Tell Me Mama

Sam Lay


2005-02-15 TUE.


みなさまもご存知のとおり、"Tell me mama" は Little Walter の曲ですけど、これは、あの '69 Ann Arbor Blues And Jazz Festival で、伝説の Magic Sam のバックを務めたドラマー Sam Lay が自分のバンド、Sam Lay blues band で吹き込んだものです。

なんと言っても、この声が独特でいいんですよ。
そしてドラマーがリーダーだ、っちゅうせいなのか、全体にこのドライヴィングするリズムが「バリバリ」でカッコいい!
ま、ゲージツテキな意味じゃあ Little Walter のほーがそりゃ上、っちゅう感じですが、このラフでフレンディーな「スっトボケ声」が意外とクセになるんですねえ。

これが収録されてるアルバム、Testament T-2218 の V.A. Goin' to Chicago に一緒に入ってる Walkin' by myself もなかなか元気があっていいですね。もちろんジミー・ロジャースのもいいですけど。

この Sam Lay については 2003年10月 6 日の日記 *で採り上げた、'99年春の録音の Rush Hour Blues のとこもご参照くださいませ。

コンピレーション・アルバムでもある Goin' To Chicago ; testament T2218 は 1966 年 6 月に録音されたもの(リリースは1969 )で、当初の 33⅓rpm の LP の A 面には

Sam Lay Blues Band
Sam Lay, voc
Jeff Carp, hca
Boots Hamilton, p
Paul Asbell, g
Chester 'Geno' Skaggs, b
Billy Davenport, dr

- Tell Me, Mama
- Walking By Myself
- I Can't Be Satisfied



Billy Boy Arnold Band
Billy Boy Arnold, voc, hca
Mighty Joe Young, Ted Mosley or Jody Williams, g
Jerome Arnold, b
Clifton James or Reynolds Howard, dr

- I Left My Happy Home [Testament TCD-5018]
- Billy Boy's Jump [Testament TCD-5018]
- Crying And Pleading [Testament TCD-5018]


が収録され、その B 面には

J.B. Hutto & The Hawks
J.B. Hutto, voc, g
Walter Horton, hca
Johnny Young, g
Lee Jackson, b
Fred Below, dr

- Wild, Wild Woman [Testament TCD-5020]
- Bluebird [Testament TCD-5020]



Floyd Jones - Eddie Taylor Band
Floyd Jones, voc, g
Walter Horton, hca
Otis Spann, p
Eddie Taylor, b-g
Fred Below, dr

- Playhouse Blues [Testament TCD-5001]
- I Feel So Bad [Testament TCD-5001]
- Sweet Talkin' Woman [Testament TCD-5001]


が収録されています。

さて、イタロ・カルヴィーノの「柔らかい月」、前作(?)の「レ・コスミコミケ」よりかなり晦渋で、なかなかすんなりと読み進めません。

よりレトリックの階層性を複雑化させ、その文意を掴むために、思案すること自体が「意味世界」の錯綜を、あるいは読者の日常的な立脚点の「脆さ」を逆照射してゆくような、いささかピーキィな「諒解」を必要とする性質のもので、一ページを読むために、「レ・コスミコミケ」の三倍以上の時間がかかっているような気がします。

イタリア文学では、この手の意味論的・多層構造は好まれるのか、ウンベルト・エーコの作品にも似たような(とは言ってもかなり「浅薄」なものではありますが)傾向を感じることがあります。

ま、「柔らかい月」思いっきりユックリと、何度も読み返しながら進めていきましょ。

しかしまあ、このひとくらい作品ごとに「また新たな人格が出てきた!」感を与える作家ってあんまりいませんね。
どころか例の『冬の夜〜』なんて作品じゃ「いくつもの未完の小説のアタマの部分だけ」を作り上げているのですから、実に潤沢な内部保留を持っている、ってことなんでしょうね。

一方、逆に言うと「面白そうな立ち上がり部分だけ」はいくらでも出来るが、その先のアルゴリズムをどう設えていくか、こそが才能の本体に関わるのだ、とゆうことなのかもしれません。
いやホント、小説家だなんて「ならなくて(なれなくて?)」良かった⋯

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