It Hurt Me Too
Big Walter Horton
06-01-20 FRI.
| | ネが単純なもので、久しぶりに Ann Arbor 1973 を採り上げたついでにもう一曲。 実は 2003 年 9 月22日に採り上げた Trouble In Mind が、ブルース・マニア(それも圧倒的に白人の?)にウケて、その勢いのまま(?)に出演したのが、この Ann Arbor Blues & Jazz Festival 1973 ではなかったのか?っちゅう気がいたしております。
なんでか、ってえと、ま、こんなことゆーと、また嫌われるかもしれませんが、曲の作りが「あまりにも」あの Trouble In Mind スタイルなんですよ。 なにも Elmore みたいにやれ、なんては言いません。でも、これはちょっと「もったい」つけ過ぎなんじゃないか、ってえ思っちゃうんですよねえ。 バックのギターは John Nicholas(ギリシャとか、東欧系からの移民なんでしょか?それともプエルトリカン?画像で見る限りアングロ・サクソンとは「ちょっと」ちゃう感じがします)ですが、彼は"Guitar Johnny" & the Rhythm Rockers を率いるバンドリーダーでして、ここでのベース&ドラムもおそらくその Rhythm Rockers のメンバーじゃないでしょか。 P-Vine の日本語ライナーではベースが女性、としていますからたぶんそうでしょう。
いかにも白人の「フォーク」ブルース好き、ってな層にウケそうな演奏は、そりゃまあ確かに It Hurt Me Too ではあるのですが、でも、なにもこの曲をこんなふうにやらんでも⋯なんて思うのはワタシだけでしょか? ま、ライヴ録音に混じって聞こえてくる、聴衆の騒ぎっぷりがよけいワタクシを醒めさせたのかもしれませんが。
「この良さが判らないのか!」というセリフ、吐いたことありませんか? ワタシは「冗談」以外では言いませんけど。 だって、ひとそれぞれに個性ってものがあって、やはりダイジなのは、それに「最初に」遭遇したときに「ぽ♡」ってなるかどうかでしょ。 それをそうならなかったからと言って、そいつを「判ってない」だなんて言うのは間違ってんじゃないの? 「良さ」なんてのは、ココロで感じるもので、リクツや能書きの助けを借りて「判る」ものじゃないよね。 「判る」のは「価値」やら「有り難み」であって、それはまったく次元の違うものでしょう。
あまたある「世界遺産」の「どれも」見てみたい、と思いますか? なかにはおのずと「好き」なのと「そんなでもない」のとがあるハズです。 それが「佳い」と感じるものと、「価値がある」と感じるものとの「位相のズレ」なんですよ。
同じようなことが、いわゆるヴィンテージ・ギターなんてものの世界でもありますよね? 単に、その年のこのモデルは、たった三ヶ月でモデル・チェンジしてしまったので「スゴいレアだ!」なんてハナシ。 それって「稀少価値」と、楽器としての「良さ」とはまったく縁がないことのハズなのに、ミゴトに混同されてて、たかがエレキ・ギターごときが一本 200万円なんてことになっちゃうんですねえ。 ま、それで喰ってるひともいるんですから、あまし営業妨害みたいなこと言うのもなんなんですが。 楽器ってものは、何年に作られた、とか、どこのカスタム・ショップが、なんてことより、それを実際に弾くひとが欲しい音を、ちゃんと出してくれるかどうか、だけがイノチのハズなのに、そんなカッコつけの能書きで圧倒しよう、なんてのは、まあ、ギターのプレイじゃハナシにならないひとたちの唯一の「拠り所」だからなんでしょうね。 あ、またテキを作っちまったかな?
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