More, More, "Memphis, Tennesse"

Chuck Berry


2004-07-20 TUE.

さてさて、前回も最後まで行けなかった Charles Edward Anderson Berry、そう、いわゆる Chuck Berry ですねえ。
まだやるのかい?って呆れられちゃいそですが、ま、音楽的な面での「語るべきこと」っつーより、その周辺部のエピソードみたいなもんで、彼を理解(?)する一助になるやもしれぬコトどもを追加しておきたい、ってワケでございます。

初回にも紹介いたしましたが、1948 年に結婚した Themetta "Toddy" Suggs( Toddy ってのは、南部の黒人奴隷を描いた小説『マンディンゴ』でしょっちゅう登場してた呑みもので、ウィスキーのお湯割りに砂糖を加えたものでございます。え?とんでもない、ワタシは試したことはございませんよ、そんな面妖なシロモノ⋯)との間に四人の子供を設け、その中のひとり、Ingrid Berry Clay はこれまた歌手となって、時によっては父 Chuck Berry ともステージをともにしたこともあるそうです。
残り三人については、手持ちの資料では確認することができませんでした。

母である Themetta "Toddy" Suggs ですが、Toddy なんてミドル・ネームは、もろアル中を表しているようにも思えますが、どーなんでしょ?
いえね、前回とりあげた少女の事件の後でも、Chuck Berry が巻き込まれる、いや、巻き起こすかな?そんな事件によって、そりゃ呑まずにゃおられん。てな感じだったんじゃないか?って気もいたしますですよ。

ま、この Chuck Berry についちゃ、ケッコウ詳細な資料が揃っておりまして、やろうと思えば、かなりかいつまんでアッサリした紹介も出来るんですが、ただねえ、イロイロと逸話があるのでございますよ、この方には。
で、それらのひとつひとつが晩年のこのひとのパーソナリティを作り上げているよな気がして、ハナっから、こりゃ一回じゃ終れないな、っちゅうフンイキでございました。
もちろん、いつもならドトーの 17 連載となった Screamin' Jay Hawkins のごとく、連続で「これでもか!」とやるところなんでございますが、コトがコトだけに、ちと「重い」んですねえ。書いてて、ちょと滅入っちゃう。
なもんで、間になんか緩衝材を置いて(なんて言うとワシら緩衝材かぁ~っ?てオコられるか?)、ちょっと一息いれて、また続き、っちゅうスタンスになるのでございます。
将来(ま、クチで言うだけはカンタンっすからねえ)アーカイヴとして統合するやもしれませんが。

と、ここまで書いていたまさにその時、Board After Dark に書き込みアリのお知らせメールが!急いで入ってみたら、ありゃりゃ~、これまたなんちゅうシンクロニシティ!
ちょうど Utam さんが Chuck Berry 日本公演、の思い出を書き込んでくださってました。
『渋谷公会堂で クールスが前座でした、あの時は 娘さんと Key To The Hiway やったりしてたんですが、それでも ラストの J. B. Goode の Duck Walk の時には時計を見てました。
(中略)横スタの時なんか、リクエスト受けて J. B. Goode、最初の 2、3曲目でやっちゃって、あと何やるんだ?と思った記憶があります。』─ by Utamさん

文中の娘さん、ってのが Ingrid Berry Clay なんですね。Clay 姓の男性と結婚してるんだけど、偉大な父の姓を間に入れても残してある、ってワケですね、たぶん。
これは有名女性の場合、結婚してからもこんなカタチで旧姓を残すことにより、連続性を保つのでございましょう。確かテニス選手のクリス・エバート・ロイド(エヴァートか?テニスにゃ詳しくないのでどっちゃか判りまへん)ってのもそれでしょ?
ま、それはともかく、そろそろご本尊の話に入んないとね。

彼が赦免されてシャバに出てきたのが 1963 年10月18日のことなのですが(前回、紹介したとおり、その収監中に数々のカヴァーが彼への注目を招いていたワケで)、その時期に、いまではもはや忘れられた存在と言っていいイギリスの R&R(?)ミュージシャン、デイヴ・ベリー*が、この Memphis, Tennessee をカヴァーして UK チャートのトップ 10 入りを果たしていたのでございます。これが Chuck Berry のカヴァー曲の中では、イギリスで最もヒットしたナンバーだったハズ。

*Dave Berry ─本名 David Grundy、1941 年 2 月 6 日、Sheffield 生まれ。
ドラマーだった父の影響で早くから音楽に親しみ、19才で地元のグループ(これがフツーのバンドなのか、あるいはコーラス・グループだったのかは不明です)に加入して歌いはじめ、後に Chuck Berry の曲に出会ったことによりその歌唱も大きく変わり、the Cruisers というバンドに加入した時、ついでに、芸名もそれにあやかって Dave Berry としています。
Sheffield の Esquire Club を拠点としていたこのバンドは次第に周辺では知られた存在となっていきます。このころ時折り一緒に演奏していたのが Joe Cocker なんだって。
その彼が Doncaster のクラブに出演した時、それを見に来ていた Mickie Most の目に止まり、その仲介でデモ・テープが持ち込まれた Decca Records との間で 1963 年に契約が成立したのです。
そして吹き込まれた最初のシングルこそが、この Memphis, Tennessee だったのです。
しかし、その大ヒットに続く作品はなかなか生まれず、その原因が、いまや彼のバック・バンドとなってしまっている the Cruisers のメンバーたちの「ウデの悪さ」にある、と考えた彼はそれ以後、レコーディングには彼らを起用することはなく、スタジオ・セッションにはジミー・ペイジ(!)、ジョン・ポール・ジョーンズ(!)などを投入し、the Cruisers には、そのプレイをコピーさせてライヴ専用のバック・バンドにしたそーです。ううう、似たよーなハナシが⋯

