New World Order

Curtis Mayfield


2004-12-20 MON.


"New World Order" とは、1991 年に時のアメリカ合衆国大統領(先代の)ジョージ・ブッシュが年頭教書において打ち出した「米国を主軸とした一極集中型の」統制のとれた世界のありよう、として使われた「概念」であり、それが(主に米国の巨大な)民間企業の思惑から支援される「ワールド・ワイド・スタンダード」あるいは「グローバル・スタンダード」などという美名をまとったグローバライゼーションと共に、非欧米的価値観の払拭へと画策を始めることとなるのですが、それは第三世界からの反発はもとより、特にアラブ社会、イスラーム世界観と対立したことによって、世界貿易センター→アフガニスタン→イラクという悲劇の連鎖を惹起し、むしろ「単一ではない」世界の存在を強く印象づけているのは皮肉なことです。

もう何年も前になりますが、第三世界の困窮を救う、などという名目で、ミュージシャンたちが所属レコード会社などの枠を越えてチャリティ活動をして話題となったことがありました。
もちろん、それ自体は別に悪いことではありません。
しかし、そんな中で「あの子たちはクリスマスだって知ってるだろうか?」てな曲もあったのをご存知でしょうか?
一見、こころ暖まるクリスマス・プレゼント、のように見えます・・・ でも、それはキリスト教が主流である欧米各国における、まことに無自覚な「奢り」でしかありません。
当時、そのミュージシャンたちが、この子たちにも「クリスマスの歓びを分けてあげたい」と思った「この子たち」は果たしてクリスチャンだったでしょうか?
モチロン、中にはクリスチャンもいるでしょうが、その大半はイスラーム、あるいはヒンドゥーなどの非キリスト教徒でしょう。
それに対して、クリスマスだって知ってるかなあ?と言うのは「無知」のせいではあるとしても「無神経」に過ぎる、いえいえ、もはや「暴力」に近いとさえ言えます。

ケッキョク、欧米におけるグローバライゼーションなんて言うのは、「世界のありようを理解することから始める」のではなく、我々のやり方を世界中に「強制しよう」ということでしかありません。
そんなのは決して Globalization ではない!世界の「欧米化」です。

⋯なんてことを前置きとして、この Curtis Mayfield の 1996 年のアルバム New World Order からその表題曲を聴いていただきましょう。

Darkness is no longer ⋯と始まる、モノローグのような静かな曲は、なんだか、そんな「ごリッパ」なこと言う前に、自分の国の中でだって、人種差別の問題ひとつ、完全には解決なんかしてないじゃないか、という黒人たちのつぶやきが、殊更、声を高めるでもなく綴られていきます。

この映像ではあの公民権運動での様々なシーンがコラージュされ、歌う Curtis Mayfield のバックに見えるのは Martin Luther King Jr. の墓碑です。
この映像は、実は 1996 年の Spike Lee 監督作品 Get on the Bus のサウンド・トラックに使われたことから、その映画のシーンも流用されているらしく、ワタクシ個人はその映画を観ておりませんので、作品の解説の受け売りになりますが、どうやらワシントンでの大行進に参加するためにアメリカを横断して行くバスに乗り合わせた黒人たちを描いたものだそうで、ここでも乗り合いバスの中の映像(もっとも、平気で臭い葉巻を吸う黒人が蹴り出されるシーンもあって、そこらは現代の風潮を多少は反映しているのかもしれませんが)が使われています。
一方、キューバのカストロ議長(?)を思わせる軍服姿のオトコや、アラブ系の人物などの映像もフラッシュ・バックして、アメリカが自由に出来ない世界が地球上には存在していることを示唆していく⋯

しかし、その通奏低音のように全編を通して流れているのは、「ある種の哀しみ」ではないでしょうか?
あの照明器具の落下事故で殆ど身体の自由を奪われた、という彼個人の状況のみではなく、「いまだに」黒人を取り巻く状況は出口の見えない迷路の中にあり、世界の(「秩序」なんぞではなく)「平和」も遠ざかるばかり、という嘆きがそこには感じられるのですが。

Livin' is so hard, Baby
That my hair's grey・・・


そのような彼のつぶやきと対照的なのが、まるで出来合いのようなコーラスが提示する呪詞

New World Order, brand new day
Change your mind for the human race


の連続です。ま、そんなつもりは無いのかもしれませんが、ワタクシには、そこのところが空疎なかけ声に聞こえてしかたがありません。
Curtis Mayfield の声との対比もあってそう感じるのかもしれませんが、なんだか、一見リッパそうなこと言うのはカンタンなんだよなー。
でも、現実には、ってえと New World Order は黒人の地位にはなんの改善ももたらさないし、Brand New Day はカネのある富裕層にしか訪れやしない。

1996 年の Curtis Mayfield の「哀しみ」が、本当に「過去のもの」になる日は来るのだろうか?
彼が Georgia 州 Roswell の the North Fulton Regional Hospital で息をひきとったのは 1999 年12月26日のことで、「あの」 9.11 の悲劇を見ることなく逝っています。

もっともパワーを発揮していた頃の Sly & the Family Stone が、努めて(?)明るく、人種を越えた夢を歌い上げてポジティヴに関わっていった(もちろん、そのメソッドもまたケッキョクは挫折するのではございますが)のに対し、この Curtis Mayfield って、あくまでも「哀しみ」を基軸にしてアプローチして行ったミュージシャンではなかったか、と思っています。
そのクリシェとしてのワザの断片は広範囲なファンクの世界から借用しつつも、その歌詞を中心とした彼ならではの楽曲は「踊れりゃいい」みたいな位相を突き抜けて、まさにそれを聴いた人間に色々なことを考えさせる(が故に、嫌う人もいる)ものでした。

この後もブラック・ミュージックで「カッコいい」アーティストはいっぱい出てますけど、こんな、「考えさせる」音楽ってどれだけあるでしょ?

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