Great Society : 2004-11-18 THU.
Sly がプロデュースしたアーティストとして採り上げた昨日の Bobby Freeman ですが、アルバム C'mon and Swim を聴くと、ワタクシには、後の Sly のサウンドを髣髴とさせるブラスとギターの「カオス」がすでに感じられるような気がいたします。
ま、ネがダンス・ナンバーですから、Bobby Freeman の歌そのものを「じっくり」聴かせる作りにはせず、「賑やかし」に徹したのでしょうが、フロントの歌には委細構わずコチョコチョ騒ぎまくるバックのギターなど、Sly をよく聴いている方なら、即座にその類似性に思い至るかもしれませんね。

そんな Bobby Freeman での音に比べると、一見、彼のサウンドとはあましカンケー無さそーに聞こえるのが、次の Great Society でしょう。
最近ではアルバム King of the Fretless Guitar( Sly が関わっていないアルバムについては「太字の斜体」で表しています)でも、相変わらず(か?)のアヤしい旋律(どことな~く漂うアジアン・テイストには上海からボスボラス海峡に至る、大乗仏教からヒンズー経由イスラーム圏の香りが・・・)で健在(か?)ぶりをアピールした、かの名曲(か?・・・ってギャグにしちゃいけませんね) Somebody to Love の作者、Darby Slick。

やはり、と言うべきか、彼は Great Society 後もさらにインド音楽などへの傾倒を強め、なかでもインドの Sarod(については http://www.sarod.com/sarod/default.htm で。基本的には三味線と同じく「演奏する」弦もフレットレスで、ブリッジは張った皮の上にあります。違いは弦が四本あり、他にリズムをとるための弦が二本、そしてもっと短い「共鳴弦」がインド音楽の理論たるラーガに沿って 13 本張られています。共鳴弦と言っても、Sitar のような「唸り」を発生させるものではなく、もっと「軽い」音。だそうです・・・代表的な名手としては Amjad Ali Khan など)の奏者 Ali Akbar Khan(おやおや、ちょっと前のカッコ内の「名手」の名前とちょっと違っていますねえ。これが同一人物で表記の違いなのか、それとも、まったくの別人なのか?は調べておりません。それが判らなきゃ落ちつかない、って方はご自分でお調べくださいませ。で、判ったからってお教えいただかなくてもいいんですよー。たぶん、そのころにゃ、ハナシ先にススんじゃってますから「あ、そう。どーも」程度のツメタい返事しかしなさそーです)の影響を受けて、彼自身で開発したフレットレス・ギターに没頭するようになったらしく、このアルバムでは徹頭徹尾ポルタメントを多用した、さりとてブルース系のスライド・プレイとは「明らか」に違うミョーな「世界」を構築しておられます。

たしかに San Francisco 周辺のサイケデリック指向というものには、東洋思想(というよりはそれをカタったアヤしー「グル」たちの妄言だったりもするよーですが・・・)が影を落としているようで、同じ Great Society の White Rabbit なんて「漠然とした」アジア風味のメロディが随所に出て来ますよね。
さて、Darby Slick ですが、どうも、生年・出生地が見当たりません。必死で探せば見つかるのかもしれませんが、ここ、言わば「副線」ですから、あまり突っ込んでおりません(それに前述のアルバムから推測するに、彼の熱烈なファン、なんてのがここを読んでいただいている方々の中におられるとも思えないし、ね)ただ、育ったのは San Francisco から南東におよそ 45km ほどの、湾に面した Palo Alto という町だったようです。
「家の隣に色白で太った Grace Wing ってオンナのコがいた・・・」と Darby Slick は自著 Don't You Want Somebody to Love :Reflections on the San Francisco Sound ( SLG BOOKS ISBN 0-943389-08-9 )で書いていますが、これはモチロン、1961 年 8 月26日に結婚した彼の兄 or 弟(まったく英語ってヤツは!)の Gerald "Jerry" Slick の「嫁はん」がその Grace Wing であり、イコール、義理の姉 or 妹となった、Grace Slick*についての記述なのですねえ。

