Rock - Stone - Pebbles : 2004-12-01 WED.
1970 年代で燃え尽きてしまったかのような Sly Stone が、1980 年代初頭に一枚のアルバムに顔を出しています。

Funkadelic* のアルバム The Electric Spanking of War Babies ( 1981 年)に収録された Funk Gets Stronger I では Sly & the Family Stone の正式メンバーだった Cynthia Robinsonと、Jerry Martini に替わって参加していた Pat Rizzo ( Sax .)が入っているのですが、Funk Gets Stronger - She Loves You では Sly Stone が George Clinton と「ともに」リード・ヴォーカルをとり、そればかりかリズム・ギター、キーボード、さらにドラムまでも担当しているのです。
P-Funk、Funkadelic、Parliaments という「もろ」ブラック・カルチャーこってこての(まずジャケット・デザインからしてブラザー系?)、ものスゴ~いファンク・コングロマリット(?)の中に入った Sly が、やはりここでも「やや」内向した、ペシミスティックな陰りを Funk Gets Stronger - She Loves You に持ち込んでいるように感じるのはワタクシだけでしょうか?

*─ Funkadelic:もともとは George Clinton の Doo Wop グループ、the Parliaments のバッキング・バンドでした。
つまり、プロの(という言い方はヘンですが)ミュージシャンだったワケで、そこら、モータウンのあの面々に近いなりたち、と言うことができます。
どシロウト(?)が集まって出来た「ロック・バンド」、Sly & the Family Stone とはそこが「決定的に」違うんですねえ。
ま、それはともかく、1964 年に Parliaments はバッキングとしてギターの Frankie Boyces、そしてその兄弟(ホントに毎回ハラ立つよね、兄か弟かちゃんと書け!)の Richard をベースに、Langston Booth のドラム、という三人をかかえます。しかしその三人は 1966 年には兵役のために抜けています。
そこで 1967 年には George Clinton の古くからの友人でもあったベーシストの Billy "Bass" Nelson、ギターの Eddie Hazel、それと、何人かの入れ替わりの末に Lucius "Tawl" Rossのリズム・ギター、Ramon "Tiki" Fulwoodのドラム、という顔ぶれが固まりました。
この布陣で 1967 年には一連のヒットも出したのですが、契約先の Revilot レーベルとトラブルとなり、その打開策として Clinton はバッキング・バンドを前面に出し、Billy Nelson の案で、それを Funkadelic と名付け、自ら the Funkadelic Label を設立してリリースすることにしたのが 1968 年の中頃。しかし、すぐにデトロイトの Westbound レーベルと契約が成立しました。中身は the Parliaments とそのバックバンドなのですが、表面上は Funkadelic というバンドに「ヴォーカルで」 Parliaments が「参加」している、ってワケですね。
このグループにオルガン奏者の Mickey Atkins を加えてデビュー・アルバム Funkadelic がリリースされたのは 1970 年でした。
これには当然 Parliaments と、モータウンからのセッションメン、そして契約の関係で名前を出せないキーボーダーの Bernie Worrell(でも写真にゃ写っているんすけど)も参加していたようです。
もっとも Worrell は次のアルバム Free Your Mind...and Your Ass Will Follow You からは堂々とクレジットされるようになり、これ以降の P-Funk にあって重要な位置を占めてゆくことになります。
1972 年には James Brown のバックを務めていた Bootsy と Catfish(ギター)の Collins 兄弟がデトロイトで演奏してるのを見て気に入った Clinton はさっそく二人を雇い入れました。
しかしこの年、旧来のメンバーはガタガタになってしまいます。
まず America Eats It's Young の直後、Eddie Hazel が麻薬がらみの暴行罪で刑務所送りとなり、Tawl Ross は LSD の濫用のため健康を害して治療生活に入り、Bill Nelson は資産の取り扱いに関して Clinton とモメたことが原因で脱退しました。
Clinton は抜けた穴を埋めるためにギターの Michael Hampton を入れています。

