Did You Ever Loved a Woman

Rufus Thomas


2004-09-07 TUE.


昨日までやってた ATLANTIC にからんで、っちゅうワケじゃないですが、今日のブルースは、1962 年、STAX のスタジオで Jim Stewart のプロデュースで録音されたこのナンバーです。

全体としてはややミディアム寄りのスロー・ブルースということになりますが、なにより Rufus とっつぁんのテンションがいい!
ま、とっつぁんといってもまだ 45 才ですからねえ。まだまだ「若い(ブルース業界じゃね)」ですから、たとえおとなしそうに始まったとしてもユダンできなさそな、なんとはなしに「不穏」なものを感じちゃいましたが、案の定、いきなりテンションが急にアップしたり、12 小節のブルースの最初の 4 小節だけをブレイクしながら延々と 16 小節(!)もやってくんですが、そこだって一見、穏やかそうなテンションの時でも、噴火直前の活火山みたいな「火山性微動」がそこはかとなく感じられるんですねえ。
やはり、コメディアンでもあった、っちゅう「企み」好きそうなとこ、ひょっとするとブルースマンってみんなそゆとこあるよな気もしますが、そんな「おちゃらけた」とこ、それがリアル・ブルースのコアじゃないでしょか。
メイオールだとか、あのヘンのブリティッシュ・ブルースってのがクソも面白くないのは、そこらがケツボ〜してるからじゃないのかな?
1960 年代の英国のブルース・ブームっての、どっちかってえとマジメなひとばっかで支えられてたよーな気がすんですよねー。
そこ行くと、この Rufus とっつぁんにしてもゲイトマウスのクソじ⋯うっぷす、ゲイトマウス翁にしても、どー見たって「スナオな良いコ」って感じじゃないでしょ。
しかも、その場で「ふざけてる」んじゃなく、存在そのものがイカレてる。
このヴォーカルを聴いてると、モロそんなふうに思えるんですよ。

そして、もうひとつこの曲で忘れちゃならないのが、シャープなインテンシティに溢れたバックのギターでございます。時にはつっかかり、時にはヴォーカルに絡みつき、蹴倒し(?)、さらには主役級の「多弁な」ギターをきらめかせる Steve Cropper!
やはり Rufus とっつぁんに負けない「仕掛け絡み」のその姿勢が、この曲を(多少、タイトルからはハミ出してる、とは言え)ひときわ輝かせています。
ま、その点、上と同じく、ダレとは申しませんが、同じ白人でもこのヘンがじぇんじぇん身についてないのに、ブルース・ギターっつうとスグ名前を挙げられるのがいますが、まさに「片腹痛い」。あ、こんなこと言ってるとまたテキを増やしちゃうな、うくくくく。
他のバックは、お馴染み Al Jackson のドラムに Booker T. Jones のオルガン、でも、ベースはドナルド・ダックはんじゃなく Lewis Steinberg。1962 年10月21日の録音です。

Rufus Thomas は、1917 年 3 月26日、 Mississippi 州 Cayce で生まれた、とされていますが、一方では 3 月28日、Tennessee 州 Collierville の生まれ、としている資料もあります。
Mississippi Writers & Musicians( Starkville High School の生徒たちに、南部のブルースマンたちの伝記などを作成させるプログラムの成果を掲載したサイト)ではこの混乱の原因を、一家がヴォードヴィル芸のテント・ショーのキャラヴァンで暮らしていたことにあるのではないか、と示唆していますが、もしかすると実際の出生と、届け出地の違いなのかもしれません。
どちらにしても、そのような生活だったため、家族とともにすぐ Memphis に移っています。そしてこの街は、彼の将来にも大きく関わってくる重要な土地となったのでした。
ヴォードヴィル芸を生業とする家族の中で育った彼にとって、歌を唄うこと、軽妙なトークやアクションでお客を楽しませること、はある意味、遺伝的特質だった、と言えるかもしれません。
13 才にしてすでに彼は Beale Street の the Palace Theatre で行われるアマチュアのショーで M.C.をこなし、Booker T. Washington High School( 19 世紀に生まれた黒人の教育者 Booker Taliaferro Washington にちなんだ学校)に在学中には本格的に唄い始めていたようです。
やがて家族と同じく、ヴォードヴィル芸のテント・ショーでの生活を送るようになり、1930 年代の中頃にはすでに the Rabbit Foot Minstrels や the Georgia Dixon Traveling Show、さらに the Royal American Tent Shows で活躍するプロフェッショナルなコメディアンでした。