このカヴァーの方の Memphis, Tennessee の成功によって、Chuck Berry は Carl Perkins と一緒にイギリス・ツアーを行い、かの有名な "Duckwalk" もまた人気を博し、1964 年の夏には No Particular Place To Go が UK チャートの 3 位にまで上がり、彼にとっての UK チャート最高位をマークしました。

と、一方ではそのような栄光もありつつの⋯the Dark Side のほーなんですねえ、モンダイは。
Mercury から再び CHESS に戻ってきたとたん、その CHESS が GRT という会社に身売り、さらに Leonard Chess の死という波乱に見舞われます。
その Mercury に 1968 年に入れた My Tamborine がタイトルを My Ding-A-Ling に変えて、彼の初の、そして最後の No.1 ヒットとなったのですが、ロンドン・セッションからのライヴ・ヴァージョン Reelin' and Rockin' が 27 位をマークしたのが最後のチャート・インとなり、1979 年のアルバム Rock It をリリースしたあたりから、彼の身辺は訴訟沙汰によって騒然として来ました。

まずは脱税の罪によって短期ながらまたもや収監され、つづいては、もっと重大な、実に「不名誉な」事件が起きます。
それは、複数の女性からの訴えによって、なんと、彼の所有するレストラン、the Southern Air の女性トイレでの、ヴィデオ・カメラによる盗撮疑惑でした。なんだか日本でも、そんなコトしたっちゅうタレントがモンダイになってましたが、もしこれが事実とすれば、どえらいスキャンダルということになります。
これにまつわる長期に渡る法廷での係争は、彼に対するショー・ビズ界の、アイツはなにするか判んねえ、っちゅー「警戒」を強化してしまい、1980 年代半ばまで、実質的な契約が「渋られるようになってしまった」ようです。

それでも 1986 年には Rock and Roll Hall Of Fame の最初の選出者として殿堂入りし、ある程度の再評価が始まった、と言うことが出来るのではないでしょうか。
しかし、彼を巻き込んだ、あるいは彼が巻き起こした数々のトラブルが Chuck Berry という人間に、やはり他とは違うバイアスを与えているようで、そのイメージとして「扱いにくいヤツ」ってのが定着してしまってるように思えます。

さて、最後に彼の別な側面を・・・
好きな食べ物 ─ 牛肉、シーフード、桃、自家製のフライ、ヤムイモが原料のキャンディ(どんなものなのか想像もつきませんが⋯)、チリ、グレープ・ソーダ、オレンジ・ジュース、Snickers、オランダ風アップル・パイ(これまた、どんなのか不明)。
大っ嫌い ─ レヴァー、オクラ、ガンボ、セロリ、ニンジン、調理したタマネギ(つーことは水でさらしたオニオン・スライスなんかはへーき、っつうことか?)、グレープ・フルーツ、サラミ、リカー。
趣味 ─ 音楽の演奏(って、それ仕事ちゃうの?趣味?)、ソフト・ボール、Twenty Questions(たぶんクイズだと思う)、チェス(ってレーベルのほーじゃなさそ)、クロケット(うぷぷ、アメリカン・ナショナル・スポーツたるベース・ボール「野球」を外してクロケットとソフト・ボールを選ぶあたりにも彼らしい「屈折ぶり」が出てるよな気がしませんか?)、そしてハイウェイでのドライヴ(なんだか彼の最初の事件を思い出しちゃいますね)。

そして、好きなコメディアンは Lucille Ball だそう。
え?知らない?でしょうねえ⋯めっちゃ昔のアメリカの TVのシリーズ the Lucy Show( 1962-1968 CBS-TV )に出てたひとで、ワタシあたりはまだリアル・タイムで( 1965 年までの、まだモノクロのも!)見ておりますが、若い方には「なんじゃそりゃ?」でしょうね。

ところで彼の最新の(?)トラブルは 2001 年11月30日、かっての彼のピアニスト Johnny Johnson から、彼の曲は実質的に Johnson との共作である、としてそのロイヤリティの分配を求める訴訟を起こされた件でございます。

その彼に「安息の日(?)」が訪れたのは 2017 年 3 月18日のことでございました。

なかなかに音楽に対して貢献もしているのですが、まことに個人的なことながら、いまひとつこのひとを好きになれない理由ってのがフザケてまして⋯それはね、彼、いっつも 335 弾いてるんですよ。ワタクシまさに盲目的、と言っていいくらいソリッド・ボディのギターが好きですからねえ。まあ、フェンダーでなきゃ、とまでは言わんけど、せめて SG やレスポールだったらねえ⋯

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