Ahmet, Jerry & Nesuhi

Atlantic Records


2004-09-06 MON.


1965 年、Ahmet Ertegun は白人のデュオ、Caesar and Cleo と契約しました。その二人によるナンバー I Got You Babe は芸名をやめて Sonny & Cher の名前でリリースされ、ナンバー 1 ヒットとなっています。
Ahmet はさらにその興味をイギリスにまで広げ Cream、King Crimson、Yes、そしてBee Gees などともサインをしています。
やがてそこにはヒット・メイカー、Led Zeppelin も加わり、さらには Rolling Stones に彼ら自身のレーベルを与える替わりに、その配給権を ATLANTIC が押さえることで「いい稼ぎ」を確保するようになります。
このようなロック方面の取り組みはアメリカ国内でも動き始め、the Rascals( 当初は Young Rascals だったハズ)や Buffalo Springfield( 1968 年には解散するが Stephen Stills が残る)を獲得しています。

1967 年、ATLANTIC の首脳陣のもとに Warner Seven Arts Corporation から ATLANTIC を「買いたい」という打診を受けました。彼ら三人は買収後も ATLANTIC ディヴィジョンで高位のポストが用意され、その保有株式を総額 1700 万ドル(当時の為替レートで邦貨換算すると、およそ 60 億円!!)で買い取る、と。
こんなウマい話はそうそうあるもんじゃないですからね、当然(?)三人はこの申し出を受け入れました。
ん?しかしちょっと待ってよ。昨日の STAX のとこで『 1965 年、Jerry Wexler は Jim Stewart に、ATLANTIC 自体が「売却」される可能性があることを告知し、そうなった場合でも、「 STAX を保護するために」成文化しよう、と提案しています。』とありましたよね?
さあ、これはこの日を見越しての発言だったのでしょうか?
う〜ん、こうゆう経済カンケーの「裏面」はなかなか真相に辿り着くのが難しいんですよねー。ご当人が死んで、だいぶ経ってほとぼりも冷めたころ、昔の側近なんかが「実はあの時」なんてバラしでもしないかぎりヤミに葬られるのがフツーですから。
Jerry Wexler がホントのことを言ってたとしても、それはこの Warner Seven Arts Corporation ではなく、他の企業体、それこそ、ATLANTIC に裏切られた STAX がその下に入ることとなった Gulf and Western みたいなところだったのかもしれません。
ただ、そんな話があったことを口実に、それまで曖昧だった STAX との関係を、有利な方向で成文化して将来に備えた、という戦略的な意味合いをそこに見ることも出来ます。
どちらにしろ、ATLANTIC をここまで支配してきた三人にとって、この Warner Seven Arts Corporation 傘下に入り、 Warner Brothers & Reprise Records と伍して、ATLANTIC & ATCO レーベルを運営してゆくことになったことで、ひとつの時代が終わったのでした。

その年の 12月10日、一機の Beachcraft が Wisconsin 州 Madison の Lake Monona に墜落し、そこに乗っていた Otis Redding と The Bar-Kays のほとんどのメンバーが死亡する、という悲劇が起きました。
その衝撃もまださめやらぬ翌 1968 年、STAX の Jim Stewart は、彼が 1965 年に署名「してしまった」協約によって、そのままでは未来永劫、隷属的な立場が続く、ということから、「将来、ATLANTIC が他者によって買収されたような場合には再交渉するものとする」の一節をたよりに条件の改訂を画策しましたが、当初の、「今後製作される楽曲を 5000 ドルで買い取る」という ATLANTIC の申し出を受けてしまったことは覆せず、逆に、より有利な(というより「理に適った」)配分率を主張するのであれば、そのかっての ATLANTIC に「売り渡した」すべての楽曲の所有権はおろか、使用権すら放棄するしかない、という窮地に立たされてしまったのでした。
ケッキョク彼はそれらの権利すべてを放棄して Gulf and Western の傘下となることで再起を謀ることを選びました。

この件に関して Jerry Wexler はその自叙伝の中で、ATLANTIC の顧問弁護士 Paul Marshall が、彼の知らないうちに挿入していた一節(売り渡す件ね)によって Jim Stewart に壊滅的な打撃を与えてしまったのだ(つまりワシゃ知らなかったんじゃ、ってワケね)、と主張しています。
いわく、「Jim Stewart が自分のスタジオで製作された楽曲について所有権を確保するのは当然のことであり、それがこのようなことになってしまい、まことに申し訳なく思う」⋯さらに Jim Stewart の意向を生かしたい、とは思ったが、すでに実質上の経営者ではないし、いまや彼の上に君臨する Warner Seven Arts Corporation の経営陣を説得することが出来なかった、と自責の念をこめて(?)語っているようですが。

Warner Seven Arts Corporation の下で ATLANTIC / ATCO グループと Warner-Reprise グループはそれぞれ独立性を保って共存してきたのですが、1969 年、Warner Seven Arts 自体が、巨大コングロマリット(駐車場、レンタカー事業、ビル清掃業、図書流通業から葬儀サービスまで)の Kinney Corporation によって買収されたことによって変化することとなります。
それによって Ahmet Ertegun にはさらに重要なポストが与えられ、レコード・ビジネス全体を統括する立場となりました。
その最初の成果は ELEKTRA Records の買収で、これによって Kinney Corporation の中でもレコード部門が、それ自体で採算の取れる独立した事業部となって行きます。
ここに Warner-Elektra-ATLANTIC、WEA が完成したのでした。
それぞれのブランドは Warner なら Mo Ostin と Joe Smith、Elektra Records なら Jac Holtzman、そして ATLANTIC ではもちろん Ahmet Ertegun によって運営され、互いに競い合うことでさらに発展して行った、と言えるでしょう。
このように同業他社をムリに統合するのではなく、販売面でこそ統一戦線(?)化して経費を合理化しつつも、製作面では独自性を活かしたことでお互いが活性化する、という結果をもたらしたのかもしれません。

Ahmet Ertegun は1996 年に副社長に退いて、その権限も縮小されることとはなりましたが、彼こそが ATLANTIC Records そのものであり、重要な存在であることに変わりはありません。

Jerry Wexler(本名 Gerald Wexler )は1975 年に ATLANTIC Records をリタイアしていますが、それには 1969 年のある事件が影を落としているのかもしれません。
1968 年には解散してしまった Buffalo Springfield ですが、その翌年、ATLANTIC Records に残った Stephen Stills のマネージャー David Geffen が、Stephen Stills を解放してほしい、新しいグループを作って COLUMBIA Records からデビューさせたい、という話を持って来たのですが(ま、考えてみりゃ非常識な「お願い」ではありますよねえ)、Jerry Wexler は当然のごとく激怒して部屋から追い出したそうです。
ところが David Geffen は翌日、Ahmet Ertegun と連絡をとり、そこで Stephen Stills を COLUMBIA Recordsに「拉致」するかわり、ATLANTIC と契約するように説得されました。おそらく相当な好条件を提示されてのことだったのでしょうが、ATLANTIC にしてみれば、まんまと引き止めに成功し、Crosby, Stills & Nash という金儲けのタネを確保したワケですが、この一件で Ahmet との間に溝が生まれ、その不信感による断絶は埋め難いものとなっていったようです。
こうして ATLANTIC を離れた彼は自由にプロデュースをしてみたり、ミュージシャンに色々なアドヴァイスをしたりしていたようですが、現在では Florida で暮らしているそうです。1993年には前述の自叙伝 Rhythm and the Blues を刊行しました。

Ahmet の兄、Nesuhi Ertegun は 1987 年にリタイアし 1989 年に死亡しています。71 才でした。

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