2005-01-25 TUE.


「朝鮮戦争」ってのは、拉致問題がクロース・アップされている最近、なにやらミョーに日本でも身近(?)な話題になっちまった北朝鮮と、一方では韓流ブームとやらで騒がれている韓国にまつわる出来事なだけに、おそらく知名度もそこそこある(?)かとは思うんですが、一方、我々日本人にはちと遠い世界つーか、ある意味、理解も出来てないんじゃないか?と思うのが中東問題、それもイスラエル建国とパレスチナ問題あたりでございます。
これにはイギリスの動きが大きく関わっているのですが、さすがにそこまで踏み込んじゃうと、この連載もどこまで行くか判らなくなっちゃうんで、ま、イギリスがどっちにも「いい顔」したために「約束の地」を獲得したシオニストと、その入植で排除されたパレスチナの民の根本的な反目が底流にある、てなあたりを「とりあえず」覚えといていただければ⋯

1947 年11月、パレスチナの地に、アラブ人国家とユダヤ人国家の双方を分割して建設する、という国連決議がなされ、イギリスは委任統治を終了。しかし、これは解決ではなく、現在にまで連続する一切の紛争のスタートでした。

その最初の波紋が 1948 年 5 月14日、イスラエルの建国宣言で、これに反発する周辺のアラブ諸国が、およそ 15 万の兵力でパレスチナに進攻。イスラエルはおよそ 3 万にも満たない兵力で、当初は後退させられましたが、休戦期間中に設備も練度も向上させて次第に反撃に転じ、優勢なまま 1949 年 6 月に国連の停戦勧告を受け容れました。この時点でイスラエル領土は攻撃前よりも拡大しており、このことがまたアラブ諸国の「怒り」を買っています。
そしてアスワン・ハイ・ダムの建設中止がアラブ諸国の反西欧社会姿勢を表面化させたのかもしれませんが、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を決定し、これが契機となった第二次中東戦争が 1956 年に起きているのですが、それはアタマの隅においといてもらって、ここは本題(か?)の Elmore James の年表にちょっと話を戻しましょ。

時は 1951 年の 8 月 5 日、Mississippi 州 Jackson のクラブに Sonny Boy のバックとして出演していた Elmore James は、Lillian McMurry のレーベル Trumpet に吹込む Sonny Boy に付き合ったついで(?)に、あの Dust My Broom を録音しています。
バックには Sonny Boy Williamson II のハープ、そして Leonard Ware( bass )と Frock O'dell( ds )。
ただし、これは 2004 年 7 月25日に採り上げましたとおり、シングルの裏面が Bobo "Slim" Thomas の Catfish Blues となっており、一部の資料ではそれを、録音した Elmore がそのプレイバックを聴いてるうちにイヤになったのか帰ってしまって裏面の分が無かったからだ、なんて伝承もございますが、そこら真相は不明でございます。
しかもこの Bobo Thomas ってのがどんなヤツなのかさっぱわからんのですから、ミステリーでございますねえ。
でも、このカップリングで発売されたレコードは Dust My Broom がかなりのヒットとなり R&B チャートの 9 位に入る(一週だけでしたけどね)出来となっています。
ところで、とある資料では Dust My Broom はリハーサルを録ったもので、最初それがリリースされたが翌年もういちど録り直したリメイク版の I Belive がヒットした、なんてあるんですが、これについては、どっからそんな話が出てきたのかまったく不明です。
確かに Trumpet での録音ではリハーサルもテスト録音した可能性はあるが、それは本番で上書きされて消滅している、としている資料もあります。
また当初の Trumpet 146 の後、Ace 508 としてリリースする際に、カッティングをし直し(これが当時のリマスターリング!)、タイトルも I Believe My Time Ain't Long と変えていますが、これをカン違いしてるんじゃないでしょか。
Elmore James と Trumpet との関わりはこれひとつで終り、それ以降は Bihari Brothers の Modern、Flair、Meteor へと録音の場は移ります。

翌1952 年 1 月には Mississippi州 Canton(ここで Elmore が異父弟の Robert Earl Holston が経営するラジオ・ショップで働いていた、とする資料もあります)での Joe Bihari によるレコーディング。ここではポータブル・テープ・レコーダーが使われ、Canton のナイトクラブ the Club Bizarre で録音された、と言われています。ピアノに Ike Turner 、ドラムは氏名不詳。
この時には Please Find My Baby、Hawaiian Boogie、Take a Little Walk with Me、Dust My Broom なども録音されたようですが、Please Find My Baby と Hawaiian Boogie の二曲は Kent LP-9001 などに収録されています。他はおそらくテープが散逸したか、これもまたテープに上書きされて消えた可能性があるようです。

この時の二曲のマスター・テープは後( 1953 年 5 月)に Los Angeles の Universal Recording Studios でベースとドラムをオーヴァーダブされて Meteor master #MR 5017 となったそうです。

