Cross Roads

David "Honeyboy" Edwards


2005-01-04 TUE.


さすがにここを訪れてくださる方々ではそんなひとはいないと思いますが、ロック系のギター小僧たちで、Cross Road のオリジナルをクラプトンだと思ってるのがケッコーいるみたいだな。
いえいえ、別にナニも「含み」はございません。世の中にはそんなひともいるんだな⋯ といささか感心してるだけでございまして、「なっちょらん!」とか、「近頃の若いもんは!」なんて不遜なことは、これっぽっちも考えておりませんです、ハイ。

ま、そんなことはともかく、「あの」Cross Road がロック業界の「スタンダード」となりつつあるのは事実なようで、んなワケで、あれがオリジナルだ、と思っちゃうのが出てくるのもあったりまえ!なのかもしれませんね。

さて、昨年 7 月12日にトロトロ(?)の Sweet Home Chicago を取り上げて以来ひさしぶりの David "Honeyboy" Edwards でございます。
ホントにこのひとのブルースってのは、まったく「力み」も無く、そよそよと流れていくが如き独特の世界を持っておりますねえ。

もうかなり前のハナシになりますが、青森市の今はもう無くなっちゃった青森市民会館ってとこに来たときも、我々 the Juke Joint Society のメンバー揃って弘前市から「プチ・ツアー」を組んで「鑑賞」に赴き、ついでに楽屋にまで押しかけたのですが、ツンツンすることもなく、とてもおっとりと応対してくれたものでした。

なんか、こーやって聴いてると、あの時に感じた「お人柄」なぞが思い返されますね。
彼のブルースは、それを聴いたことによって「魂が震える」よな感動、ってのはあまり無いかわり、とても日常的なテンションで、歌と生活が乖離してないフシギなまとまりの良さみたいなものを感じたものです。
ま、逆に言えば「ドラマ」には欠ける、ってことも言えるワケですが、これはこれで良いんじゃないでしょか。

1997 年のクリスマス・イヴにリリースされたこのアルバム、World Don't Owe Me Nothing には、West Helena Blues や Walkin' Blues 、Catfish Blues に Too Many Blues、あの Sweet Home Chicago なんて楽曲の他に、インタビューに答えて語る彼の「談話」までもが対象となるエピソード別に(いわく Robert Johnson Story、Robert Nighthawk Story、Comin' To Chicago Story、そして Carey Bell Story など)収録されています。
これは同時に発売された彼の同名の著書とシンクロしているためで、英語の読解力に自信のある方は、そちらもお求めになられましたら、より一層この世界を楽しめるのかもしれません。
試みに Amazon で検索してみましたところ、ハード・カヴァーで 2,594円(税込)、ペーパー・バックで 1,378円(同)という値段がついておりました。

買ったら和訳して内容を教えてちょーだい。
え?甘えるんじゃねえ?にゃはは 。

新年早々、黒石市の新しい「K」というソバ屋に行ってみました。
ここは以前、りっきーさんたち御一行様を案内した三味線ライヴハウス「こみせの駅」とやらのちょうど裏手にあたり、その「こみせ通り」とは逆向きの一方通行の並行した裏通りを進むと左手にお店が見えてきますが、その手前右側に専用駐車場がありますのでウッカリしてると行き過ぎちゃうかも。
その通りに面した店舗はしかし厨房部分らしく、店の入り口は左側の軒下を一番奥まですすんで建物の裏から入るようになってます。
つまり、その間に店内にいる全員から見られるっつーワケ。

店内に入ると左側にやや弧を描くカウンターがあって 10脚ほどの椅子がならんでおり、一方右側には、さっきのアプローチに面した大きな窓の前に小上がりがあって、そこだけは靴を脱ぐようになってます。
今回はカウンターに座って「もり」を注文いたしました。
生粉打ち(きこうち) 700円、とこれは一閑人と同じお値段でございます。

さて、フツーこのようなオープン・キッチンとする以上は、客に見られてもいいように、「美しく」保っておかねばならないのは「とーぜん」のことでございますよね。
しかるに、なんとしたことか、そのような努力が払われておるようにはどーも「見えない」のですよ。
さらに気になったのが、ちょうどワタクシの目の前に、むこう向きに置かれた「台所用の秤」でございます。
ふつー、茹でる前の蕎麦ってのは一人分づつまとめてありますよね?
ところが、なんでか、オーダーがあるごとにそのハカリに蕎麦を無造作にドサっと乗せて計ってるんですよ。

でまた、そのハカリの上皿が華粉まみれになっておりまして、「やや」見苦しいのでございます。

で、その向こうにある釜まわりにいたっては「やや」どころではなく「かな〜り」見苦しい、の域に達しておりました。
ともかく目に入るカウンター内の作業領域がどこも散らかっておりますから、なにゆえ、このようなオープン・カウンターにしてしまったのか、真意を計りかねますねえ。

ま、もちろん、整理整頓の能力と調理の才能は「別個のもの」でございまして、どんなに美しくキレイに片付いたキッチンででも、身の毛もよだつよな「料理のようなもの」を作る人もいるし、きったねえラーメン屋でもウマいとこはあるのでございますよ。
ま、それとは別に店主の所作がいちいち荒っぽくて、釜に湯を足すときも柄杓で無造作に「投げ入れる」が如き扱いで、ま、ダイナミックっちゃあそのとーりですが、いささか鼻白む眺めではありました。

かんじんの蕎麦ですが、一見、挽きぐるみか、と思うほどの浅黒さですが、やや「ぶっきらぼう」なソバ、って感じ。
ツユは濃いけれど、挽きぐるみゆえか、旨み以前に粗っぽさが前面に出ているような気がします。
ただ、そのツユは、おそらく「かえし」の製法によるものか(これは想像でしかありませんが、味醂のクセか、あるいは味醂以外に酒を使ってて、そのクセかもしれません)ややアルコール系の醗酵臭が残り、同時に僅かながら乳酸系の「酸味」も感じられるような気がいたします。
もちろん、それは、あくまでも個人的な「好み」によるでしょうが、嫌うひともいるかもしれません。

さて、最終的な評価基準であるところの、「とめごろおさんを連れていけるか?」ってえことで言えば、No!でございます。
どころか、「うっかりこんなとこに入ってしまったことを後悔する」店でございました。
入る前には手書きの看板の手蹟(て)を見て警戒を緩めてしまったのですが、店内の、まさに店主が書いたらしい文字が「それはもう」汚らしく、前もってこれが外から見えていたら入らなかったな⋯ゆうような残念な店。
まこと、手蹟は人を表す⋯

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