Thank You for Let Me Be Myself Again : 2004-11-25 THU.
Pretty, pretty, pretty as a picture という、それこそ可愛らしい声でのリーディング・フレーズを、お馴染みの Larry Graham をメインとしたドスの効いた(?)低音で Witty, witty, witty as you can be と追う、この交互のラリーを主軸として Somebody's Watching You は始まります。

光ってるものばっかり見てるから目をやられちゃうんだよ
君を開放してくれるものに迫ってごらん


なんてフレーズで、「光ってるもの」を、音楽シーンで言えば「大ヒットを連続させるスター」、文学でなら「ベスト・セラー作家」、つまり「時代の寵児」と考えて「目立つもの」って考えるのもいいですが、自光性の TV スクリーン、と捉えることも可能ですね。
テレビばっか見てるとダメだよ、って。
次の行、原文では Close to the things that make you free となっていて、ここでの Close を「目を閉じる」と訳してもいいのですが、Close to you の使い方で行けば、接近する、肉迫する、なんて意味にもとれて、あえてこんな訳し方をしてみました。

この、さほどドラマティックな展開も無い(ま、そこら、Greatest Hits や Anthology に「選ばれない」だけのことはあります)淡々と歌っているこの曲ですが、今ではこの Stand! の中では一番好きな曲になってしまっております。

さて、このアルバム Stand! が発売された 1969 年には三枚のシングルがリリースされており、最初が Epic 10450、Stand! / I Want to Take You Higher、続いて二枚目が Pop チャート 2 位、R&B チャート 3 位まで上った Epic 10497、Hot Fun in the Summertime / Fun、そして Epic 10555 としてリリースされたのが全米チャートおよび R&B チャートの両方で 1 位に輝いた Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin / Everybody Is a Star でした。
この Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin というのは今日のタイトルに示したとおり、Thank you for let me be myself again⋯つまり、「ボクにもいちど自分を取り戻させてくれてありがと。」っちゅう文を米語的ダジャレ化したものなんでしょね。

特徴的なギターのリフで始まるこの曲は、そこに斬り込んでくるアップ・ダウンのクイック・ストロークのカッティング(もちろん後のナイル・ロジャースなんかに比べると、さほど技巧的なものじゃないですけどね)、さらにスタッカートとレガートを使い分ける Larry Graham のコンソリデイテッドなベースなどを基調とした、まさに Thank You ならではのモノ・コード進行の上で、時に幻惑的な歌詞を交えてアイロニカルな Thank You が提示されてゆく⋯
アメリカはヴェトナム戦の泥沼にはまり、Robert Fransis Kennedy を、 Martin Luther King Jr. を、さらには Malcolm X を失い、政府は抗議の声に耳を貸さず、警察は相変わらず制圧のために平気で市民に(それも黒かったら特に)発砲する「閉塞した状況」の中で発表されたこの曲は、その包含するものに気付いていようといまいと、多くの層に支持されてアメリカ全土を席捲したのでした。

いつもなら、この曲の歌詞についても強引な意訳などやっちゃうとこなんですが、こいつだけは手に負えません。
その「含み」がとても把みきれないんですよ。したがってみなさまには原文(だろうと思われるもの)を紹介するにとどめておきます。
こちら↓でどうぞ。
Lyric of "Thank You"

ある意味、この Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin が Sly & the Family Stoneの、そして Sly Stoneのピークであり、同時に瓦解の始まり、と言うことも出来るかもしれません。
これまでの彼は一義的な「ブラック・パワー礼賛」ではなく、白も黒も(黄も赤も)超越して一緒に素晴らしい世界を作ろう、というところに向かっていたように思われます。
しかし現実は、いまだに黒人には平気で警棒を振りまわす警官、黒人の入居を断る「高級アパート」、黒人には信用売りをしないディーラーなんてのがザラでした。
そんな失望の連鎖が次第に彼の汎人種主義的指向性をスポイルし始めたためでしょうか、これ以降の彼の音からは、徐々に人種を超えて支持されるもととなっていたように思える「天真爛漫さ」が削られてゆくような気がいたします。
脳天気の一歩手前みたいなあっけらかんとした明るさとシンプルさが「グルーヴどうのこうの」以前に来る Dance to the Music、遊技場のサーカスの呼び込みを思わせる牧歌的(?)なオルガンの音に誘われる Life、まるで階段を上がったり降りたりしてるよなベースに導かれシンプルなコーラスが楽しい Fun、最初こそ陰りがあるけど、これまた明快なテーマを繰り返すギターに乗せて、子供のような優しいコーラスとシャウトをからめた力強いドレミ音階がユニークな Sing a Simple Song、シンプルでスネアの効いたリズムに、Ah, Ah, Ah, Everyday People!という力感のあるコーラスがバーストする Everyday People ⋯

どれも、どこかに、悪く言えば稚気ともとれるけど、フシギな無邪気さ(もちろん、敢えて演出したもの、と捉える方も多いでしょうが)があって、ある種、セサミ・ストリート(あ、そー言えば、これも 1969 年から始まったんじゃなかったっけ?)にも通じる「理想主義的な」人種が平和的に混在する社会、という世界観を描き出そうとしていたのではないでしょうか。
そして、そこにもうひとつのバック・グラウンドとして存在するのが「寛容」を片翼とした「優しさ」だったのでは?と思うのですが、極端に言えば、この Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin を境にして、次第に冷笑的で皮肉っぽく、屈託の「ある」方向へと変わっていったのではないか⋯

とまれ、この曲をほぼリアル・タイムで聴いて惚れ込み、自分のバンドでも演奏していた身としては、当時から、隠喩・暗喩、ほのめかし、スラング、謎かけ、サンボリスムに溢れたその歌詞は、まさにそのままで「大いなるミステリー」であり続けています。
いまだにすべて解読し得たとは言えません。
もちろん、この曲に限らず、Sly & the Family Stone の楽曲の本来の歌詞が「なにを歌ったものであるのか」を本気で追求しよう、なんて思ったら、まったく新しい、独自のサイトひとつ作らなきゃいけないほどのヴォリュームがありそうです。

ところで、ここでもうひとつ 1969 年にリリースされたシングルで Joe Hicks の I'm Goin' Home / Home, Sweet Home ( Scepter 1226 )ってのがあるんですが、これにどうやら Sly & the Family Stone が絡んでいるらしいんですが、あいにく聴いたことが無いんで、なんとも言えません。
また同じく 1969 年リリースのシングル、A&M 1081、Abaco Dream(どうやら New York の R&B バンドらしい?)の Life & Death in G & A / Cat Woman にも Sly Stone が参加している、というウワサ(?)があるようです。ま、こちらも聴いたことがございませんので、なんとも言えませんねん。ただ、Life & Death in G & A という曲自体は実際に Sly Stone の作らしく、曲名の由来は、最初、キーが Gで始まるけど、終るときは A だからなんだって。

急に気温が下がっちゃいましたねえ。昨日から比べると 5 度も下がってますよ。
というか、昨日までが平年を大きく上回ってただけなんですけど。
でも、雨とかじゃなくてまだ良かったですよね。
これで冷たい雨なんぞ降られたら、めっちゃ陰気な一日になるとこでしたが、時に陽が差すよな天気で、案外「明るい」印象でした。

弘前の冬ってのも、せいぜいこんなとこで過ぎてってくれたら嬉しいんだけどなあ。

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