Memorials

12 DEC. 1977 Eddie Taylor in Hirosaki


08-03-23 SUN.





なんの変哲も無いビルが三つ並んでいる上の写真⋯建築学的にも、あるいは美的要素から言っても、さらには一般の方々からしたらいかなる歴史的な意味合いも見出せないとは思いますが、ワタクシにとっては「とても大事な」モニュメントなのでございます。

実はこの三つのビルの中央、デザイン的には左右対称ではない地味なビルこそ⋯

1977 年、12月12日、粉雪のちらつく弘前駅に Eddie Taylor と the Aces の一行を迎えに行きました。
当時の奥羽本線、弘前駅の駅舎はまだ木造で、降車口は「吹きっさらし」、その天井には薄ら寒い裸電球。
そこから見える駅前の広場に面した商店も実に地味で、いかにもうらぶれたフンイキ⋯
弘前に降り立った一行は「おいおい、ホントにこんなトコでライヴすんのかよ? オレたち、ハメられたんじゃねえのか?」っちゅう不安ありあり、とゆう感じでございました。
それでも一行をホテルに案内して荷を解かせ(これで、どうやら寝るとこだけはダイジョウブ?と少し安心してたみたい)さらには日専連会館の 3F ホール(実際は会議室で、幅四間、奥行きがその倍くらい。その中央左側にステージを作り、客席はそれを半円状に取り巻くカタチとなり、客のほとんどがステージから 5m 以内に収まる、というシカゴのクラブでのステージと客席の位置関係に近いスタイル)の会場ではリハーサルもしたし、奥の階段で 3F に上がると、そこが楽屋になっていましたから、だんだん疑いも消えてったみたい⋯


とゆう伝説の(あ、ワタクシにとっては!ね)Eddie Taylor 弘前ライヴの会場だったのです。
(後日⋯ちゅうても後年、ゆったほうがいいんですが、あの奈良美智もまだ高校生のときユニオンに言われて観に来てたそうでございます。もっともブルースを知らないユニオンからはエイシズのライヴ、と言われて来てみたそうですが)

あれからはや三十年以上の月日が流れ、いまやこのビルもよくある「貸店舗」のひとつとなってしまいました(後記;2023 年の現在では予備校になってたハズ)。

まあ、Eddie Taylor がここでライヴをした、ゆっても普通のビルの会議室ですからねえ。
由緒あるライヴハウスなんてのとはワケが違いますから、別に彼のサインなんて残ってるワケでもなく、さらにはブルース?⋯てな当時の(って今も、かもしれんけど)一般市民の知識からしても「誰もそんなこと覚えてなんかいない」のが当たり前でございます。

Eddie Taylor 御一行様のツアーは弘前以外じゃ札幌・京都・東京なんて、ブルースのファンもそこそこいそうな大都市のリッパなホールを巡るワケですよね。
そんな中に「なんで?」と言われそに割り込んだ「弘前」の文字⋯
いやホント、いま考えてもあんな無謀なこと、やっちゃったことが信じられないくらい⋯

そのときのアレコレはAFTER HOURSでどうぞ!

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