That's All Right

Jimmy Rogers


2004-10-06 WED.


というワケで(?)タイトルだけは昨日と一緒ですが、こちらはみなさまご存知の You told me baby, once upon a time⋯の That's All Rightでございます。

お前は言ったよね
もし俺がお前だけにするんなら、あたしもあんただけにするって
とってもいいじゃねえか

お前がもう俺を愛してなんかいないのは判ってるよ
でもいいじゃないか
毎晩、お前を抱いてるのが誰なんだろうって思い悩むのさ

うぷぷ、いったいどこが That's All Right じゃい?と言いたくなるよなシチュエーションなんですが、それでも That's All Right と言うとこがオトコの見栄っちゅうもんなんでしょか?
うう、オトナの世界ってよく判らないわん⋯てなジョーダンはともかく、ここでの That's All Right って、あましポジティヴじゃないみたいですねえ。別にいいんですが。

で、この That's All Right ですが、みなさまご存知のように 1997 年の12月に吹き込んだ Atlantic AMCY-2959 Jimmy Rogers All Stars : BLUES BLUES BLUES にも That's All Right が収録されてるんですが、彼と交互に歌ってるのが E. C. でなきゃもっといいんですがねえ⋯
ま、現代的なミキシングで、聴きやすいっちゃあ聴きやすいんですけど。

ところで今さらこんなこと言うのはなんなんですが、この Chicago Bound で言うなら、タイトル・チューンの Chicago Bound のほーがホントは好きなんですよ。
でもまあ、この日記の流れ、っつーか、関連したとこでムリヤリ持ってきたもんで、じゃ今日は CHESS 1435、Jimmy Rogers の That's All Right だな、なんて安易なセレクトだったのよね。うはははは。

江戸川スリムさんとこの有吉須美人日記は、いま現在の Chicago のブルース・シーンが率直に書かれていて、もう何度も目から鱗を落させていただきまして、おかげで最近じゃあ水晶体がすっかり薄くなっちまったんじゃねえか?ってな具合なのでございますが、その 9 月30日付の日記で、「 Eddie Taylor Jr. の憂鬱」(憂鬱ってのは、本人も、周囲も、という意味で。でも有吉須美人はそんなタイトルはつけてませんけどね)が描かれています。

誇り高い(?)アンシャン・レジームのアルティザンのようなブルースマンと、ロックの洗礼を受けて、演奏時の音量が数倍はデカい次の世代のプレイヤーたち。それが一緒にステージに上がる以上、しっくり行かないのはそりゃ当然でして⋯

そこで不平不満を「言える」タイプならまだ妥協点もあるのでしょうが、言えずに内攻しちゃったら、そりゃスゴいストレスでしょ。
そのご本人が来なくなったことで、有吉須美人はある意味ホっとしてる部分もあるようですが、その気持は判ります。
やはりねえ、みんなが楽しくやろうとしてる中、ひとりだけ「苦虫を噛みつぶしたよな」顔で居座ってるくらいなら、帰りゃいーのに、と思いますから。

どこの、どんな場にだって、そこのムード(ルールまではいかないけど、「支配的な空気」ってヤツね)ってのがあって、そこに参加する以上は、それを「尊重」して、なおかつ自分も楽しむ、ってのがセッションの「当たり前」でしょ?
それを、「俺はこうだから」とか、「お前らマチガっとる!」なんて態度じゃ、場から浮いたり、ハジかれたりするのは「当然」ってものでございます。

その際、どっちに「より正義があるか?」なんてことはモンダイじゃないんですね。
そーじゃなく、自分が正しいと思うんなら、まず、それを言えるよな立場に「なる」のが先決で、それをいきなりやろうとしたら、反発されるのは、これまた当然なワケです。
でなきゃ、最初っから、「ダメだこりゃ」と潔く、そっから立ち去るべきでしょ。

セッションである以上、様々な個性がそこには集まるワケですから、全員が「満足」できるよなセットってのは「あり得ません」。
でも、ブルースってどんなんだろ?という興味を「少しでも」持って参加してくれたひとには、なるべく基本的なこと(とは言っても、最初はどしても「ロックとブルースの違い」から教えることになりますが。でないと音量が暴走しちゃいますからね)を理解してほしいと思いますから、ワリと細かくアドヴァイスやら「注意」なんかをするんですが、中にゃあ、なんでそんなことウルさく言われなきゃなんねえんだ?これセッションだろっ!なんてえのもいるワケでして、セッションならなにしてもいい、と誤解されてると、もー手の施しようがありませぬ。

有吉須美人の日記でも、ステージ上の音量が(というより、プレイヤーによる「適正音量」の差、あるいは「適正音量」というものに対する意識の「有無」が)かなり「火ダネ」になっている様子が描かれていましたが、やはり、そこら、どこでも問題になるんですねえ。

毎月二回、第二と第四の土曜夜に行われるブルース・セッションのステージ・ディレクターとしては、まず、その音量をいかに抑えさせるか、が毎回、課題となっています。

某板でも話題になってましたが、特にギター・アンプなど、そのアンプによって「美味しい」ゾーンってのがあって、場のサイズにカンケー無く、フル 10 で出したい、って気持は判ります。
しかし、そこで自分のギターの音さえ良くなりゃヴォーカルが聞こえなくなろうがいっこーに構わない、ってんじゃ、もう、それは「音楽」じゃないですよね。
そう、それじゃストレス発散のために爆音を鳴らして走りまわる暴走族のみなさまと変わるところがありません。
ま、そこまで行かなくとも、普段、ロックやってる方からすりゃ、「出すのが当たり前」でしょうから、それを「ど〜説得するか」なんだよ。

うん、これまでの経験ではね「そんなん出来やしねえ」でオシマイ⋯

permalink No.897

Search Form