじゃないの?ジャンプ・ブルースの充分エリア内だと思うし(あ、でもこの When the Sun Goes Down シリーズの That's All Right の日本語ライナーじゃ S 氏が、この曲について、「ロックン・ロールのさきがけ」みたいな意味合いを当てておられますが、ま、事実、The Birth Of Rock & Roll Vol 4 "Rock The House" なんてアルバムにも収録されてはいるけれど、う~ん、一連の Louis Jordan の仕事に比べると、アタマっから否定するほどでもないけど、それほどまでとは感じられませんでしたねワタクシには。ま、感じ方は人それぞれだからいいんですけど。なんか、ズート、ストラット、ジャンプ・ブルースなんてゾーンの「確率雲」に含まれちゃうよな気がします。

このころの彼は並行して the Blue Rhythm Band というスタジオ・ワークをメインにしたバンドにも在籍しています。1937年から 1940年までは Louis Armstrong のビッグ・バンドに参加し、同時に彼自身のセクステットを結成してニューヨークのクラブ、Kelly's Stable などに出演するようになって行きました。このセクステットは途中メンバーの変遷などがありつつも 1950年代初頭まで続いています。ですから今日の Get The Mop も当然そのセクステットでの吹き込みとなるワケでございます(ね?数えると六人でしょ?)。

その後、1954年の 4月からは New York のクラブ the Metropole のディキシーランド・スタイルの(なんたってルイジアナ出身ですからねえ、って決めつけちゃダメなのねん)ハウス・バンドに所属し、1957年の映画The Sound Of Jazz にその姿を表しているそうです(そ、ワタシは観ておりません)。
1959年の秋には Kid Ory*の一員として、そのヨーロッパ・ツアーに加わっています。

*Edward Kid Ory ─ 1886-1973。もともとはバンジョー奏者でしたがトロンボーンに転向し、頭角を表します。1912年に組んだ彼のバンドは King Oliver や、まだ若かった Louis Armstrong、Johnny Dodds に Sidney Bechet、そして Jimmie Noone などが在籍したことで知られてますが、1919年には健康上の理由から California に移り、ついてきてた Mutt Carey も含め、新しくバンドを結成し、Kid Ory's Creole Orchestra として活動を開始。「黒人による初のジャズの吹き込み」を1922年に行いました。
1925年には Chicago に移り、様々なミュージシャンと演奏をしています。ただ、大恐慌の時期には仕事も減り、雌伏の時期を経験しますが、1940年代に入ってディキシーランド・ジャズの復興により息を吹き返し、1943年には Kid Ory's Creole Orchestra を復活させることができました。その後、1966年に引退するまで、ツアーやレコーディングを行っています。(このブルーの部分は昨年 9 月24日の Cousin Joe に記載したものの再録です!)


その Edward Kid Ory が引退した翌1967年の 4 月17日、Henry "Red" Allen はこの世を去りました。
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