Hey Bartender

Tabby Thomas


2004-08-11 WED.


さて、Hey Bartender と言えば、そりゃもう「あの」ジョン・ベルーシ & ダン・エイクロイドをフロントに、マット・マーフィー、スティーヴ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダンにトム・マローンてなツワモノどもを配した一大プロジェクト(?)、Blues Brothers が真っ先にアタマに浮かぶのはこりゃもうとーぜんでございましょう。
あの、揃いの Men In Black そのままのスーツにサングラス、そしてハープがギッシリ入ったスーツ・ケースを手錠で手首とつなぐ、なんてえ演出も実にツボにはまって、あの当時はブルースなんてそれまで聴いたことなんてなかった人までも、Blues Brothers なら知ってる、っちゅ〜「ブーム」を巻き起こしたものでございました。

がっ!(と別にリキむほどのことではございませんが)ここでご紹介いたします Hey Bartender はそれとはちょっと、いえ、いささか、いやいや、そーとーに違っております。
あんなメリハリのあるビートの強い仕上がりじゃなく、むしろ 4ビート系の流れるようなバックに、これまた、けっこうメローでジャズィな(?)Tabby Thomas のヴォーカルが乗って、もっとバーっぽく(?)なっております。
でも、この Tabby Thomas はん、EXCELLO DBL28025 の THE EXCELLO STORY に収録されてる Hoodoo Party( 1962年 Crowley 録音、バックにはハープの Lazy Lester、ピアノの Katie Webster、そして歌えるドラマー Warren Storm ─Mama Mama Mama Look What Your Little Boy's Done Nasco 6015 ─ などがバック)では、もっとリズムの強いブレイクたっぷりのダンサブルな R&B 系ナンバーやってますから、それからすると、このツルんとしたテクスチュアはちょっと距離があります。

ただこのアルバム Swamp Man Blues( 1999年 Aim Records 1203 )は、そのタイトルにも関わらず(?)かなり総花的な、カントリー・ブルースっぽいのからステディなブーギ、さらにガンボっぽい(?)のまで、なんでも突っ込んである、みたいな作りになってるよな気がいたしますからねえ。
これも、どれ、タマにはバーの雰囲気でも、なんてノリだったのかもしれません。
そんなワケで、この Hey Bartender、あまりに Blues Brothers のとちゃう曲なんで採り上げさせていただきました(この Blues Brothers のアナログ・ディスク、今ちょっと借りてかれて手元に無いもんで記憶しか頼りにならず、明確に言い切るには不安もあるのですが、なんだかタイトルは同じでも「ちゃう」曲のよーな「気がする」⋯ヒョっとして Red Saunders and his Orchestra が 1951 年10月24日に Chicago の Columbia Studio で録音した Okeh 7061 の Hey Bartender だったりして?それだと Floyd Dixon じゃなく R.Hall & Saunders の作品つーことに⋯でも、それ聴いてないからなあ。机上の空論ってヤツでしょか)。

Ernest Joseph Thomas は 1929 年 1 月 5 日に Louisiana 州 Baton Rouge で生まれています。なんでか、子供のころは T-Boo と呼ばれていたらしく、それが後に Tabby となったもののようでございます。
祖父は地区の教会の創始者のひとりだったようで、その縁で彼も教会の合唱隊に加わるのですが、母は当時 Victorola を持っており、それで Son House などをよく聴いていた、といいますから、ここでも聖と俗の絶妙な(?)ブレンドがあったのでしょうね。

やがて高校に進んだ彼は McKinley High Panthers の QB(クォーター・バック)となったのですが、ここでのボール扱いの見事さ(ズルさ?)から Tabby(ぶち猫)と呼ばれるよーになった、と本人はインタビューで語っております。
この頃の彼はフット・ボールに人生を捧げる、くらいの気持ちになっていたそうですが、Good Rocking Tonight の Roy Brown を見たことで大きく方向を転換することになったのでした。 それからというもの、B.B.や Lowell Fulson の演奏に通い、どんどん感化されてったんでしょね。