その彼が Memphis に「戻り」 Robert Counce とともに Rufus and Bones としてタップ・ダンスとスキャットのコンビを組んだのは 1940 年代になってからのようですが、その正確な年次は不明です。その後ブルースを自分でも作曲したり、その吹き込みを 1940 年代前半に行っている、とした資料も存在するようですが、こちらも正確なことは判明していません(本人の曖昧な記憶では 1943 年じゃないか?だそうですが、一番早い時期を主張する説では彼の初録音は 1941 年だとか・・・)。
彼の「音楽」の初録音の時期はともかく、それ以上に Memphis のミュージック・シーンに関わってくることになるのは、その当時としてはそれほど多くはなかった「黒人の経営者によって運営され」ていた放送局のひとつ WDIA の D.J.( 〜1974 )となってから、とするのが妥当でしょう。
また地元 Memphis のナイトクラブにも出演するようになっていますが、(前述のように、彼自身の記憶では 1943 年だと)1949 年には Texas 州 Dallas の Star Talent というマイナー・レーベルをやっている Jesse Erickson という男が Memphis のナイト・クラブ Currie's Club Tropicana で演奏していた Rufus Thomas のとこに現れ、レコードにしたいので録音してもいいか?とテープ・レコーダー持参で交渉して来たそうです。
Rufus Thomas は承諾し、そこでジャンプ・ブルース系のナンバー、I'll Be Good と、より「ブルージィな(?)」I'm So Worried という 2 曲を録音し、それは Star Talent Records 807 として 78 回転の SP(!)として発売されましたが、Rufus Thomas によれば「 5 枚売れた。そのうち 4 枚はオレが買ったんだけど」だそうでございます。

今ではたぶん本人もどんな曲だったか思い出せないような幻の初吹き込みはこのぐらいにいたしまして・・・
Sam Phillips の Sun Records は 1950 年にスタートした「 Memphis Recording Servis 」(そのモットーは "We Record Anything - Anywhere - Anytime."でした)から発展して 1952 年に設立された Sam Phillips のレーベルですが、Rufus Thomas は 1951 年からその Memphis Recording Service に吹き込みを開始しています。そしてあの Big Mama Thornton のHound Dog 人気に便乗したおちゃらけアンサー・ソング Bear Cat を 1953 年にリリースし、見事(と言って良いのだろうか?) R&B チャートの 3 位にまで到達したのです。しかし、この曲はオリジナルの「 Hound Dog 」に肉薄するあまり(?) Jerry Leiber と Mike Stoller からなる原曲の「著作権」に抵触する、として訴訟沙汰になってしまったのでした。
もっとも Rufus とっつぁん、そんなことでメゲるでもなく、それを逆に売り物にしてなにかというと Dog ネタを連発する「懲りない」とこを誇示し、 Walking the Dog やらCan Your Monkey Do the Dog and Jump Back なんていう曲を連発すんだから、「いい根性」してまっせ、ホンマ。
あ、そのセンとは別に(こっちは猫族つながりか?) Joe Hill Louis をスタジオに連れ込んでTiger Man ってのも吹き込んでますが。

ま、それよりも STAX(まだこの時点では Satellite ですが)にとって重要だったのは、娘の Carla Thomas とデュエットで吹き込んだ Cause I Love you のローカル・ヒットでしょう。この曲が売れたばっかりに Jerry Wexler というハイエナ⋯うっぷす敏腕プロデューサーに嗅ぎつけられたワケで、そこから STAX の栄光と転落の両方が始まったのでした。
というワケで、今日のナンバーも、その STAX での 1962 年の録音です。

しかし STAX の 1970 年代は終末へのカウント・ダウンでした。
この時期、その主力は the Soul Children、the Staple Singers、Frederick Knight、Jean Knight、Rance Allen、Mel and Tim、the Emotions といった次の世代へと移っています。
Rufus Thomas はこの時期、TV 出演や 1973 年の the LA Forum で行われた Wattstax のコンサートに Con Funk Shun の一員として出演するなど、数々のライヴ・シーンに活躍の場を見出しています。
ケッキョク彼は 1975 年12月19日に裁判所によってついに STAX の「破産」が宣告されるまで同社にとどまったのでした。
その後もライヴ出演や D.J. をしつつ録音もしているようですが、1988 年の STAX Reunion に娘の Carla や William Bell、Johnnie Taylor、Eddie Floyd、そして the "new" Sam and Dave などとともに集結しています。
そして同年 King Snake Records に吹き込んだ That Woman's Poison! は Alligator から発売されています。
1992 年には Rock and Roll Hall of Fame の殿堂入り。
1996 年には Atlanta オリンピックにも出演(出場じゃないぞ)していますが 1998 年、心臓の手術を受けて以来、健康がすぐれず、2001 年12月15日、「世界で最も年寄りな teenager 」は死亡しました。

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