同じく、これも氏名不詳のサックス・プレイヤーを加えて Lost Woman Blues( Please Find My Baby の Ver.2。ただしこれは Flair 1022 として一度は市場に出ているらしいのですが、Lillian McMurry から、いまだに Elmore James は Trumpet の契約下にある、という抗議を受けてすぐに回収されています。結局ちゃんとリリースされたのは 1954 年になってからのこととなります)、Lost Woman Blues( Please Find My Baby の Ver.3。こちらはやはりベースとドラムを後にオーヴァーダブされて Meteor master #MR 5016 となりましたが、それは結局リリースされず、オーヴァーダブされていないオリジナルの方が Flair 1022 として後にリリースされています)、Hand in Hand(これは Flair 1031 としてリリース。また Kent LP 9001 にも収録されています。)を録音。

続いて Ike Turner のピアノ以外は氏名不詳のサックス、ベース、ドラムをバックに Long Tall Woman Blues、Rock My Baby Right( take 1。ただしこのマスターは後に紛失されています)、Rock My Baby Right( take 2。これは Flair 1048 としてリリース。また Kent LP 9001 にも収録されています)、My Baby's Gone( Ace CH 68 )、One More Drink( take 1。Kent LP 9001 に収録)、One More Drink( take 2。Ace CH 68 )が録音されています。ここまでが 1952 年 1 月の Cantonでの録音。
それと、これは Elmore 本人が知っていたかどうか確認が出来ませんでしたが、ボイド・ギルモアってのが 1952 年に出したシングル、All in My Dreams( Modern 872 )には Elmore James のいずれかの Please Find My Baby のギターが「移植され」て使用されたそうです。
その All in My Dream っての、聴いたことが無いので未確認なんですが、ギター・ソロの部分を「切り貼り」しちゃったんでしょか?

同じ 1952 年の11月には Chicago の Universal Studio で Joe Bihari によるレコーディング。
そしてここではすでに「あの」メンツが揃っております。
そ、もうお判りですね? J. T. Brown のサックス、Johnny Jones のピアノ、Ransom Knowling のベースに Odie Payne Jr. のドラムです。
一般にはこのメンバーを the Broomdusters としている例が多いようですが、その前の Canton 録音ですでに Broomdusters 名義が使われているとした資料もあり、そこらはちと「?」でございます。
というのも、Bihari Brothers は Elmore を録音したものの、例の Trumpet の絡みもあってすぐにはリリースせず、その間に CHESS でのシングルが出たことにより、慌てて CHESS に抗議して回収させ、そこでやっと録音が「日の目を見た」としている資料があり、もしそれが本当ならば、1952 年の Canton 録音に遡って「 the Broomdusters 」のクレジットを入れた可能性もあるからでございます。
てなことはさておき、この Chicago では Baby What's Wrong( Meteor 5003、Ace CH 112 としてリリース)、I Believe(これは 1953 年の 2 月に 9 位にまで上がり、以後 3 週間チャートにとどまりました。Meteor 5000、Kent 508、アルバムでは Kent LP 535、Kent LP 9001、Kent KST 538 などに収録)、Sinful Woman( Meteor 5003、Kent LP 9001、Kent KST 538 など)、I Held My Baby Last Night( Meteor 5000、Kent LP 9001、Kent KST 538 など)を録音しています。

面白いのはこの時に録音した歌無しナンバーがあって、それは Round House Boogie( Meteor 5001 ) と Kickin' the Blues Around の二曲なんですが、これ、後に Elmore James and the Broomdusters じゃなく、Saxman Brown( J. T. Brown のことね) with the Broomdusters 名義で、曲名も Round House~が Sax Symphonic Boogie( Meteor 5001 )となり、Kickin' the Blues~は Flaming Blues( Meteor 5001・・・つまりシングルの裏表ですね。どっちゃが裏やら判らんけど)となってリリースされました。もちろんメンバーは Elmore もこみで上とまったく同じです。
そしてこれも Meteor 5016 としてリリースされた Sax-ony Boogie( Saxman Brown, Elmo James Broomdusters 名義)と、Dumb Woman Blues( J. T. "Big Boy" Brown, Elmo James Broomdusters 名義)の二曲も録音されているらしいのですが、 Sax-ony Boogie と Round House Boogie は聴きましたが、Elmore のギターは「ま〜ったく」聴こえてませんね。サックスの派手なブローと走り回るピアノしか⋯

ま、ある意味、 J. T. Brown も「売れる」と判断されたんでしょか?

なんと、りっきーさんの大叔父であらせられる方が、サイパン守備隊の一員だったんですねえ。

今度りっきーさんがその叔父さんにお会いになる時には、サイパン玉砕の一年半ほど前に日本軍のド真ん中にパラシュートで降りて来てとっ捕まったドジな黒人兵、それもやたらチョーシいい「おバカ」なヤツで、他の捕虜をいつも笑わせてた、なんてのがいませんでしたか?って尋いてもらえないでしょかねえ。

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