Messin' With the Kids

Eddy Clearwater


06-08-30 WED.




さる筋から(って、ここをいつも読んでいる方にはバレバレでしょうが)送っていただいた Japan Blues & Soul Carnival の音源が届きまして、1958 年の笑撃的デビュー Boogie Woogie Baby からほぼ半世紀を経た「いまの」Clear Waters の音を聞くことが出来ました。

ステージの写真を見る限り黒人は彼ひとりで、特にスロー・ブルースなどでは、ワタクシがよくやるアーミングによる和音のヴィヴラートがバックに聞こえておりますが、なるほど、サイド・ギターはストラトでしたねえ。
ご本人は Epiphone のエレクトロ・スパニッシュ・スィンボディの「最高峰(?)」Emperor を逆さに構えてます。
彼もやはりその最初がそうだったのでしょか、右利き用のギターをそのまま借りて覚えた、てな弦の張り方のまま。

やはり、というか「お決まりの」パフォーマンスとして、インディアンの羽飾りで登場しているようですが、そのときのバック・ミュージックってのが、もう(実際には彼以外のメンバーが演奏してるんですが)モロ、白人の考えるインディアンつーたらこうだべ!みたいな安直な音で、う〜ん、同じアメリカのマイノリティであっても、黒人である彼がインディアンに対するイメージとしては、やはり白人からの視点に接近してるのかなあ、などと、ちょっとフクザツな思いもありましたが、まあ、そこらショーとしての割り切りなんでしょかね。

表題の Messin' With the Kids はお馴染みのリフをいきなりアタマで三連続させちゃって、まるでエンディングみたい!てなスタートでしたが、いま 71 才っちゅうおトシを考えると、まだまだじゅーぶんにおゲンキっちゅう歌いっぷりでございます。
で、おゲンキなのは歌ばかりではなく、やはり、かって Chuck Berry とも一緒にやったことがある、っちゅうだけあって、そのギターにも、どこか「ろけんろー」の香りがする茶目っ気みたいなものを隠してるよな気がいたします。
もちろん彼が接点を持ったのは Chuck Berry だけではありませんし、このライヴでも同じように彼に影響を与えた Magic Sam の音を(彼なりに)忠実にトレースしたプレイも見せてくれてますが、でもどっかそういったシリアス傾向だけじゃない「含み」が、この Eddy Clearwater の持ち味なのかもしれません。
ま、案外そこらへんに彼が「ビッグになり得なかった」ヒミツがあったりして⋯

ところでこの Eddy Clearwater、この日記では 2004 年の 5 月11日以来となりますが、そのとき採り上げた前述の Boogie Woogie Baby( Clear Waters 名義)って、確かにかなり印象的な曲ではありましたが、いまの彼にとっちゃあ「おいおい、そんな昔の曲でだけ語られるんじゃたまんねえなあ」てなものかもしれません。
ただ、だからと言って、あれを超える印象的な「代表作」ってあるか?っちゅうと、う〜んワタシにはどうもいまひとつ、っちゅう気がするんですけどねえ。

さて⋯とうとう Japan Blues Carnival が「 & Soul 」を間に挿むことになっちゃいましたねえ。
いや、プロモーターさんもタイヘンだと思いますよ。

ワタシなんかは Michael Burks や Kindsey Report なんて聴きたいクチなんですが、日本のブルースマニアってそのヘン、あまり望んでないでしょ?
かと言って Buddy Guy だと「またか!」なんてバカにする⋯
呼ぶ側だってショーバイですから、客を呼べないアーティストじゃしょうがないし、そこら冒険はしづらい、と。

日本のブルースマニアってのはけっこう保守的な層が多いんだろね⋯
なんだか 1980 年代以降のロック・テイストを持ち込んだ Dion Payton あたりのブルース(あ、あれはブルースじゃねえ!って「声」も多いようですが)はなかなかそうゆう方たちからは認めていただけないようで、シカゴったらいまだにマディ、スイート・ホーム・シカゴ!なんて世界なんだもんな。

以前、とあるサイトで、いまのシカゴは堕落してる!なんて主張がハバをきかしてて、そうゆう遺産相続人のほーがエラいのか、とがっかりしたものでしたが、まあ、マニアなんてそんなものかもしれません。
せっかくブラック・ミュージックのエッセンス(たとえバッキング・メンバーには白人が入っているにしても、あくまでトップ、リーダーは黒人であることに意義がある!)を紹介しよう、というムーヴメントでスタートした(とワタシは思っている)ブルース・カーニヴァルでしたが、逆にいま、そんなマニアを満足させられて、しかも商業的にもペイできる、って出演者がどれだけいるでしょ?

そこら、市の文化事業として「無理は承知」で強引にシカゴから呼んでくる青森のフェスティヴァルが一部のマニアを熱狂させるのも当然かもしれません。
ショーバイじゃないから出来ること、と言ってしまえば、そりゃそのとおりですが、でもカーニヴァルなんて銘打って大々的にやるだけじゃなく、違う発想はないのかなあ。

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