Grinder man Blues

Memphis Slim


2004-08-18 WED.
華麗なピアノに続いて、やや高めながら落ちついたヴォーカルが唄う

俺の名前は Memphis Slim、でもみんなは the Grinder Man って呼ぶよ

この Grinder man ってのがどんなスラングなんでしょね?
だいいち、グラインダーっての、ワタクシなんぞは、あのハンドルをグルグル回すと砥石で出来た円盤がシュ~ン!って回って、そこに刃物なんかをあてがうとハデに火花が散る、ってあのグラインダーしか思い浮かばないんですが、アメリカでも昔はあんなメカじゃなく、通常の砥石で前後にスライドさせて砥いでいたんでしょか?その砥ぎ師を「グラインダー・マン」って言ったのかもしれませんね。
だとすっと Cross Cut Saw 同様、その往復動作から連想されるセクシャルな意味合いをテーマとしてるのかもしれません。
だって、砥ぎ師だとしたら

俺は夜中にしかまわってないから、昼は見つけられないぜ

なんてヘンでしょ?

俺のお客はいっぱいいて、スケジュールもイッパイさ

なんてえのが、まあなんつーかその⋯

ただ、ブルースっての、「隠喩としてセクシャルなものを含む」ってとこにやたら反応して鼻息が荒くなる欲求不満オトコってのがタマにいまして、ナンでもカンでも、ハナシをそっちに持ってかないと気が済まない、なんて困ったちゃんが出没したりするんですわ。
でもねえ、そのセクシャルな隠喩自体が実は二重の隠れ蓑で、その先には白人至上主義に対する隠微な反感や、もっと強烈な対抗心から発する攻撃的なメッセージなどが潜んでたりするんですよ。
それを、表面的な興味だけでもって囃し立てられちゃ、いささかウンザリ、ってえもんでございます。

さて、この Memphis Slim さん、いままでご本人には一度もスポットライトを当てておりませんでしたが、実にまああちこちに登場されておるんですね。
去年 7月22日の Robert Nighthawk を始め、8 月11日の Little Walter、9 月 3 日の Freddie King、同じく20日の Matt Murphy、10月11日の Washboard Willie、12月16日の Jazz Gillum、今年 3 月 7 日の Brewer Phillips などのとこでそれぞれ交流があった、一緒にやった、知りあった、なんて形で登場しておるのでございますよ。
もちろんそれ以外にも Big Bill Broonzy やサニー・ボーイなどとの交流もありましたし、なかなか隅におけない存在なのでございます。

John "Peter" Chatman は 1915 年 9 月15日(あ、数字が 1 と 5 と 9 しか使ってないのね)に、そのステージ・ネームどおり Tennessee 州 Memphis で生まれています。
まさにブルースへの道を選ぶとしたらうってつけの土地( Tokyo-Blues の Blues Joke にも、「ブルースマンの資格」のひとつに「メンフィスで人を射ち殺してる」が挙げられてましたっけ)で生まれ育ったワケで、幼少期あたりのことはあまり判りませんでしたが、いつしかピアノに興味を持つようになり、それも Roosevelt Sykes がお気に入りだったようです。この頃 Robert Nighthawk とも出会っているハズ。1937 年には Chicago に移り、1939 年には Okeh へのレコーディングを経験しています。
⋯と各種の資料ではなっていますが、ちょっと待っちくれい。Okeh のレーベル名は 1935 年に一旦消滅しており、コロンビアによって再開されるのは 1940 年のハズじゃなかったっけ?というツッコミを入れるあなた、さよう、良くベンキョーしておられますねえ。
1 月24日の Too Much Stories で触れたとおり、1926 年11月11日にコロンビアに買収され、それでもレーベル名は使用され続けていたのですが、1934 年に、その Columbia Records ともども ARC-BC( American Record Company / Brunswick Record Company )によって買収されてしまいます。
そして、それによって(合理化の一環として?) 1935 年には一旦 Okeh というレーベルは地上から消えてしまったのでした。
しかし、その ARC-BC 自体もまた 1938 年に William Paley の the Columbia Broadcasting Systems(そ!お馴染みの「 CBS 」!)によって買収されちゃったのね!
で、ハナシはちと遡るけど、1931 年に ARC-BC に買収されてた Vocalion が Okeh のかわりみたいな存在だったワケです。それが CBS による買収後、整理されてしまうこととなり、それじゃ、ってんで「復活させられた」のが第二次(?) Okeh レーベルってワケ。

つまり、1939 年の録音当時はまだ混乱期(?)で、リリースされた 1940 年には Okeh の名が使われていた、っちゅうことじゃないでしょか。
でもその 1940 年には Bluebird(いわば Columbia からライヴァルの Victor 陣営にチェンジ!)と契約してるんですよね。そしてそこからは Big Bill Broonzy との共演の時代でもあります。
この録音は 1940 年10月30日、シカゴの A スタジオで行われたものです。

そして第二次世界大戦が終了する前の 1944 年までは Big Bill Broonzy との活動も続いています。
戦後以降の彼については、また別な機会に採り上げることといたしましょ。

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