Wallace the Segregationist

Sly…


2004-11-15 MON



アメリカ合衆国の南東部、左右の Mississippi 州と Georgia 州の間にあり、しかし Florida 州に足元を掬われて、左足のつま先だけがやっと Gulf Stream に届いている、といった格好の Alabama 州は、やはり典型的な南部気質が根強いところで、たしか 1962 年のアメリカ映画、「アラバマ物語(原題は To Kill A Mockingbird だったと思う⋯ピューリッツァー賞を受賞した Harper Lee の小説が原作で、Alabama 州の架空の町 Maycomb を舞台としたもの)」という作品でも、黒人の冤罪を晴らそうとした白人の弁護士までが白人社会の中で敵視されるようになっていく状況が描かれていました。
そのストーリィ自体は大恐慌の時代を背景としたものだったのですが、それを「敢えて」公民権運動の盛り上がりに合わせて製作・発表したプロデューサーのアラン J. パクラ(後に監督として「大統領の陰謀」や「ペリカン文書」を手掛ける)もなかなかのものです。

その Alabama 州において、1962 年に州知事に当選したのが George Corley Wallace( 1919 年 8 月25日生まれ。1998 年 9 月13日死亡)でした。
1963 年 6 月11日、州都 Montgomery から北西におよそ 150km、また州内最大の都市 Birmingham からは西南西にほぼ 80km の位置にある Tuscaloosa(白人が少し黒人よりも多い)という街の、市内を東西に流れる Black Warrior River の南岸に敷地を持つ 1831 年に創設された歴史ある大学、University of Alabama に二人の黒人学生、Vivian Malone と James Hood が入学することになると、州知事 George Corley Wallace は「自ら」大学のドアの前に立ちはだかって、その登録手続きを阻止しようとしたのでした。
しかし、連邦執行官たちに対抗することは出来ず、引き下がっています。
この一件は彼を「差別主義者」そして「タカ派」として印象づけることとなり、もちろん、その後の数々の政治的動向も影を落としたとは言え、ついに合衆国大統領に、という彼の野望は実現されることなく終っています。

この University of Alabama の次の日、隣の Mississippi 州の州都 Jackson で NAACP─ National Association for the Advancement of Colored People─全米黒人振興協会(でも正しくは「黒人」だけじゃなく、「有色人種」だよねー)のメンバーのひとり Medgar Evers が白人の差別維持主義者 Byron De La Beckwith によって妻子の「目の前で」殺害されました。(このほぼ一週間後の 6 月19日に Kennedy 大統領は HR 7152 という人権法案を議会に上程)
Medgar Evers は Mississippi 州の州都 Jackson から東に伸びるハイウェイ 20 を 100km ほど行ったところにある(この Hywy20 はアラバマ州境で、それまで向いていた Montgomery 方向から少し左に曲がり、Birmingham に向かいます。そしてその途中には Tuscaloosa ) Decatur という人口が 2000 人にも満たない小さな町で 1925 年 7 月 2 日に生まれています。彼はすでに同州内の Alcorn State University(注;これは現在の呼び名であって、1974 年に当時の州知事 William Waller が手を入れるまでは Alcorn Agricultural and Mechanical College と呼ばれていたハズ。当初、白人のための学校だったが 1871 年、黒人も受け容れる州内最初のカレッジとして再スタート。)を卒業していたのですが、さらなる向上のために University of Mississippi のロー・スクール( Low じゃなく Law ─ 法律ね)を目指しました。
University of Mississippi と言えば、そう、つい昨日の James Howard Meredith の入校をめぐって二人の死者まで出した、あの大学です。
Medgar Evers はその前のランチ・カウンター事件でも、その Meredith 事件でも NAACP を通じて差別撤廃の戦いを行ってきていました。
はたして、そのことも関係していたのかどうかは不明ですが、Evers は入校が認可されなかったのです。
おそらく、そのことでまた NAACP が「盛り上がる」ことを阻止しようとしての暗殺だったのかもしれません。この暗殺犯 Beckwith は「すべて白人」で構成される陪審によって二度も放免されましたが、1990 年代に入って再審がスタートし、国立 Arlington 墓地に埋葬されていた Evers の遺体は再鑑定のため掘り返され、その結果、事件から 30 年もたった 1994 年、ようやく Beckwith の有罪が確定したのでした。
その再審については 1996 年に Ghosts of Mississippi という映画にもなっているそうですが、それ、日本でも公開されたのかどうかは「?」です。監督は Rob Reiner でした。
またボブ・デイランも歌にしているそうですが、ディランについてはまったく知らないので Only a Pawn in Their Game というタイトルだけ書きとめておきます。

