Songs

2002-07-14
歌わずにいられないから生まれた歌。
なんとかして伝えたくてそれが歌になった歌。
そこまで強くはなくとも、自然に生まれていた歌。
ふとした日常からこぼれて出来た歌。
なにげないつぶやきのように自然にそこにある歌。

歌の出来かたにはいろいろあるようです。
でも、最近のヒット・チャートを見ていると、単に「歌」の作り方を知ってるヒトが、その時代感覚が通用している間に、少しでも多くの歌を流通させて、なるべく沢山お金を稼ぐために利用されているみたいですね。
話題になればいいわけですから、大衆の関心の向いているところにあやまたずピン・ポイントで爆撃する。
清涼飲料みたいなものですね。口当たりが良くて、飲んでいる間だけ快ければいい。後に何も残らなくても。と、言うより残らない方がいいんでしょうね。あまり感動を引きずられると、次の曲をリリースするタイミングを失っちゃいますから。
一時期のコムロあたりから、その傾向は特に強くなって来てるようです。
ファッションとしての音楽、とでも言うべきか、すべてが「ブーム」現象で説明出来そうなくらいタンジュンな消耗品化で、日本の音楽を一見大きく動かしたかに見えて、実は新たな創造の糧となるようなものは、なにひとつ残していってないんですよ。

ま、業界には大きいモノを残しましたけどね。
それは、「そいつの作る曲が世間に通用してる間になるべくいっぱい作らせて、稼げるうちに稼ごう。」ってノウハウを与えちゃった。
だからひとつ「波」に乗っちゃったら、もうまわりも寄ってたかってお手伝いしてやりたいコトやらしてくれます。

それを空しい、と言っちゃうのはカンタンだけど、そんな音楽を自腹切って CD買ってまで聴いてるヒトがあんなに居るんですからねえ。それはつまり、そのテの音楽にも存在理由はある、ってコトでしょ?(存在価値とは言ってないよん)
そんな商業的な側面をすべて削ぎ落としたエッセンシャルな音楽は、消費者にとっては重すぎるんでしょうかね。
たとえブルースであっても、聴く人がいる以上、そうゆう事もアタマの片隅に置いといたほうがいいかもしれません。ピュアなばっかりじゃ、「超」が付きそうなマニアしか近づいて来てくれませんから。
トーキョーみたくゼッタイ的な人口が多いトコじゃ、それでもいーんでしょうが。
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