Lightnin' Don't Feel Well

Lightnin' Hopkins


2004-07-30 FRI.


別にそれを意識なんかしてたわけじゃないんですが、二日連続のテキサス系ってことになっちゃいましたね。
そうは言っても Lightnin’ は Lightnin’ だし、Albert Collins は Albert Collins。この二人を「おなじテキサスだから」なんてまとめる、なんてのはキリンとハタネズミ、どっちも哺乳類!なんて括っちゃうのと似てるよね。

確かに地域で括るっちゅうのもベンリかもしれんけど、括られるほうはたまったもんじゃないでしょ。オ、オレはシカゴじゃねえっ!なんてね。
それより大事なんはそのブルースマンの個性なんですよ。
地域ってのがまったく音に反映されないってこともないでしょうが、だからっちゅうて全部それで括れるなんて思うなよ!がははははは!

さて、昨日を上回る加速度(?)で上昇する気温は、午前 9 時前に早くも 30 度をトッバしてるじゃないの!
ま、こんなにクソ暑いときは、部屋でゴロゴロしてるよりも HARO F-1 で、そと走りまわって「ドたっぷり」と汗をかくほ一がいい!ってんで走り始めれば⋯
垂直に落射する灼熱の太陽(あ、これはあくまでも「たとえ」ね。まだ午前中だから、太陽の位置からいって「垂直に落射する」ハズはないんでして。え?北回帰線より北なんだから真昼にだって垂直にはならん、て?まあそ〜なんですけど、そこら修辞学的っつうか大げさっつうか、ホラっちゅうか⋯)に、目の前の幅 30m のアスファルト道路がテキサスの砂漠に見え⋯るワケないか?ぎゃははははは〜

てな安直な連想から、今日のブルースは Lightnin' Hopkins が 1954 年に Texas の Houston で Herald に吹き込んだスローかつヘヴィなナンバーでございます。
なんでかワタクシの頭のなかでは、テキサス→砂漠→夏→クソ暑い→ Lightnin' Hopkins のスロー なブルース⋯っちゅう実に「安易」な回路が出来ておりまして、実際に Lightnin' のブルースを聴くと、熱によるカゲロウに揺らぐ、どこまでも続くアスファルトの直線道路、その左右には黄色っぽい砂漠が広がり、線路の枕木を杭のように並べて立てたのに有刺鉄線を張ったフェンスがこれまた延々と続くさまが「マボロシのように、あるいは白昼の悪夢のように」摇れている、てな「まるで見て来たかのような光景が」思い浮かぶのでございますが、もちろんワタクシ、テキサスはおろか、そもそも二ホンから一歩たりとも出たことがございませ〜ん⋯なはははは

ベース Donald Cooks と氏名不詳のドラムとの三人だけで吹き込まれたセッションは後に TKO/ Magnum UK EMBCD 006、Remember Me - The Complete Herald Singles として「総括」されるのですが、この曲に関して言えば、P-Vine の PCD-2732 Lightnin' & The Buddies にも収録されており、いずれも曲名が Wonder What Is Wrong With Me となっています。

ここで採り上げた表題は Herald 吹き込み時のもので、これを後にリイシューする際には、その唄い出しの取詞から Wonder What Is Wrong With Me として普及(?)していったもののようでございます。
1994 年にリリースされた Collectables の Lightnin' Hopkins The Herald Material 1954 では Lightnin' Don't Feel Well の方が使われています。

風の無い午後の陽盛りを思わせる(って、そう思うのはワタシだけかも?)エッジの立ったギターで始まるレイジーなテンボは、夏のヒューストンの炎熱が似合いそうな唸りとともに始まる内省的な重い歌詞を乗せて、ゆっくりと歩んで来ます。
ううう、夏じゃ!それもこってこてに熱い!(「暑い」を通り越してる⋯)

⋯やはり、こんなクソ暑い日に HARO F-1 で外を走ったりしてたもんだから、ちと感覚もヘンになってるのかもね?

ひところ、CD は「音痴」を作る、とか、音はアナログの方がいい、とか言うヒトいたでしょ。って今もいますけどね。
「音痴」の件は、実験の結果「 CD では正確な音高が聴きとれない」という主張が、その提唱者だけの現象だった事が判明しちゃいましたっけ。
さて、もうひとつの「音はアナログの方がいい」っちゅう主張ですが、そのためには「音がいい」とはどうゆう事なのか、ちゃんとした定義が必要だよね。

とりあえず「音」の記録という事で考えれば、「何も足さない」、「何も引かない」、「タイムを変えない」、「周波数成分を変えない」、というのが伝送系、記録系にとっての「いい音」のハズです。
しかし、オーディオ・マニアやギタリストが言う「やはり球のアンプはあたたかい、いい音がする」、はたまた CD やダウンロードした音よりも「昔のレコードのほうがいい音だ!」というのは「なんなのか?」。
つまりある種の固有の変調を「快い」と感じているんじゃないの?
あるいは周波数成分のバランスの崩れかたが好みなだけなんじゃないの?
また、アナログ・ディスク(つまり「レコード」やね)プレイヤーはモーターの回転にタイムを依存している以上、正確な再生速度が得られないのなら「絶対音感の生成」を阻害しているんじゃないの?

「音がいい」ってのはどうゆうことなのでしょうか?耳に快いのが「いい音」?それとも原音に近いのが「いい音」?
こうゆう音がオレは好きだ、ってのをタンジュンに「こっちのほうが音がイイ」言ってんじゃない?

アナログ派の人は CD の音をスカスカだ、とか嘘くさいとか言いますが、では、たった数千円の CD プレーヤーにつないだヘッドフォーンで聴く CD の音に匹敵する音質を、アナログで出そうとしたらいくら掛かるでしょ?

アナログ・ディスクの音溝に込められた全情報を完全に引き出す、と言われるプレーヤーだけですでにニヒャクマン近い価格です。CD ではサンプリング周波数の限界で、たしかに正確には「何も引かない」とは言えないのですが、アナログの場合、いくら高価なプレーヤーを使ったとしても、「何も足さない」ためには無塵室が必要です。
アナログ・ディスクをニヒャクマンのレーザー・トレーシング・プレイヤーで再生した音と、数千円の CD プレーヤーで再生した音が「比較の対象となりうる」ってこと自体、「どっちの音がいいか」の問題ではなく、「音楽をなんだと思っているのか」の問題でしょ。

その二つの再生システムの差額があれば、どれだけ音源が揃えられる?
あるいはライヴにどんだけ行けるか?という事なのですよ。
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