Meets the Guitar

Buddy Guy


2004-08-27 FRI.
1936 年 7 月30日、Louisiana 州の Baton Rouge から北西におよそ 80km、States Highway 61、84、167 と National highway 10 に囲まれた南北に長い矩形のほぼ中心に位置する綿花栽培地帯の農村 Lettsworth の、白人地主 Feduccia 家の農園で働く小作人(かつ木こり)、Sam Guy と Isabell Toliver の間に George Guy は生まれています。
どうやら先日の Jelly Roll Morton 同様に、父母は正式な婚姻関係にはなかったようで、ただこちらは母が別なオトコと結婚した、なんてこともなく、父と行動をともにしているところが違いますね。
いよいよ出産が近付いたとき、Sam Guy は二人の娘( George の二人の姉、Annie Mae と Fanny )に母を見ているように言いつけて、自ら馬をトバし、姉二人に George、さらにその後に生まれて来ることになる弟たち、Sam Jr. と Phillip もすべてとりあげることになる助産婦の Lucy Lewis を迎えにいったのだとか。

George Guy ─後の Buddy Guy によれば、「少なくとも、綿花のプランテーションをやろうってんなら、あのくらいそれに向いた土地はないよ。たまには旱魃で作柄が不良な年もあったけど、そんな時でも地主からは月に一樽の小麦粉と調理用のラードが支給され、飢え死にするよなことはなかったね」⋯
雇い主によってはもっと悲惨な生活を強いられていた黒人の小作農も多かったことを考えれば、彼のいた農園は「恵まれた」環境であった、と言うことが出来るかもしれません。
したがって幼い頃の彼は、白人農園主の息子などとも一緒に遊んでいたようで(さすがに、成長するにつれて疎遠にはなっていったようですが)、さほど人種の「壁」を意識してはいなかったようです。

さて、上に姉がいる、という「長男」によく見られるように、なかなか甘ったれのゴネ男クンだったようで、日曜日の「お出かけ」中でも、ちょっと気に入らないことがあると、ダダこねて道の真中だろうがどこだろうが構わず泣きわめき、要求が通るまでテコでも動かないっつー、かなりの「クソガキ」ぶりだったようでございます。
10 才のときには早くも自分の銃を手に入れ、害獣駆除の名目で麝香鼠、アライグマ、フクロネズミなどを撃ち、それと釣りで得た魚が貴重な動物蛋白質ともなっていたそうです。
それが無ければ、一年で肉を口に出来るのはクリスマスだけだったと。

生活そのものは、朝、明るくなったら綿花を摘み始め、それが日没まで続く、というきわめて単調なもので、100 pounds の収穫に対して 2 ドル、という相場だったようです。
この 2 ドルという対価が不当に低いように思われるかもしれませんが、もっとヒドいとこでは、対価が、雨露をしのいでかろうじて寝られる小屋と、日々の(それも粗末な最低限の)食事だけ、なんて待遇が「当然のように」まかり通っていた時代があったし、いえ、この同時代にだって、ところによっちゃ「まだ」あったかもしれないことを考えればズイブン恵まれていたと言えるかもしれません。

さて、Georgeクンはいくら手伝っても、それは両親の収入となるのですが、土曜日の朝だけは、どうやら他人の畑に忍び込んで「摘んできた」分(それってドロボウじゃ?)を小遣いとして貰えたらしいですが、そうして稼いだおカネは殆ど、ナッシュヴィルの WLAC で Gene Nobles が DJ をしていた音楽番組を提供していた Tennesse 州 Gallatin の通販業者、Randy Wood の Randy's Record Shop から、一枚 69 から 79 セントの 78 回転のレコードを取り寄せることに費やされたようです。

ただ、実際に彼の家に電気が引かれたのは 13 才か 14 才のころだったと言いますから、それらの SP は当然、手巻きの蓄音器によって再生されていたのでしょう。
その電気も、それを引くために、一年がかりでカネを溜めて、よーやく一個の電球が部屋の真中にぶら下がるようになったそうですから、Radio や電蓄を買うとなると、容易なことではなかったと思います。

そうして手に入れた最初のレコードは John Lee Hooker の Boogie Chillen だったそうで、そのギターの音にシビレた彼は、自宅の入り口にドアとは別にある「虫よけのスクリーン」を張った枠に目をつけ、そこにワイアーを張って、ペンキの缶を共鳴胴として使うことを思いつきます。
その音は充分に彼を満足させるものだったようですが、おかげで湿地帯特有の雀ほどもある(!んなアホな!と思いますが、まあ、ゼッタイそんなもんおらん!とは言いきれませんしねえ・・・ま、当時まだ小さかったころの Buddy Guy の眼にゃあ「雀」くらいの大きさ、と映ったのかも?)デッカい「蚊」が家中に侵入してしまい、父に大目玉を喰らったらしいですよ。
それでも、父はただ禁止するんじゃなく、どっかからアコースティック・ギターを調達してきてくれて、これからはそれを弾くように、と厳命したのでした。
しかし、あんまりウルサかったんでしょか、家族から苦情が出て、ギターは家の外で弾く、という決まりに従うしかなかったとか。

そーなんですよ、なまじアコースティックだと、かなり音がデカいですからねえ。
それも練習中でまだモノになってないギターなんぞ四六時中かき鳴らされた日にゃあ、いくら家族でも、いや、家族だからこそか、とてもガマンなぞ出来るもんじゃない⋯
しかも、この時は日がな一日、バカのひとつ覚えよろしくBoogie Chillen ばっか練習してて、左手の指がそのフォームで固まりかけたそうですから、ホント家族にとっちゃあエラい災難だったことでしょう。

そんなジョン・リーにどっぷりだった彼っての、ちょっと想像出来ないかもしれませんが、それがこんな(って「どんな」じゃ?)ギタリストになっちゃうんだからオモシロいもんです。

ということで、幼いころの、彼とギターとの出会い(?)を紹介いたしましたが、続きは無いかもしれません。
一見、ちょうどキリのいいとこで「つづく」となった感じですが、以前の Screamin' Jay Hawkins みたいなことにはならないと思うのでご安心を(?)。
Buddy Guy はなんと言っても Screamin' Jay なんぞとはケタ違いの「有名人」でございますから、ゼヒともワタシがやらねば、なんてテンションが「さらさら」ございません。
それに今日の「子供時代の」エピソードこそ、興味が持てたんですが、Chicago に上ってブルースマンの階段を着実に登り始めてからのことは、いろんな資料でみなさんもご存知のことでしょうし、さほど「熱く」なれないのよねん。

てなワケで、ちょっといつもとスタイルは違うけど、昨日のを補足するよなスペシャル・ヴァージョンでございました。

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