Autumn in California : 2004-11-17 WED.

公民権運動にまつわる南部での騒乱、そして John Fitzgerald Kennedy の暗殺、とアメリカが大きな混乱の中にあった 1960 年代初頭の 1/3 でしたが、ウエスト・コーストという、ある種「ユルい」場所にいたせいか、この期間に Sly がなんらかの政治的な行動をした、という記録はいっさい無いようです。彼はこのころ、Chris Borden School of Modern Broadcasting(この学校を開いていた Chris Borden というのは Oakland 高校を卒業後、Arizona 州の KTKT に 1959 年にはいたことが判っていますが、後に地元 Oakland の AM 放送局 KEWB に移って来ています。それ以降も KSFO、KNBR と移っていった D.J.。後に映画の方に転向し、一方でこの放送業務に関する学校を設立しています)で D.J.技術を学んでいた(ってことになってますが・・・)。

1964 年の10月に( 10月?) Sly はそこを卒業(つーよりは修了かな?)しているのですが、その 1964 年の 1 月18日には「新」大統領 Lyndon B. Johnson は Martin Luther King Jr. を始めとする人権活動家たちと会って、彼の推しすすめる War on Poverty ─貧困との戦い(?)についての支持と理解を求めています。このあたりからジョンソンの「やる気」が出てきてるよな気がしますねえ。
そして同年 3 月26日には、ある意味「歴史的な」会見がありました。
いわば「最もラジカルな」差別撤廃論者 Malcolm X が、非暴力路線の総帥たる Martin Luther King Jr. と Washington D.C. で会ったのです。
しかし、それはふたりにとって「最初」で「最後」の面談となってしまったのですが。
そのキングは 6月11日、こんどは Florida 州 St. Augustine の白人専用レストランで抗議したことにより逮捕されています。

Sly は卒業後、KSOL に入り、やがて月曜から土曜までの Night Shift(ま、言わば「夜勤」ですが、逆に「ゴールデン・タイム」とも言えるワケで)についています。当然聴取率のいい時間帯ですから、彼の知名度はすぐに上昇しました。
また、この時期の彼の選曲には「黒人」を意識させるものはあまり無かった、といいますから、広汎な「その時の音楽」を貪欲に聴いていたのかもしれません。
そしてそんな時に出会ったのが、1961 年に Philadelphia から移って来た San Francisco の人気 D.J.、Tom "Big Daddy" Donahue* でした。

* ─ Tom Donahue、生年・出生地不詳。1975 年 2 月26日没。San Francisco の AM ロック・ステーションの伝説的 D.J.。
パートナーの Bob Mitchell とともに Cow Palace*で早くから(つまり Bill Graham 以前に、ね) Rolling Stones などのロックのコンサートを行ったり、1966 年には Candlestick Park でビートルズも手掛けています。
またアメリカ初のサイケデリック・ミュージック(というよりはカルチャーか?)のナイト・クラブ Mother's を San Francisco 市北部をほぼ東西に走る Broadway Street に開きました(そこから南下してくると Little Osaka!や Malcolm X Square がある)。
D.J.としての 5 年間の後、自らのレコード会社を興し、地元のロック・ミュージシャンたちの作品をリリースして全米にサプライする、という役割を果たしています。


その Tom Donahue が興した Autumn Records に Sly が関わるようになったのが正確にいつなのか、判然としないところがあるのですが、少なくとも 1964 年の Bobby Freeman**のヒット C'mon and Swim のプロデュースをしていた、とする資料がありますので、それでいくと、Sly は例の放送学校を卒業する前から Autumn に顔を出していた、ということでしょうか?

** ─ Bobby Freeman; 1940 年 6 月13日 San Francisco 生まれ。14 才のときに自分のグループ the Romancers を作り、そこではピアノを担当しています。
続いてダンスにも興味を持ったようで、R&B グループ the Vocaleers を結成し、Josie label に Do You Want To Dance を 1958 年にレコーディング。これはかなりのヒットとなり一躍 San Francisco では名前を知られるようになりました。
その後 Shame On You Miss Johnson などの曲をリリースし、1960 年には King Records から Shimmy Shimmy をリリースしていますが、この Bobby Freeman 側の資料によれば、Bobby Freeman「個人」がローカル D.J. だった Sly とサインし、プロデュースさせた、となっておりますから、これが Sly と Autumn の「慣れ染め」かも。
そうして出来た1964 年リリースの C'mon and Swim は彼にとっての初ビッグ・ヒットとなり、チャート 5 位にまで登っています(蛇足ながら、これが彼の最高ランクのヒットとなってしまったのですが)。彼の代表曲 Do You Want To Dance はむしろビーチ・ボーイズのナンバーとして知られるようになってしまいました。


・・・とゆーことで、この Bobby Freeman 側の資料を信じると、最初はプロデュース契約で Autumn に出入りするようになったもののようです。
ところで、その Bobby Freeman と厳密にはどっちが先だったのか、どちらにも正確なデータが無いため、判断できないのですが、同じ 1964 年にリリースされて、これまた全国的なヒットとなったのが、結成されたばかりのロック・グループ Beau Brummels***の Laugh, Laugh でした。

*** ─the Beau Brummels;ヴォーカルの Sal Valentino が作ったグループ、Sal Valentino And the Valentines は 1962 年に初シングルを出していましたが、そこにギターの Ron Elliott、ベースの Ron Meagher、ドラムの John Peterson を加えて名前を Beau Brummels と改名。San Francisco の南側の San Mateo のクラブ出演中に Tom Donahue に見出され、Autumn Records とサイン。プロデューサーには Sly Stone を迎えて作られたのが Autumn でのデビュー・シングル、チャート 15 位となった Laugh, Laugh です。

この Autumn Records はまだ続くんですが、今日はここまで。

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