高校を卒業後、彼は空軍に入っています。この間の彼は基地にあるフット・ボール・チームでクォーター・バックを務め、かつ、基地内のクラブで唄うことも続けていました。
後に配属された California 州 Riverside 基地での勤務を最後に彼は退役したのですが、その土地の居心地の良さから、西海岸にとどまったようです。
彼は San Francisco の、ミュージシャンが多く暮らしていた、と言われる Gary Street に住むようになり、そこで知り合った仲間に薦められてタレント・ショーのオーディションを受け、地元局 KSAN の DJ、Fatso Berry の目にとまり、そのまま Ellis Theater でのコンテストにも出場することとなりました。そこでは Etta James も打ち負かし、僅か 15$ の賞金ながら、グラン・プリを獲得しております。

当時の彼は靴屋の店員をしていたらしいですが、昼休みの時間に遊びに行ったスタジオでは Larry Williams がレコーディングをしており、ちょうどそこに居合わせたプロデューサーの Ollie Hunt が、前述のコンテストで優勝した彼に気がついて、一曲唄わせてみることにしたのでした。
この時の録音は Hollywood label RIH 237 Midnight is Calling / I'll Make the Trip( B面は次の日の昼休みに録音!)としてリリースされ、San Francisco のジューク・ボックスから流れ出すこととなります。この時、全部で 6 曲以上を吹き込む契約を結び、その対価として 150$ を獲得!
しかし、その直後、彼は未成年の女子との淫行によって有罪を宣告され、刑務所に収監されてしまいました。刑期は二ヶ月という短いものではありましたが、これを機に彼は西海岸を去り、Baton Rouge に戻ったのです。

ところで、その彼の西海岸でのシングル、RIH 237 の B面 I'll Make the Trip を自分の番組のテーマとして使っていた地元( New Orleans ね)の DJ、Ernie the Whip のおかげで、そこそこの知名度は保たれていることを知った彼は、西海岸以来の友人でブッキング・エージェントでもある Alex Shaw の助力を得て「酒」への依存も断ち切り、立ち直ることに成功したのでした。
そうして迎えた前述の Jay Miller による 1962年の Crowley 録音の Hoodoo Party ; Excello 2212 が彼の最大のヒットとなったのです。

しかしその後も彼は昼の仕事を続けたらしく(結婚 ─ 1953 年に Jocelyn という女性と ─ して子供が出来たもんだから、育てなきゃならん。苦しいときなんて、辻強盗しようか、なんて思ったくらいさ)、特に 1970 年代のディスコ・ブームでは Baton Rouge のブルース・シーンはすっかり下火になってしまったらしく、不遇の時代でもあったようですが、彼はそれに逆らうかのように空きビルを借りて「ブルース・クラブ」をオープンさせました。

この 1980 ( alt.1983 )年に出来た Tabby's Blues Box は、なんせド素人が始めた店ゆえ、酒類販売許可証の必要性すら知らず、それを教えてくれた客(後に彼の弁護士となった John Digillio )などに助けられ、それでも次第に地域に根を降ろして Tab Benoit のようなミュージシャンを生み出していったようです。
やがて、この店は Baton Rouge でも重要な存在となり、地元局 WBRH-FM に自分の番組を持つまでになりました。

彼の音楽についての自己紹介 ─"Semi-laid-back jump rockin' blues with a little touch of jazz in it"─ これにはホント笑っちゃいましたが、まさにこの Hey Bartender、この表現がピッタシじゃございませんか?

2002 年の 10 月には New Orleans で自動車事故のため重傷を負ったようですが、今では彼の息子、Blues-rock/rap fusion(なんじゃそりゃあ?)ミュージシャン Chris Thomas King の「父」として名前が出てくる時代になりつつあるようです。
ま、ワタクシはその Chris Thomas King っての聴いたことはないんですが。


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