Suitcase Blues

Sippie Wallace


2004-08-17 TUE.
昨年 8 月27日に Woman Be Wise を採り上げて以来ですから、およそ一年ぶりの登場となりました Sippie Wallace でございますが、前回は American Folk Blues Festival 1966 での Suitcase Blues をさしおいての選曲だったワケですが、今回のも、それではございません。AFBF 1966 のは彼女のヴォーカルが尖ってて、さらに Little Brother Montgomery のピアノがちょっと鼻についちゃいまして選に洩れてしまったのですが、今日のは 1982 年の吹き込みですから、いっちゃん最初の Okeh 8243 を New York で 1925 年 8 月25日に吹き込んでから実に 57 年後の再々(々が何個つくのかなあ?)吹き込みとなります。
1966 年あたりに活発に吹き込みを行い、いわば全盛期といってもよい作品も多数*残してはいるのですが、1970 年には発作を起こし、以後、車椅子での生活となって、活動は低下していました。

*─ Storyville の Sippie Wallace Sing the Blues や、リリースは実に 1992年になってしまった Alligator の Woman Be Wise に、同じくリリースが 1990年になった Drive Archive の Mighty Tight Woman(これは 1967年ですが)がすべてこのあたりに吹き込まれたアルバムです。

体の自由が利かなくなって第一線からは退いていた Sippie Wallace でしたが、彼女を敬愛する Bonnie Raitt によって機会を与えられ、1982 年に ATLANTIC に録音されたこのアルバム SIPPIE では、その Bonnie Raitt のバックアップもありますが、むしろ、「尖ってた」部分が丸くなり、独特の「枯れ」までが、彼女のブルースをより一層、味わい深いものにしているように思います。
特にこの曲など、前述の AFBF 1966 での録音と比較して聴いてみていただければ、ワタクシの言っている意味が判ってもらえるかも⋯え?そっちのほーがいい?いやあ、中にゃそんなひともいるだろうなあ、とは思っておりましたよ。
それもよろしいんじゃないでしょうか。そこら個性の違いってもんでして、なにもワタシのほーが「正しい」なんて言ってるワケじゃないんで。
どっちが好きか?なんてのは「論破」するべきもんじゃないんですよ。
さて、この曲ではもちろん Bonnie Raitt がスライド・ギターを弾いております。ピアノは Jim Dapogny。そして、この曲ではそのふたりだけが accompanists となっているのですが、他の曲ではその Jim Dapogny 率いる Jim Dapogny's Chicago Jazz Band( Russ Whitman のテナー、Peter Ferran のクラリネットにソプラノ・サックス、Paul Klinger のコルネット、Bob Smith のトロンボーン、Ed Wilkinson のベースあるいはチューバ、Rod McDonald のバンジョー、Wayne Jones のドラム)もバッキングに参加しております。
この曲、というかこのテイクをヘッド・フォーンでチェックしていただければスグ判ると思いますが、ムチャムチャ音がいいんですよ。
特にこのピアノなんて低音弦の伸びや立ち上がりなど、こりゃアップライトじゃないな?と思ってたら、ちゃんと書いてました。
Jim's Piano: 1905 Baldwin Concert Grand だそうでございます。スゴいですねえ。見りゃ判(らない場合も多いけど)るギターと違って、ピアノなんて、なんてえメーカーのなんてモデルか、ってのまで判るってのは(特にバッキングのはね)滅多ないんですが。

このアルバム ATLANTIC ATL 81592-2 Sippie には前回の Woman Be Wise も入ってるのに、なぜ選ばなかったか、ってえと、Bonnie Raitt のヴォーカルも入ってるからなんですよ。
もちろん Bonnie Raitt が嫌いってことはございません。しかし、やはり主役は Sippie Wallace ですからねえ、ケジメはつけないと。あ、それと、蛇足ではございますが、その Bonnie Raitt の You Got to Know Her ( Give It Up に収録)を Sippie Wallace が唄ってるの、これケッコウ面白いですよ。

録音は Michigan 州 Ann Arbor の Solid Sound Studio で 1982 年の 2 月14日でございました。

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