You Left the Water Running

W. C. Clark


2004-08-20 FRI.
この W. C. Clark がひところ、あちこちのサイトでずいぶん話題になってたのって、去年のパーク・タワーの時でしたっけか?
なんだか、スグにでも日本に呼ぶんじゃないか、ってな勢いだったと思いますが、いつのまにか鎮静化しちゃったのは、[日本での知名度] / [招聘するコスト]のバランスがキツかったからでしょうか。
確かに、一部では盛り上がっていましたが、さて、1970 年代の日本における第一次ブルース・ブーム(?)の洗礼を受けた世代にとってはどうか、ってゆうと、う~ん、それほど知られた名前とは言い難いでしょうね。
40 代から 50 代のブルースマニアたちは、例えばシカゴ系のビッグ・ネームには良く反応しますが、それ以外にはケッコー冷淡だったりします。
この W. C. Clark も Texas 州 Austin ですから、そこらいまひとつなのかも?

この曲はもろ、コーラスをメインにした、ゴスペル的なスタイル(と言っても、あたしゃ、それほどゴスペルに詳しいワケじゃないんで、ワタクシには「ゴスペル」と感じられる、ってな意味と思ってくださいませ)で、まるでバプティスト・チャーチの中で聴けるよな(って、これもイメージでございますが)コール&レスポンスがかなりなクォリティで繰り広げられております。
そして、時折り聴こえるフェイズ・アウトしたトーンのリード・ギターは W. C. Clark 自身によるものだと思うのですが、なんだかソリッドっぽい音やねえ。
ま、セミアコでも出んことはないでしょが、どもイメージちゃうなあ。
それに、このジャケットの写真で抱えてるギター、フィンガー・ボードのインレイだけ見ると Gibson ES 345TD に見えますが、でもそれにしちゃカッタウェイのホーン部分が、かっての Greco MR に近い寸詰まりのようなアヤしさがあります。Ibanez くさい!
なんたってこのひと、他の画像でも一見 ES 335、でも上のホーンにセレクター SW. がある、ってゆうゼッタイ 335 じゃありえないギターや、レスポールの DC の上のホーンだけ伸ばしたよな(ヘッドは Mr.Big のゴリラ・・・うっぷす、ポール・ギルバートのヘンなオフセット・ボディのギターのに似たカタチ)ミョーなモデルや、一見レスポールだけど、上のノン・カッタウェイ側がテレキャスターみたく、少しネック側に膨らんでたり、とワケ判らんギターばっか持ち出してくるのよね〜。

でも、この音はなかなかワタクシの好みの音でございますよ。
Clarence Gatemouth Brown のノン・リヴァースの Firebird による Got My Mojo Workin' みたいな、ギブソン系のハムバッキングによるフェイズ・アウトっぽい音ってのも実はかなり気に入ってるんですよ。
てなワケで、このアルバムでは実際にどんなギター使ってたのか?はさっぱり判りません(たぶん Ibanez?じゃないか、と思うんですが)。
サイド・ギターは Derek O'Brien、オルガンは Riley Osbourn、Larry Fulcher のベース、Tony Braunagel のドラム、そして Texas Horns。
W. C. Clark と互角(あるいは互角以上に)わたりあっている女性ヴォーカルはマルシア・ボールです。

1939 年11月16日、Texas 州 Austin で、典型的なミュージシャン一家の一員として生まれた Wesley Curley Clark は、ギターを弾く父、そして歌を唄う祖母、母、姉妹たちによって当然のように聖歌隊に加えられ、そこでの音楽的素養が大きく彼の方向を決めたのではないでしょうか。そこで彼はギターを弾くことを覚え、16 才ですでに the Victory Grill(たぶんグリル、とあるので食事も出来る店だと思う・・・)で最初のギグを経験しています。
ただ、そこで T. D. Bell のバンド the Cadillacs と知りあった彼はベースに転向して、そのバンドに加わりました。
1960 年代に入ると今度は Blues Boy Hubbard の the Jets に入って Austin の Charlie's Playhouse などで演奏しています。そこで、欠員だったギタリストを探していた Joe Tex の目に止まり、ツアーに連れ出されました。

やがて Austin に帰ってきて(その以前から作っていたけど休眠してた)自身のバンド、Southern Feeling(そこには Angela Strehli と Denny Freeman も)で Austin から西海岸一帯までをツアーしたりもしたのですが、やがてバンドのメンバーの方向性が微妙にズレて来はじめ、ついには解散してしまいます。
そこで彼が作ったのが、今も続いている the Blues Revue でした。このあたりで彼は、Austin のミュージック・シーンがちょっとばかり様変わりして来ていて、ブルース・クラブに白人のガキ・・・うっぷす、若者が出入りしてブルースをやりたがっているのに気付きます。

その一例がスティーヴィ・レイ・ヴォーンで、インタビューによれば彼のところに押しかけてきて、熱心に誘われたことによって、結婚したばかりで金が必要だったこともあり(?)一緒にやることを承知しました。
このときのメンバーは S.R.V.、Mike Kindred、Freddy Walden、Lou Ann Barton(ただし、これが the Blues Revue のメンバーだったのかどうかは確認しておりません)で the Triple Threat と命名されました。
そしてそのバンドで彼の初吹き込みが行われたらしいのですが、そのマスターの行方は彼にも判らないようです。本人の記憶ではたぶん 1982 年じゃなかったかと・・・
S.R.V.と別れた後の 1986 年(あるいは 1987 年)に吹き込んだアルバムが Something for Everybody で、以後 1990 年代の前半までに、Anton's での定期的なギグや、全国的スター( B.B.やら J.B.そして Albert King など)のオープニング・アクトを務めるようになって行きました。

その彼が全国に知られるキッカケとなったのが、あの PBS-TV による Austin City Limits において、1989 年に彼の 50 才の誕生日を祝うために S.R.V.、Jimmy Vaughn、Kim Wilson、Lou Ann Barton、Angela Strehli、Will Sexton が一堂に会し、地元の熱狂的なオーディエンスに迎えられたシーンだったのです。
やがて彼は Mark Kazanoff によって Black Top Records に紹介され、1994 年 Heart of Gold、1996 年には Texas Soul、1998 年には Lovers Plea' をリリース。あ、その前に 1997 年には New Orleans Jazz & Heritage Festival にも出てますね。

2002 年には Alligator から From Austin with Soul をリリース、そして 2004 年、この Deep in the Heart をリリースしています。

W. C. Clark、日本に来るかなあ?

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