その後、Cosmic Slop 、Standing On the Verge of Getting It On 、Let's Take It to the Stage までは Westbound からのリリースですが、1975 年には Warner Brothers に移籍し、1976 年には Warner Bros. での初アルバム、Hardcore Jollies を発売しています。
しかし、古巣の Westbound が対抗して(?)発売した Tales of Kidd Funkadelic は、なんとその Warner Bros. のHardcore Jollies よりも「売れた」というのだから面白いですね。おまけにそこからのシングル・カット、Undisco Kidd は、トップ 30 にまで上がっています。
Warner での Funkadelic がものになった(?)のはやはり 1978 年の One Nation Under a Groove のタイトルチューンのヒットからでしょう。この夏、実に 6 週間にわたり R&B チャートの頂上を独占し、アルバム自体も彼らにとって初のプラティナ・セールスを記録しています。
続く 1979 年には Knee Deep がナンバー・ワンを取り、そのアルバム Uncle Jam Wants You がゴールド・ディスク。
ところで、1981 年にはちょっとした混乱が起きました。
かっての Parliaments のメンバーだった Fuzzy Haskins、Calvin Simon、Grady Thomas の三人が、P-Funk から去り、こともあろうに Funkadelic という名でシングル Connections and Disconnection を発売し、チャート・インしていたのですが、本来の(?) Funkadelic もアルバム The Electric Spanking of War Babies からのタイトル・トラックがチャート・インしており、マーケットを混乱させています。
そして、このアルバムこそが、Sly Stone と Cynthia Robinson の参加したものでした


さて、1993 年 1 月12日、Sly & the Family Stone のメンバーたちは Rock and Roll 栄光の殿堂入りの認証式典に揃っています(他の顔ぶれはクリームに C.C.R. にドアーズ)。
P-Funk の George Clinton に呼び上げられたメンバーはステージ上に歩みを進めましたが、その中には Sly Stone だけがいませんでした。
Larry Graham がリードした Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin と Dance to the Music の演奏の後、Larry、Freddie、Rose、Cynthia、Jerry、Greg の六人が感謝のスピーチを述べ始めたところで、今日は表れないのか、と皆が思っていた Sly が場内で立ち上がり、満場の拍手の中、ステージに上がり手短なスピーチ「すぐ会えるよ」の一言を残して場を去っています。ウワサでは Los Angeles あたりで世捨人のような暮しをしている、というのですが⋯

1997 年 5 月25日カリブ海の島 Aruba で行われた Shinbad's Soul Music Festival に Larry Graham が組織して Rose、Jerry そして Cynthia Robinson で Sly & the Family Stone のメドレーを演奏しています。

さらに 2003 年の 6 月にはレコーディング・スタジオにかっての Sly & the Family Stone が再集結し、レコーディングに入ったのですが、やはりそこには Sly Stone の姿はありませんでした。
Slyの状態は依然として好転していないようで、Larry Graham が主になって新たに吹き込んだ 16 曲には、たとえ後からのオーヴァー・ダブでさえ彼が参加することなく終っています。
Larry Graham がいない Family Stone なんて Family Stone じゃないのと同様、Sly のいない Family Stone なんて・・・

Thank You Sly, for let me be myself again...

いやあ、公民権運動も絡ませたせいもありますが、遂にあの Screamin' Jay Hawkins を超えるドトーの 21 日ぶっつづけの「大連載」となってしまいました。
それにつけても、現在の Sly Stone=Sylvester Stewart の「落ち込み」ぶりからすると、逆に、いかにかっての彼が(ムリかもしんないけど)高い理想に燃えていたか、が窺えるような気がいたします。
この落差の大きさがそのままアメリカの病理を写し出している、なんて言っちゃうとそりゃモンダイもあるんですが、やはりドラッグも含めたアメリカのダーク・サイドが影を落としていることはまちがいないでしょう。

果たして彼の復帰はあるのか?

まあ、それにしても Funkadelic などと比較すると、Sly ってのはめちゃめちゃ Rock なんですね。P-Funk/Funkadelic ってのは本文中でも触れてますが、モータウンの Funk Brothers とおんなじ、ネはソウルなんですよね。そのウデのいいバック・ミュージシャンから発展して Funk になってる。
その意味じゃあ Sly & the Family Stone ってのは(それも、もっとも彼らが輝いていた 1969 年までの録音では) Funk じゃなく Rock です。
とあるサイトで彼らを Black Rock、と位置づけていましたが、そのキモチ判ります。イロイロ似てるとこもあるんだけど、でも、彼らを Funk のバンド、と捉えたらいっちゃん重要なものをとり逃がしちゃう。

ま、別にファンクの好きな方が彼らの音も好き!とおっしゃってくださるのはいいんですが。

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