Which One's First? : 2004-11-21 SUN.
さて、Sly & the Family Stone がスタートした 1967年の Martin Luther King Jr.は、というと表立った動きとしては、ヴェトナム戦争に関する発言が目立つ程度で、人種差別撤廃関連の行動は記録としては残っていないようですね。6月には著書 Where Do We Go From Here が発行されています。

ところで、Sly & the Family Stone としての初シングルがなにか?という点について、多少の混乱があるようで、それを、Loadstone Records からリリースしてローカル・ヒットとなった I Ain't Got Nobody / I Can't Turn You Loose ( Loadstone 3951 )である、とする資料と、それ以前にすでに Epic からリリースした Higher / Under Dog ( Epic 10229 )である、とする資料が対立しております。
Epic である、としている方は、「コレクター」のためのレア・アイテムとして、Sly の Autumn 時代からのシングルもすべて、「もしあったら XXXドル相当」なんて値踏みまでしているサイトなんで、ワタシとしてはそのよーな「金のからんだ」シビアーな目でチェックしてるほーを「信じ」ますが。

とゆーワケで、その「おタカラ鑑定団」みたいなサイトの記載によれば、続いてリリースされたのは Bad Risk / 曲名不明( Epic シリアル不明)。さらに Dance to the Music / Let Me Hear It From You ( Epic 10256 )で、その次が Loadstone 3951、I Ain't Got Nobody / I Can't Turn You Loose とされています(ただし、発売時期ではなく、それを「録音した」日時は実はこちらが先、という可能性はありますが)。
どちらにしても、Sly & the Family Stone のアルバム、Whole New Thing( Epic 26324 )に収録されているのは Underdog ( Under Dog )、Bad Risk で、I Ain't Got Nobody と I Can't Turn You Loose は収録されていません。 ただ、このアルバム自体のリリース日時を 1967年 1月 1日としている資料もあり、それで行くと上記の Epic からのシングルは「すべて」アルバム発売後に出た(あるいは同時に、って可能性もあるけど)ことになりそうですよね。いくらなんでも、そりゃムリっつーもんで、1月 1日ってのはなんかのマチガイだと思われます。

そこらは、まあ EP シングルのコレクターでもなきゃ、どっちゃでもいいか?
それはともかく、このアルバム Whole New Thing ですが、ある意味では、後の Sly のサウンドのテクスチュアにつながる「仕上がり」に相当「達して」いる、と言ってもいいかもしれません。
しかし⋯ そう、「なにか」が足りない! 現実にも、このアルバムのセールスは「標準以下」だったのですが、いったんヒットしてから、そのルーツを探る、みたいな意味合いで、このアルバムに遡って聴いてみた人たちも一様にこれには「惚れ込めない」場合が多いようなんですよ。
実はワタクシも遡ったクチなんですが、「ああ、最初はこんなだったのね?」という「淡白な」感想くらいっきゃ持てませんでした。
よく、最初にもっとも濃ゆい個性的なサウンドがあって、それを薄めることによって「大衆に受け容れられ、ヒットする」ってえ公式が、ロック・バンドなんかでは「ありがち」なんですが、この Sly & the Family Stone の場合には、それが当てはまらないようです。

Whole New Thing はいまだ模索の段階だったのか、あるいは、なにかしら、「ふっ切れてない」部分があったのか(ワタシはこちらの説をとっていますが)、ダイレクトにココロに届いてこないよな気がいたします。
ただ、バンドとしてのコンセプトはすでに完成している、と言って良いでしょう。
そのアルバム・ジャケットのデザインも、それまでのブラック・ピーポー向けのメロウでアダルティなダークなものを脱し、白を基調とした明るいデザインにメンバーたちを配し(ま、モチロン Sly ひとりは「ひときわ」デカく中央にそびえてはおりますが)、このグループが人種も性別も超越した(あ、誤解の無いように言っておきますが、それまでだって男女込みのグループってイッパイあります。でも、その殆どはヴォーカルに紅一点なんてスタイルが多く、本気で器楽演奏のスキルを買われて、バンドのメンバーとして、という形は、この Family Stone が初めてではなかったでしょうか?また人種の混合についても、それで「人種問題には触れない」というやり方ではすでにありましたが、これほど積極的に「それ」に関わっていくテーマを採り上げたバンドでは稀有のことだったでしょう)、まったくこれまでとは異なったコンセプトで走り始めたきわめてユニークな存在であることを物語っています。

しかし、ワタクシがどーもこれはイマイチぴんと来んなあ〜、と思ったのと同様、当時の大衆にもこのアルバムは「大歓迎されたとは言い難く」、ハッキリ言ってセールス的には「失敗作」に分類されるかもしれません。
ただし、当時のブラック・ミュージックの「正統」からすると、ヒッピー文化やらロック・カルチャーに「汚染」されたそのファッションやステージ・アクトは、明らかにそれまでのソウル・R&B ファンとは異なる、これまではロックばっかし聴いてきたよな若者たちからの支持を得始めていました。

そしてそのサウンドのブレイク・スルーは翌 1968 年に訪れます。

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