その同じ年の 9 月15日の日曜日午前10時25分、今度は Birmingham の 16th Street Baptist Church が狂信的な有色人種排斥主義で行動する秘密結社 Ku Klux Klan の Robert Edward Chambliss によって爆破され、Addie May Collins、Carole Robertson、Cynthia Wesley、Denise McNair の四人の少女(もちろん黒人です)が死亡し、22 名もが負傷する、という事件が起きました。Chambliss は教会の地下室に 19 本のダイナマイトを仕掛けて爆発させたものでしたが、当初、本人は無罪を主張していましたが、後に連邦捜査局─Federal Bureau of Investigation─が、重要な証拠類や捜査資料を検察官に対し開示していなかったことが判明し、1977 年に「ようやく」殺人罪での有罪が確定し終身刑が宣告されました。共犯とされた Bobby Frank Cherry と Thomas Blanton も後に終身刑が確定しています(その前に Chambliss は獄中で死亡していますが)。


1964 年、Sly は Autumn Records とサインして、Sly という名での初の個人名義(と言っても Sly Stone ではなく、Stewart でしたが)のシングル I Just Learned How To Swim / Scat Swim を出していますが、実はその前に Los Angeles のプロデューサー George Motola に認められて the Biscaynes(あるいは 、Viscaynes とも表記される)というヴォーカル・グループに参加しています。
George Motola の知り合いの Vic Gazzi という男が「いいヴォーカルがいるよ」と紹介してくれたそうなんですが、さっそく Motola 自身のレーベル VPM から Yellow Moon / Heavenly Angel というシングル( VPM 1006 )をリリースしています。これは San Francisco ではほぼ 7 万枚を売るローカル・ヒットとなっています。

最初の録音で Yellow Moon の別テイクもあったのですが、それは後にカップリング曲を Heavenly Angel から Uncle Sam Needs You ( My Friend )に差し替えてリリースされました。つまり同じ VPM 1006 ながら内容が異なる二種のシングルが存在することになりますね。
この Motola の別レーベル Luke からは Danny Stewart 名義で初のソロ作品 A Long Time Away ( A Long Time Alone または A Long Time Gone としている資料もあって、やや混乱しています) / I'm Just A Fool( Luke 1008 )というシングルも出しています。
また別レーベルの G&P からは A Long Time Away はそのまま流用し、カップリングに Help Me With My Broken Heart というシングル( G&P 901 )も出しておりまして、どうもこのあたり、Motola はひとつのトラックを別レーベル(すべて自分の!)から出すのが趣味なのかもしれませんねえ。

さらに面白いのは A Long Time Away のバッキング・トラックをそのまま流用して吹き込んだ Are You My Girlfriend という曲と You've Forgotten Me をカップリングして Luke 1009 というシングルを出していますが、フシギなことに、またもやカップリングだけを替えて Do You Remember とのカップリングで同じ Luke 1009 として出しています。まったく同じ曲をレーベルあるいはシリアル・ナンバーを変えて売る、という例はよくありますが、まったく同じレーベル&シリアルで違う内容のシングルが存在する例というのは稀でしょう。

このあと、Trop 101 というシングル( Stop What You Are Doing / I Guess I'll Be )を出していますが、名義が二種類あって、ひとつは the Viscaynes、そしてもひとつは the Viscaynes & the Rambles となっていますが、Rambles については不明です。

ここから 1964 年の Sly Stewart 名義のものまでリリースは確認されていません。

★なんか今日は「冬」みたいな一日でしたねえ。
冷たい雨が強い風にまじって「陰気」な空模様!こーやって一進一退を繰り返して冬に近付いて行くのね。

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