Boogie Woogie Baby

Eddy "The Chief" Clearwater


2004-05-11 TUE.
もひとり Blues 界のレフティを忘れてましたねえ。
ド派手なインディアンの羽根飾りをかぶってニンマリしてる彼の写真を(名前は知らなくても)見たことあるひとも多いんじゃないでしょか?

その Eddy "The Chief" Clearwater が 1958年に Atomic-H に Clear Waters & His Band 名義で行った初吹き込み(カップリングは Hillbilly Blues )でございます。
このあたりのやや強引な(って、そこが「いい」んだけどさ)リズムなんて、1980年、Rooster Blues からリリースされた The Chief 収録の ChillsI Would Lay My Guitar(ろけんろー!)にその名残りがあるよな気がいたしますねえ(あ、Blues For Breakfast なんかじゃあ Carey Bell のクロマチックがいい味だしてて、もっとしっとりした部分だってあるんですが)。

ちょっとシケった(?)ギターのブレイクがらみのイントロに続いて、ややオールド・スタイルなピアノ・ブーギが絡んで来て、そこに少しばかり上っ調子ながらゲンキのいいヴォーカルが登場いたします。
ま、お世辞にも「いい声だ」とは言い難いのではございますが、なんつーか、不思議な「高揚感(?)」があって、あましそんなこと気にならないんですねえ。

この Boogie Woogie Baby、レコーディング・データが揃っておらず、バックのピアノやらベース、ドラムなどについてはダレなのかまったくもって不明です。
収録アルバムは(ワタシが持ってるのは、ってイミでして、他には Delmark DE-624 の Chicago Ain't Nothing But A Blues Band に収録されています)りっきーさんが「ケ、ケ、ケツだぁ~っ!」と驚いた、例の Red Lightnin' R.L. 006、When Girls Do It でございます。
ただ、このアルバムのライナーじゃ、彼を Detroit スタイルのブルースマン、また録音年時も 1965(?)年としております(ま、カッコ内に「?」をつけたのが唯一の「救い」ですかね)。まあ、デトロイト・スタイルっちゅーのがナニをさすのかワタシにゃあ判らんのですが、そー言われればそんな気もしないではないかも??

Eddy Harrington は 1935 年の 1 月10日、Georgia ではなく Mississippi 州の方の Macon で生まれています。デルタ・ブルースやカントリー&ウェスタンのレコードを聴いて育ったそうですが、彼が 12 才の時(本人はインタビューでそー言ってますが、資料によっては 13 才としているものもあります)、一家は Alabama 州の Birmingham に移り、そこで初めて叔父の弾くギターという楽器に魅せられ、ギターを手にするようになります。その叔父のギターはゴスペルに伴奏をつけることをメインとしていたようですが、Lightnin' Hopkins やジョン・リーから「耳で学んで」さらなる練習をしたもののようです。
そして、ひととおり弾けるようになった彼は、Five Blind Boys of Alabama をはじめとするいくつかのゴスペル・グループのバッキングをすることから始めました。
そしてこのゴスペルとの関わりは 1950 年 9 月に彼が Chicago のウエストサイドに移った後も残り、やはりゴスペル・グループのギターを務めていたようです。

そんな彼に押し寄せてきたのが Little Richard や Fats Domino、Chuck Berry などのロックンロール系の音楽でした。
1950 年代の前期に彼はそれらの音楽の洗礼を受け、特に Chuck Berry とは一緒にやったこともあるそうですから、その感覚は、ずっと彼の深いところに根付いているのではないでしょうか?
やがてそんな彼も Magic Sam や Otis Rush、さらには Luther Allison や Freddie King などとの出会いを通して、そのベクトルを「ブルース」の方に曲げてゆくことになるのですが、やはり、どこかに昔日のロックンロールの余熱が残っているように思うんですよねー。

