Bad Luck Blues

Billy Boy Arnold


06-04-11 TUE.




前回の I Was Fooled が 2005 年 3 月10日ですから、モロに 1 年以上も開けちゃいましたが、久しぶりの Billy Boy Arnold でございます。
この Stony Plain(やたら石ころだらけの大平原。カナダのレコード会社ですね)1266、Boogie 'n' Shuffle は、ついこないだ Roscoe Gordon の Jelly Jelly とこでも登場した図々しい白人、デューク・ロビラードのプロデュースでございます。
ですから「とーぜん」ギターは「自分」、つまりデューク・ロビラードっつうワケですね。

この Bad Luck Blues ではかってのサウンドを明らかに意識しておるのか、John Packer のベースもどうやらウッド・ベースを使い、Jeffery McCallister のドラムでは、ハイハットに「明瞭な」シングル・ディレイをかけて「あの」エコー効果を演出してますね。それがいいか悪いかは別として⋯
ま、Billy Boy Arnold のヴォーカル自体は、例によって例の如し、てなもんで、やっぱりね、の Billy Boy Arnold スタイル(?)でございます。
ですから全体の仕上がりも、かっての彼のサウンドを律儀に踏襲して、ファンの期待に背かないようにしてる(?)よに思います。
こないだの Jelly Jelly に比べれば、デューク・ロビラードのギターもさほど「出しゃばって」おらず、まあ、これくらいならカンベンしてやってもいっか?

ま、こんなことを言っちゃなんですけど、そりゃ「懐古趣味」ってのがブルースと「結びつきやすい」のは判りますが、かってのサウンドへのノスタルジィに依存して「作ってしまう」その姿勢は、ニホンにも多い「古典主義(つまり、50 年代・60 年代のシカゴの一部のブルースを「金科玉条のごとく」遵守し、その再現がブルースだ、と思い込んでいる連中ね)」に迎合したものであり、「生きているブルース」としての変化の流れというものから「取り残された」亡骸でしかありません。

ブルースは生きている。今だって。
生きているから変化していく。それを拒否するのは、死亡宣告をするのと同じことなのだよ。

いま現在は延長されてきたバイパスに潰されて跡形もない「米屋さん」の家屋(?)です。

この左にあったリンゴ箱用の摺板政策のお店も消えてますが、こうゆう別に建築史においてもさほど価値を認められることはない、でも人々の記憶のなかにはこのブルーにペイントされたトタン板の壁面は鮮烈に残ってるんだよね。

これが大正から昭和初期にかけての「古色」を感じさせてたら「保護しよう!」なんて声も出てくるんでしょうけど、こうゆうユニークではあるけど「観光乞食」の感覚からは「無価値」とされるモニュメントは「と〜ぜん」惜しみなく「取り壊され」てゆくんだよな。

なんでもかんでも能書きさえあれば「観光的に価値がある」となるんだろね。
そこで人生のある時期を過ごしたひとにとって明治も大正もない、記憶にしっかり残っている、とゆうことのほうが価値があるんだけどね⋯

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