* ─ Grace Barnett Wing は 1939 年10月30日、Chicago 近郊の Evanston あるいは Highland Park で生まれたとされています(ちなみに Chicago→ Evanston は新宿に対する立川、Highland Park は八王子って感じかな?方角は湖岸沿いに北だから、かなりちゃうけど)。父は Ivan W. Wing、母は Virginia Barnett でそっから Grace Barnett Wing となったんでしょね。
1957 年には New York の Finch College に入り、1958 年からは University of Miami で美術を専攻しています。卒業後、I.Magnin's(これってファッション系のカタログ通販業者かな?どうやら最近では Macy の西海岸支社みたくなってるよーですが、よー判らん!)のモデルをしてたそうなんで、それでウエスト・コーストに来たものと思われます。
ただ、こっから先はちと混乱してて、Jefferson Airplane の Matrix でのデビューを客席で見てて自分もバンドを作ろうと思った、ってえ記述もあれば、Jefferson Airplane のオーディションを受けに Matrix に行ったが、落ちたんで Great Society を作った、とか、それとはカンケーなく Great Society は「あった」なんて説まであって整理しきれません。
ま、どっちにしても Great Society にはギターとして Jerry の兄弟である Darby Slick が加入し、Somebody to Love が誕生したワケですね。そして Grace 自身も White Rabbit を。


Sly 側の資料では、この Great Society の Autumn Records への録音を 1964 年にまとめて(つまり Beau Brummels や Bobby Freeman と一緒にして)る場合が多いですが、 Great Society 側ではそれを 1965 年としているものが大半です。
ここは、Great Society 関連資料の大半が採用している 1965 年をここでは尊重いたしましょう(だって Great Society の「御披露目」は 1965 年10月15日、ノース・ビーチの Coffee Gallery で行われた、なんて記録もあるんだもの)。
ところで、みなさまはそのオリジナルの Somebody to Love(ま、実際にはタイトルも違ってて、Someone to Love なんですが)をお聴きになったことはございますでしょうか?
残念ながら、途中から始まるために、そのもっとも特徴的なイントロの「アルペジオっぽい出だし」を味わっていただけないのがココロ残りですが、初期の Grace のヴォーカルと、曲のプロトタイプが ARTIST DIRECT で試聴できます。
http://www.artistdirect.com/nad/store/artist/album/0,,226676,00.html

しょーじき、Bobby Freeman に比べると、後の Sly につながりそなとこはあまし感じられませんでしたねえ。それはともかく、Sly が手掛けたとされるこの Great Society の一連の作品はどれもヒットには至らず、後に Grace が Jefferson Airplane の Signe Anderson に替わってリード・ヴォーカルとなったことによってよーやく陽の目を見ることになったワケでございます。それをプロデュースのせいにするか、メンバーの実力の差と見るか?

それはともかく、Sly 自身も Sly Stewart 名義で I Just Learned How to Swim / Scat Swim( Autumn 3 )というシングルを 1964 年に出しているのですが、これってモロ Bobby Freeman の C'mon and Swim への(良く言えば)側方支援、(悪く言えば)小判鮫じゃん?
Bobby Freeman のオリジナルにくらべると、Scat Swim なんてエラいジャジーな仕上がりにはなってますが。
そして翌1965 年には、単純に「 Sly 」という名前で Buttermilk Pt.1 / Buttermilk Pt.2 ( Autumn 14 )と Temptation Walk Pt.1 / Temptation Walk Pt.2 ( Autumn 26 )を出しています。
この Buttermilk なんて聴くと、キレのいいクリアーなギターのカッティングなどに「やや」 Great Society や Jefferson Airplane などにも見られるリズム・カッティングの影響があるように思うのはワタシだけでしょーか?
Temptation Walk の方はむしろ、その後の Family Stone につながる「音の塗り込め方」をしてるように感じます。女性(?に聞こえる)ヴォーカルの活かし方とかもね。

その後、彼はトランペッターの Cynthia Robinson を加えたグループ、the Stoners を結成し、さらに弟の Freddie Stewart(ギター)と、ドラムの Greg "Handsfeet" Errico を加えた Freddie & the Stone Soul というグループも作っているのですが、この二つのグループの録音は存在しないようなので、どんな音だったのかはちと判りません。

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