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myself


2004-09-19 SUN.


昨日の Cavern Memorial でイロイロ昔話をしたせいか、今日になって、HP をあらためてチェックしてみると、やはり開設以来 2 年半になろうとしているだけに、そろそろ、記載内容を多少整理したほうがいいかも?⋯てなところが目につくようになっておりました。

ふむ、この機会に「まとめて」手を入れるといたしましょか?
ってなワケで、ず〜っとそれにかかりっきり、しかもまだ中途なんで、いつもの BLUES 日記どころではありません。
これまで書きっぱなしだったのを、きちんと項目ごとにアドレスを振っていく作業から始めますが、まあ、ケッコー大変なのね(あたりまえ)。
この弘前でのブルースの歴史(あ、モチロン、俯瞰的なイミの、ではなく、あくまでもワタクシ個人の目から見た、手の届く範囲での話ですから、人によっては穴だらけ、と感じるかもしれませんが、別にこれ、「公文書」ってワケじゃなく、完全に個人の捉えた「弘前のブルース」なワケですから、そこらご不満がございましたら、どうぞ自ら HP を立ち上げて、そちらの目で見た「別な歴史」をよろしく)も、総花的になっていたきらいがありましたので、もっと自分の価値観を前面に出すことにして、少し整理いたしました。
そして、開設当初ならまだ湯気が出ていた(?)エピソードみたいなものも、今となっては中途半端な感じがしますので、そこらも書き方を加減したり、場合によっては別な件に差し替えたり、という作業も並行して行っています。

で、実際に始めてみるとまあ、一カ所に手を入れると、ドミノ倒しみたいに更改せにゃならん箇所がイモヅル式に出て来るじゃあないの!こりゃ明日一日もこれに専念してもちゃんと終わるかどうかビミョーだな⋯
ま、でもタマにゃあいっか。これまでも時々は部分的に更改作業を行ったりはしていたんですが、なかなかちゃんと見直す、っての出来てませんでしたから。

さて、作業も途中でストップしてこれ書いてますが、そろそろ戻らなきゃ。それじゃね!

⋯と書いて 3 時間後、各コラムに「A NANE 」をいっこっつ打つのに疲れて目がショボショボしてきちゃったよ。
いやはや、 Screamin' Jay Hawkins の各曲ごとにクリックすっと、それが収録されてるアルバムに飛んでく、ってのを、さらにそのアルバムの中でも「その曲」の記述が始まる位置まで送っちゃおう、ってワケでナンバーをふり始めたんですが、も〜メチャメチャたいへんざます。
いったいなんのためにそこまでせにゃならんのじゃ?と言われれば、確かに返事に困るんですが、ま、一言で言えば「自己満足」ってヤツでしょか。

やはり、タマにひとさまのサイトにおジャマした時、そのサイト内で飛ぶ設定になってたりしますよね?
そーすっと、それがやたら不便だったりすると、自分じゃゼッタイこんな不親切なのヤメよ、思うんですわ。
アルファベット別になってても、A-1/A-2/A-3 なんてだけじゃ、Albert は 2 じゃろか 3 じゃろか?って判らないでしょ?どころか A-1 だったりするじゃない。
それ、A〜Albert / Albin 〜 Atw みたいに分けてあればスグ判るワケ。
そりゃひとつっつ見ていけば判りますよ。でも、それじゃ文字情報を正確に抽出できる PC ってもんを活かしてないですよね。

情報を収集するだけでもそりゃたいしたもんです。
でも、それをただストックしてるだけ、みたいな「電子物置(?)」じゃもったいないっしょ。
ダレでも手軽に扱える情報として整理して、きちんとしたアドレスを与えないと。

確かに集めるとこまでは割とラク(?)に出来るんですが、それを整理する、となると、地道ぃ〜なドリョクが必要でございます。
ど〜システムを組むか?っちゅう想像力&それを実現さす「根気」!これですね。
だから、もしかすると「いるかもしれない」 Screamin' Jay Hawkins のことを調べてみよ、なんてモノズキなお方のちょっとはお役に立てればも〜充分ってものでございます。

どっかにゃあいると思うんですがねえ

イタロ・カルヴィーノの作品「レ・コスミコミケ」は、長いことはぐれていた作品です。
先日、紀伊国屋書店で偶然に発見して、早速買ってきました。

彼の作品では「冬の夜、ひとりの旅人が」という、あるイミ「 Replay 」(1988 年の第14回世界幻想文学大賞を受賞したアメリカの作家、ケネス・グリムウッドの作品)と似通った時間の中断、遡行が「読む」という行為の次元で繰り返されるフシギな小説がとても印象的だったのですが、この「レ・コスミコミケ」も通常の小説なんていう枠からは量子力学的突出(?)を果たして、たとえば時代のトレンドである「ビッグ・バン」だけじゃなく、フレッド・ホイルの「定常宇宙モデル」、ハンネス・アルフベンの「プラズマ宇宙論」までも視野に入れた(さすがにポール・ディラックの「大数定理」までは包括してはいないみたいだけど)豊かなストーリィが展開して行きます。

同じイタリアの作家でも、通俗小説のウンベルト・エーコのような知名度はありませんが、むしろファンタジィというイミではカルヴィーノの想像力はイタリアの枠を超えているように思えますね。

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