Meets the Boys Buddy Guy 2004-08-28 SAT. | なんとはなしに資料を眺めてますってえと、「自分にとって」面白いところ、ってのが自然と立ち現れてくることがあります。 たいてーは、どうってことない、ちょっとしたエピソードだったりするんですが、それがミョーにココロに残ったりするんですよねー。 昨日も、Buddy Guy とギターとの最初の出逢いってとこで(ま、ホントはその前のダダこねるとことかもなんですが)蚊除けのスクリーンの件がとても印象的でした。 でも、ワタシにとっちゃ、「雀ほどの大きさの蚊」ってのが、どーにも気になって仕方ないんですが、アメリカの「巨大蚊(?)」としては洪水後に発生する「プロソフォラ・シリアタ」とゆう普通の蚊の二十倍ほどの大きさで、刺されると痒いよりも刃物で刺されたような痛みを感じる、通称「ガリニッパー」ちゅうのがいるらしいんですねえ。 ただし、ネット上の記述でも体長が普通の蚊の20倍くらい、その拡大率を全体に当てはめると蚊の羽の長さがおよそ 5cm から 6cm、なので羽を広げると 10cm を超える可能性もある⋯ でもね、所詮は「蚊」ですからカラダは細いし羽だってけっこうチャチなんですよ。まあ、個体差ちゅうバラつきの範囲を考えてみても「雀ほどの大きさ」とは「とても言えない」っちゅう気はするんですが、でもそれだって最近の研究では、っちゅうだけですからね。 あの信じられないほどの大群でアメリカ大陸を飛び回ってたアメリカリョコウバトですらニンゲンによってゼツメツしちゃったんですから、禍々しい本来の「巨大蚊」も絶滅しちゃったのかもしれない⋯ そしてもひとつ、彼とエレクトリック・ギターとの出逢いってのもまたちょっと印象的なんですよ。どうってこと無いハナシ、と言っちゃえばそれまでなんですけど。 どうやら Buddy Guy の少年時代ってのは、白人の子供たちと一緒になって遊んでいたようで、それは例えば農園主の Feduccia 家の息子 Craig だったり、雑貨屋の倅 Huey Arteigo などで、連れ立って乗馬を楽しんだり、野球したりしていたようです。 そんなある土曜日の朝、またしてもつるんでいたところに、クルマにギターと小さなアンプを積んだ男が現れました。 Buddy Guy は「これなに?」と、そのおっちゃんに尋いたところ、そいつ、Otis Hicks─つまり Lightnin' Slim は、「こりゃおめえ、エレクトリック・ギターだぁ」と教えてくれたそうです。 そしてそのギターで弾き始めたのがBoogie Chillen' ! ところで、その白人の友人たちとの友情も 1950 年代初頭の南部にあってはやはり維持することが難しかったらしく、18 才になったころには(親たちの意向もあって)自然に消滅していったのでした。 しかし、その二年後に彼が Baton Rouge に移ったとき、彼のために Welcome Party を開いてくれた中に、懐かしい Craig Feduccia がいたそうです。 Baton Rouge ではガソリン・スタンド(アメリカじゃ「ガス・ステーション」?)で働き、McKinley Senior High School の卒業を目指して学資を稼ぎ始めたのですが、母が発作で倒れ、弟の学費も稼がなければならなくなったために、彼自身は学校を辞めています。 どうやら経済的には恵まれてはいなかったのでしょうが、人の縁には恵まれていたと言えるのかもしれませんね。 少年時代の二人の白人の友人との交友ばかりではなく、彼が育った農園の主人にしたところで、もちろん人種差別は「当然のこと」としてあったでしょうが、もっとシビアなケースと比較すれば遥かに恵まれていた、と言って良いでしょう。 それらの経験が彼の基本的な性格をフレンドリーなものにしたのかもしれません。 ま、誰とは言いませんが、苦虫を噛みつぶしたような表情で、バックとも溶け込めず、仏頂面で演奏して青森の聴衆を面食らわせた「あのヒト」なんかとはまことに対照的、ってもんでございますよ。 ま、いつまでも Buddy Guy ばっかやってると、ヒかれちゃうかもしれないんで、ホント、このくらいにしときましょね。 なんだかんだゴタクを書いたとこで、彼のプレイを好きじゃない、って人が「思い直して」好きになってくれる、なんてワケもないし。 あ、そうそう、先日『それにしても、Buddy Guy のライヴでの姿勢をとやかく言う前に、自分がそれ以上の客を集められる、いえいえ、Buddy Guy も「聴きにくるよな」ブルースマンになってみなはれ。』と書きましたが、それは、自分でもブルースをやってる人に対して言ってるんであって、聴くだけのひとは好きなこと言ってていいと思います。 だっておカネ出して楽しむのが目的なんだから、それが満たされなきゃモンク言うのは当たり前なんじゃないのかな。 こないだ、PRIVATE EYE のケイジさんが、サイトである噺家さんに辛口のコメントを献じたところ、当のご本人がお店においでになって、ちょっと気まずい思いをされていたようですが、でも考えてみりゃ、客が演者について希望やら批評なりを発言するのは当たり前なワケで、そりゃそれでカネとってる以上、言われても当然だと思いませんか? っちゅうワタクシにしてからが、橘の円っちゅうプロの噺家の映像みてかなりけなしてますけどね。それって聞かされる側の特権だろ、思ってますから。 ただ、愛好会みたいな集まりで和気あいあいとやってるのを、プロと同じよな基準で判断してシビアなダメ出しなんかしちゃいけないのはモチロンです。 でも、それでカネ稼いでるからには「言われる」のも仕方ないんですね。 ただし、お客さんたちの要望なり志向がかならずしもみんなシンクロしてるワケじゃありません。あちら立てればこちらが立たず、みたいな状況は常にあることでしょう。 そんな時、どのベクトルを選ぶのか?は、あるミュージシャンにとってはカネのモンダイだったり、また、信条のモンダイだったりすると思いますが、そこがホントの自己責任と言うものでございます。 Buddy Guy だって、そのライヴに対するイロイロな不満について聞いてはいると思いますよ。でも、ワタシには、「そりゃ、キッチリやることもいいけど、もっと違う楽しみ方がある、ってことを感じて欲しい」、って言ってるような気がします。 え?考え過ぎ?・・・だははは、そーかもしんない! |
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No.857