Walkin’ the Ceiling

Hound Dog Taylor


2004-12-28 TUE.


Hound Dog Taylor の、と言うか the Houserockers のインスト・ナンバーには、大雑把に言うと二種類の系統がございまして(と、ワタクシが言ってるだけなんですけどね)ひとつは Brewer Phillips のギターが主役の Kitchen Sink Boogie に代表されるタイトな Telecaster サウンドでスルドく斬り込んでくるヤツね。
で、もひとつは Hound Dog Taylor のスライドをフルに活かした Buster's Boogie の系譜でございます。

この Walking the Ceiling はどっちか、ってえと Hound Dog Taylor メインのタイプなのでございますが、なんと言っても最大の特徴は、途中たっぷりと挟まれる Ted Harvey のドラム・ソロでございましょ。
普段 Hound Dog Taylor のバックで、三人しかいないのを埋め合わせるかのように叩いて叩いて叩きまくる Ted Harvey ですが、ここでは延々とドラム・ソロをぶちかましております。
とは言ってもスティーリィ・ダンの Aja におけるスティーヴ・ガッドみたいなんを期待しちゃあいけません。
アルバムの英文ライナーにもあるとおり、

They played Loud, long and loose.⋯
The best ( guitars and amps ) volume setting was always 10.
They loved to see people dance ⋯

てなワケでございますから、フュージョン系のドラマーなんぞにしたらハナもひっかけないよなドラミングかもしれませんが、この「基本的にはズンドコ」なドラムがまあ、実にヨいのですねえ。
このアルバム( Alligator ALCD-4896 )には、あちこちでのライヴも収録されておりますが、この曲はスタジオでの録音でございます。
なんだかいかにも彼ららしいイージィな雰囲気で曲がスタートし、いつものように Hound Dog Taylor のスライドがチョーシいいダンス・チューンをおっ始めるワケですが、まるでクラブで演奏してるみたいなノリで Ted Harvey のドラム・ソロを「かなり」たっぷりと挿入しておるのでございます。

そのソロにしてからが、ウデをひけらかそう(ま、そんなことするドラマーに限って「たいしたことない」んですが)なんてえ気もさらさら無いようで、それまで踊ってた連中が思わず踊るのをやめて拍手するような「ソロ」じゃなく、むしろ、なんにも気付かず踊り続けられるよなソロなのよねん。
そ、ギターでもそーだけど、ソロなんてダレでも出来るのよねー。モンダイはソロとってない時にどんなプレイしてるか、なんざます。
いますよ~、銭金の土田語録「死ねばいいのに」じゃないけど、「コイツ、音楽やめりゃいいのに」って思うの・・・

ま、そんなことはともかく、この Ted Harvey はん、1930 年12月21日の Chicago 生まれなんですねえ。ま、シカゴで生まれたからブルースどっぷり、なんてこたあ無い(だって弘前で生まれてたって津軽三味線にぜ~んぜんキョーミ無い人もいる、いえ、それどころか、そっちのほーが多いのと一緒ざんす)でしょが、そこらデルタからの北上組と「ハングリーさ」とかで違いがあるんでしょか?
どっちにしても音楽だけで食べていける、なんてのは熱烈なファンがいるよな、ごく一部の限られたカリスマ的存在でもなけりゃムリなワケで、それどころか、ワタシに言わせりゃ、それだけで喰っていけないから昼の仕事もして、夜はクラブで演奏する、ってえその「ライフ・スタイル」こそが「ブルース」でしょ。

この Hound Dog Taylor and the Houserockers のサウンドなんて、モロ、そのヘンの全国区マーケットなど眼中に無く(たぶんね)、信念(?)のままにやってるせーか、コアなファンは潜伏してるものの、最後まで「大スター」にはなりませんでしたよね。
それを、「なれませんでした」と捉えるのは「成功神話」に毒されたロマンチストっつーもんでしょ。

音楽でイチバン大事なことって「売れるようになる」こと?
美術でも文学でも「それ」目的でやってるヤツもいるけど、どっちかちゅうと「その世界では」真剣に取り組んでるひとからは軽蔑されるワケ。「ああ、あのかたはヒット狙いですから」とか言われてね⋯

音楽の世界では売れてるヤツがイバってるっちゅうとっからも音楽の芸術性ってのが「極めて低い」ってのが判りますよね。だってカネ儲け優先の世界だから「音楽業界」なんて自分で言ってるし、どしたって不純になっちゃう。
そこらが「芸術」ってよりは「芸能」だ!っちゅうことなんだろな。

ひところ「本屋の店員がおススメする本」なんてアホなことやってたりしたけど、本屋の店員って文学の専門家なワケ?違うよね〜。まあ、この本は売れそう!てなカンは働くかもしんないけど、文学性だなんて小説のフアンよりも詳しいと思う?
なかにはそんな店員もいるかもしれんけど、同じよにレコード屋の店員に判るのは「売れそう」かどうかだけでしょ。その音楽が「もたらすであろう」革命的な意義、なんかより「売れるかどうか」だろ。
どうもねえ、そこら店員さんイコール専門家ってゆうイメージが「そもそも」狂ってますよ。

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