No More Woman Blues

Texas Alexander


2005-01-11 TUE.


1928 年の 3 月 9 日に Texas 州 San Antonio で Okeh のための吹き込まれたナンバーで、カップリングは Sittin' On A Log で Okeh 8624 としてリリースされたものです。
1934 年の Mississippi Sheiks とのものはそのバックも判っているのですが、それ以外の作品では、Lonnie Johnson や、昨年末に採り上げた Little Hat Jones などもバックをつけていたようで、そこがヴォーカルのみ、っちゅーこの Texas Alexander ならではの世界を作っています。

どっちかってえと、この年代で、ヴォーカルのみのブルースマンってのは明らかに少数派でして、ふつーはギターやらピアノ、はたまたハープなんぞを演奏しつつ「歌う」ってのが当たり前だったと思うんですが、どうやら、生涯いっさいの楽器とは縁が無かったらしいですね。
そして、この唱法ですが、特筆すべきは、かなりの「大声」だったらしいことです。
さらに、震えながら伸ばすあたり、ここらを「フィールド・ハラー」の遺産である、とする分析もあるようですが、ま、確かになにひとつ反響するものが無い野っぱらでは、このよーな唱法が遠達性という意味でもかなり効果があったのかも知れません。
例えば、ワタクシ個人としちゃあ苦手な部類になる Johnny Shines あたりに、この唱法の残滓が見られるのではないでしょか?
ま、Johnny Shines の場合は自分でギターも弾いていますから、その分ヴォーカルに向かう「集中力」みたいなもんは「薄い」とは思われますが。

かなり滑らかな「手練感(?)」のあるギターのイントロに始まるのですが、続いて入って来る歌は、まさに「 Moan 」という表現がぴったし来るような「重さ」に満ちて、上っついた調子を一掃しちゃいますねえ。
もっとも、歌ゼンブがそんな重さに沈んでいるってワケじゃなく、バックのギターとからみつつ、語るように歌ってみたり、また Moan に戻りつつ、独特の世界を作っていきます。
Johnny Shines が苦手、ってとこから想像されるとおり、この Texas Alexander も、いささか敬して遠ざけていたとこがあったんですが、この BLUES日記を始めてからというもの、ケッコーあらためて聴いてみてるブルースマンが多く、そーやって聴いてみると、以前ほどヤでもないかな?なんて例も出てきております。
特にこのテのフィールド・ハラー系(?)とされる唱法にも次第に耳が馴れてきてるよな気もするんで、もしかすっといつの日か(?) Johnny Shines も「いいなあ」と思える日がくるんでしょか?

Alger "Texas" Alexander は 1900 年 9 月12日に Texas 州の Dallas と Houston を結ぶ州道 190 号線のほぼ中間位置にある小さな町、Leon 郡の Jewett で生まれています。
どのくらい小さい町か、ってえと、2000 年の国勢調査では、人口が僅かに 861人(!)とありますから、その 100 年前が「どんなに違っていたとしても」大都会だった、なんてワケはありません(実際、そんな劇的な「凋落」の歴史があったら、町についての記述に必ず加えられておるハズですが、そんなハナシはいっこもございませんでした)。

ただし、その後、彼がいかにしてブルースを歌うようになったのか?ってえあたりの記述は発見できず、ただ、彼がレコーディングを開始した 1927 年頃には、テキサス州内では第三の大河(あ、アメリカ的スケールでは「大河」なんて言えないようですが、それでも日本の信濃川よりも長いんですから、ワタクシの感覚としては充分に「大河」でございます。実際に一時期ケツに水車みたいのをグルグル回して進むスティーム・ボートも就航していたような資料も存在していますので、ミシシッピー河ほどじゃないにしても、ケッコーな大河ですよね)、Brazos 河の氾濫原に残された三日月湖などを取り巻く湿地帯ではないか、と思われる(ここら、現地をまったく知らないで書いてますから、想像してるだけでして、実際には「ちゃう」可能性もありますが) Bottomland ってえあたりに居住していたらしいんですね。
レコーディング以前には各地のキャンプやピクニック、ハウス・パーティなどにも出張って歌っていたらしく、この時期には Blind Lemon Jefferson とも交流があったようです。
その Okeh への録音はいったん 1920 年代末で中断し、続いて彼が録音シーンに復活したのは1934 年 4 月 9 日、同じく San Antonio で行われた Mississippi Sheiks をバックにしての Okeh への録音となります。
そして同日、Sax Black Tams(氏名不詳のアルト・サックス、クラリネット、ギター、ピアノからなる、彼自身のバック・バンドらしい)の伴奏で Vocalion にも吹き込んでいます。
続いては 1934 年 9 月29&30日、Texas 州 Fort Worth で Vocalion に録音。

その後は 1947 年まで、彼の録音は途絶えます。ただし、その間も歌っていなかったわけではなく、Lowell Fulson や Howlin' Wolf などとの活動は行っていたのですが、 1939 年に Texas Alexander は自分の妻を殺害した件で有罪となり、1940 年から 1945 年まで、(一説では Dallas 市の Deep Ellum 付近にあった刑務所だとか。Deep Ellum については、前述の Little Hat Jones のとこで出てきておりますので、そちらをどぞ)収監されておりますが、出所後、Lightnin' Hopkins(親戚だそうで)とともに活動を開始し、さっそく Aladdin に一緒にレコーディングを行いました。

彼の最後の録音は 1950 年に Benton's Busy Bees をバックに録音したものですが、1954 年 4 月16日(ただし、異説もあり、それによると 1955 年)、死亡しています。最後は Bottomland で迎えた、また死因は梅毒の進行によるものだ、という説もありますが定かではありません。

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