It's Tight Like That

Tampa Red


2005-01-03 MON.


そもそもは Georgia Tom* とのコンビで吹込んで大ヒットとなったこの曲ですが、それを Tampa Red's Hokum Jug Band 名義で吹き込み直したものです。

*ー Georgia Tom: 本名 Thomas Andrew Dorseyo 1899 年 7 月 1 日、 Georgia 州, willa Rica 生まれ。父 Thomas Madison Dorsey は(おそらくバプティスト派教会の?) 牧師も兼ねた小作農で、母 Etta Plant Spencer は教会のオルガン奏者でもあったが、ビアノの教師であった、とも言われる。つまり生活には Spiritual などの音楽が溢れていたようで、そのような家庭環境からか、彼が年若くしてビアノを弾けるようになるのも自然なことだったのかもしれない。
1908 年には一家をあげて Atlanta に移るのだが、それが彼にもたらした音楽上の変化は大きい。
Atlanta では Spirituals だけではなく Gertrude “Ma” Rainey や Bessie Smith などとも出会うことによって Barrelhouse 系のピアノにも接近し、すでに12 歳からホームパーティなどで演奏するほどの腕になっていたと言われている。
さらに 1916 年には Chicago に向かい、Chicago School of Composition and Arranging に入学し 1920 年には自身による最初の作品を発表している( Published とあるので楽譜出版と思われる)。次いでWil Walkers の Whispering Syncopaters に参加。さらに「あの」Mayo Williams の下で作曲者、アレンジャーとして働くこととなりそれはまた同時に Paramount と Vocalion というニつのレコード会社でのエージェント(たぶん演奏者とレコード会社の間に立ち、契約条件やミュージシャン側からの要望をレコード会社に伝えるような業務と思われる)としてブルースにも深く関わって行くこととなる。
また個人としての演奏活動ではもっぱら Barrelhouse Tom や Texas Tommy(彼の出身地でもなければ、そこで「ある程度の期間、暮らした」こともない Texas を騙っているのが「謎」だが)の名前を使ったりしていたようだが、やはり本人の訛りであるとか会話に登場してくる地名などからか、遥かに定着したのが Georgia Tom だった。
その彼が Hudson Whitteaker、つまり Tampa Red と組んで1928 年に送り出した Tight Like That が「かなりの」ヒットとなり、そこでクレジットとして使われたこともあって、以後の彼は当然のように Georgia Tom の名前で生きていくこととなった。
彼の「最初の」妻は前述の Ma Rainy の衣装係だった女性だったが、出産時に死亡し、遅れてその二日後にはそうして生まれてきた男の子もまた死亡してしまった。
その哀しみから作られたのが彼自身の代表作ともいえる Precious Lord, Take My Hand で、以後、彼はゴスペル界を主な活躍の場に据えて行く。
また Precious Lord, Take My Hand は実に多くの(白人を含む)シンガーによってカヴァーされ、この曲を気に入っていた Martin Luther King Jr. の葬儀にはこの曲が Mahalla Jackson によって唱われている(暗殺された前夜にも King 牧師を囲む楽会で実際にこの曲が合唱されていた)。
ところで、なぜか Lyndon B. Johnson 大統領も、自らの葬送曲にこの Precious Lord, Take My Hand を指定している。
アメリカの黒人の音楽、という「括り」で捉えれば、彼の存在は大きなものではあるが、その代表曲である Precious Lord, Take My Hand が言わば「純然たる」ゴスペルであるがゆえに、当サイトでは彼を Biography にも収録はしていない。
その Georgia Tom が身認ったのは 1993 年の 1 月23日、Chicago で 93 歳であった⋯


これ、「二番熱じ」などではなく、確か、「四番」か「五番煎じ」くらいじゃないでしょか?
Georgia Tom じゃないのと録ったのもあったハズだし、さらに歌無しのヴァージョンも(これはまだ聴いたことがありません)あるようで、一体、これ、何回録音してるんでしょ。
ま、こんくらいのヒットになると、ちと手を入れてリリースすると、それはそれで「売れた」んでしょね?
やはり音楽業界じゃ、今も昔も二番煎じ、あるいは柳の下のドジョウを狙うってのは常套手段なのですねえ(って、似た曲、って意味だから、これとはちょとちゃうか?)。
P-Vine PCD-5764 Tampa Red : Slide Guitar Classics に収録されたこれは、1928 年10月31日、Chicago での録音で、どうやら柔らかいトーンでサイドにまわっているギターはMartell Petti-ford ってえひとのよーです。
ピアノはモチロン Georgia Tom。
カズーとウォッシュポード担当が Herman Brown で、ジャグ(容量 1.5〜2.5 リッターの壜に息を暖間的に吹込んで「プン!」っちゅう低音を出す「楽器(?)」。ウォッシュタブ・ペースよりさらに「簡易」な低音楽器ですが、スーザホンに似た意外とインパクトのある音を出し、けっこ一迫力あります。日本では Sleepy John Estes とともに来た Hammie Nixonで知られてるかも)が Carl Reid でございます。
そして、そのよーな豪華な(?)パックの上で騒いでるヴォーカルは Frankie "Half-Pint" Jaxon!

どっちかってえと、「楽しけりゃいーじゃん!」てなノリで突っ走る「お調子もの」の悪フザケともとれますが、耳を澄ますと Tampa Red らしき律後なスライド・ワークがそれでもあくまでも一線を越えずに「やるべきことをちゃんとやっている」のに気付きます。
一番目立たない、つ一か、殆ど聞こえてこないのが Ceorgia Tom が弾いてる、とクレジットされてるピアノでしょう。曲のアタマではいかにもピアノ?っちゅー音も聞こえたのですが、いざ始まっちゃうと、ヘッドフォンでチェックしてもついに識別できず⋯
ま、どしても聴きたい!なんてワケじゃないんで別にいいんですが。

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