その後、Jimmy(あるいは Jimmie ) Lee Robinson(昨年の 8月14日付の日記)とも出会い、彼のインタビューでは、その J. L. Robinson のレコーディングに「ベースで」参加した、と言っていますが、それって 1959 年あるいは 1960 年あたりに Bandera Records に吹き込んだ Lonely Traveller やら All My Life のことなんでしょか?ザンネンながら確認できず。
なお、その当時だと思うのですが、Musicians Union から来てたマネージャー Armon Jackson ってのが、マディをもじって「 Clearwater 」ってのはどうだい?と言ったらしいのですが、そのエピソードはもっと後のことかもしれません。

だって 1958 年に彼のいとこでもあり、同じよーにレフティのギタリストでもあった Rev. Houston H. Harrington が所有していたレーベル、Atomic-H に吹き込んだシングル、Atomic-H 203(ただし Hillbilly Blues とこの Boogie Woogie Baby のどちらが A面だったのか?については資料の間でも混乱が見られ、両方の説が入り混じっております。あ、ついでに同レーベルには 1959 年に Atomic-H 956 I Don't Know Why / A Minor Cha-Cha も吹き込まれています。で、もひとつ、ついでに Rev. Houston H. Harrington ですが、Rev.でお判りのよーに聖職者で、とーぜん、そのレーベルもゴスペルをメインとしてスタートさせたものらしいのですが、やはり商業的見地からブルースにも手を広げておったのでしょうね。アルバムもリリースしていたらしいのですが、そのマスターは Delmark に渡り、シングルはリイシューされたのですが、アルバムのほーはそれっきりでございます。もしかするとどれもゴスペルのだったのかな?)での名義は Clear Waters & His Band となっており( 1959年のシングルでは Clear Waters & His Orchestra ですが)、おそらく、これが起源かと思うのですが、インタビューではそのことに一切触れてないんですよ。なんかそのヘンひっかかるなあ。
また、似ているようでも Clear Waters と Cleawater では違いますからね。たぶん Clear Waters は、そのいとこあたりが軽い冗談でつけたんじゃないでしょか?それに初期のころは自分を Guitar Eddy と、また組んでいたトリオを Eddy And The Cutaway と呼んでいた、とする資料も(ただしインタビューでは出てこないし、その名義での録音も確認されてはいません)ありますから、Clearwater ってのは 1961 年の Federal 録音以降の名称のようです。

ところで、その Atomic-H のオーナー、Rev. Houston H. Harrington の他にも Harrington 一族がブルース界におりまして、それはなんと、あの Carey Bell だったのでございますよ。
そー言えば Carey Bell も Mississippi 州 Macon( 1936 年11月14日生まれ)でしたねえ。
Clearwater 自身はまったく知らなかったそうなんですが、後に Jim O'Neal が彼の家系について調べてゆくうち、その事実に突き当たったらしく、実際、Carey Bell のラスト・ネームも実は Harrngton だったのだそうです。
The Chief での Blues For Breakfast で聴ける Carey Bell のクロマチックがひときわ感慨深くなりそなエピソードでございますねえ。

およそ1960 年代になってからはフル・タイムのミュージシャンとしての生活を始めたようですが、いわゆる '60 年代中期のヨーロッパでのブルース・ブームには「乗り損なった」らしく、彼がヨーロッパを訪れたのは 1976 年になってからです。
同時代の、彼のインタビューでも、色々な逸話とともに名前が出てくる Hound Dog Taylor や Magic Sam、さらに Otis Rush に Freddie King といったところが次々と注目されて世界的なセールスにまで届いてゆく中、彼の位置は微妙なところにあり、その意味でも、ここ日本じゃ名前は知ってる、あるいは聴いたことがある、さらにアルバムも一枚くらいなら持ってる、くらいまでは行けるんですが、おそらく彼の熱烈なファンで全アルバム揃えてます、なんて方はあまり多くはないんじゃないでしょか?

なんて、かくゆうワタクシも彼の最新アルバム(つーても 2000 年の 9 月に出てるんだけどさあ)まだ聴いてないもんなあ。Bullseye からの Reservation Blues

その Clearwater こと Eddy Harrington は 2018 年 6 月 1 日に心臓疾患で死亡しています(記;2018-06-17 )

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