Eagle Rock Me Baby

Roosevelt Sykes


2004-04-08 THU.
しょっぱな、一瞬、Professor Longhair を思わせるトリッキィなピアノがきらめきますが、すぐ Just A Little Bit を思わせる(もーちょっと「たいらにならした」ような) Dave Myers のベース・パターンを伴う Fred Below のラテンっぽいリズムでドライヴし始める。
つい一週間ほど前にも採り上げてます Roosevelt Sykes の Delmark での Feel Like Blowing My Horn 収録曲です。

彼のヴォーカルは意外と伸びやかに、でも軽々と唄っていきます。
たしかに、あんまりパワフルってえヴォーカルじゃあないんですが、その分、バックがガンバってますよ(?)。
Oett "Sax" Mallard のサックス・ソロなんて、それだけで充分「聴いた」っつう実感があるほどのもんだし、ギターのソロも、どっちか、ってえとワタシのあまり評価してない「ジャズ系」の香りが強いものですが(なんたってロックウッドでげすからねえ)、これもまたそゆのが「お好きな方」にはタマらんものがあるんじゃないでしょか?

ま、Roosevelt Sykes についちゃあ、こないだの West Helena Blues のとこで書いたばっかしなんで、今回はこのサックス・ソロをかましてくれてる Oett Sax Mallard のことを。

Oett M. Mallard(ミドル・ネームの「M」がなんの略かは不明です)は、1915 年 9 月 2 日、Chicago で生まれています(ただし異説もあり、それでは10月 2 日、と)。
Chicago Defender 紙によれば、彼は 6 才にして早くもショッピング・バッグを売ることでカネを稼ぎ始めた、のだそうですがホントでしょか?
10才では靴磨きに転向したんだって。
それはともかく、彼が音楽を始めたのは、これもそーとー早かったらしく、僅か16才で自分のサックスを手に入れてるんですよ。
まだ高校在学中でしたが、すでに Captain Walter Dyett っつーバンド・リーダーのもとで音楽を学んでおったようですね。
かって、この日記の他のブルースマンのとこで、サックスを欲しがるムスコにハープを与える、なんてえハナシが出てきておりましたが、それもムリはないのでございまして、楽器として、最低の基準をクリアする製品っての、サックスだとメッチャ高いんですよ。
お馴染みの Sears なんて通販で買ったよなワケ判らんメーカーのギターでエグいブルースを演奏するおっちゃんが、ディープ・サウスのジューク・ジョイントにゃイッパイいそうですが、そのギターの値段のおよそ 10倍以上するのがザラで、ハープだったらそりゃもー 100本は買えちゃいます。
ムスコがいきなり、とーちゃん、ポルシェ買ってよ!なんて言うのと同じくらい(あ、当時の南部の標準的な黒人の家庭のバヤイね)、そりゃもーテメエなに考えてやがる!てなクラスの贅沢品だったのでございます。

しかし、コツコツと貯めたおカネのおかげでか、自前で楽器を揃え(!)、ブジ高校も卒業出来たようで、すぐさま、彼は「クラスメイトだった」 Nat "King" Cole とともに、2 年半に及ぶアメリカ国内およびカナダまでまわるツアーに出ています。
この時期、それらのツアーを打ったプロモーター Miller Lyle の娘が Sax Mallrd の妻となったのでございました。
次いで彼は Kenny McVey 楽団に入り、Colorado 州 Denver の Tivoli Terrace から毎日放送されていた 30分番組二本に関わって行き、1936 年には Lionel Hampton に彼のアレンジメントを買ってもらっています。
そこから Chicago に戻った彼はミュージシャンの連盟に加盟しました( 1937,Aug.5 )。この時期から第二次世界大戦までの間に Fats Waller、the Deep River Boys、the Original Ink Spots、the Andy Kirk Band、the Mary Lou Williams Quartet などを経験して行きますが、一時的には Duke Ellington にも顔を出しておりました。

1942 年には Chicago で 12 名編成のバンドのメンバーとなっています。
このバンドはドラマーの Floyd Campbell(1901-1993 )によって率いられ、Indiana 州 South Bend や Indianapolis から Wisconsin 州の Milwaukee あたりを中心に演奏活動を行っていました。
当時のメンバーは Louis Ogletree-tp、Louis Alahard(資料によっては Acerhart としているものもあります)-tp、Al Wynn-tb、Herman Barker-as & ts、Oett "Sax" Mallard-as & cl、Al Washington-ts、Nat Walker-p、Les Corley-eg、Earnest Smith-b、Floyd Campbell-d、Carrol Tucker-voc. となっていますが、Floyd Campbell の、より小さなクラブなど向けの小編成のコンボの方には入っていないようです。

続いては Duke Ellington and his Orchestra に参加し、1943 年 4 月 3 日、New York、Hurricane Restaurant での Take the "A" Train など(スェーデンの Azure LP 431 )で録音を残しています。(ま、Take the "A" Train だけで、他に Rarities 56、Jazz Anthology JA5124 に別テイクもあるんですが)

1946 年 2 月~ 8 月には Roosevelt Sykes and his Original Honeydrippers の一員としてレコーディングしています( Document BDCD 6048 など)。同年には Tampa Red や Armand "Jump" Jackson、Big Bill Broonzy とも吹き込んでますが Aristocrat に接近し、それが Chess へのルートをつけたのかもしれません。
1947 年には Eddie Boyd や Washboard Sam、Dinah Washington、Rosetta Howard とセッション、やがて 1950年には自分のバンド Sax Mallard and his Sextet、1951 年には Sax Mallard and his Orchestra としてもレコーディングしています。
その後も Guitar Slim、Earl Hooker とも共演してますし、数々のブルースのレコーディング・セッションに関わりました。

ただ、そのサックス・プレイは、かなり洗練されたテイストを持ち、クォリティも高いのですが「いわゆる」ホンカーたちのようなインパクトには欠け、聴く者の「血を沸かす」よりは「耳を傾けさせる」傾向の方が強いように思いますね。
モチロン悪いことじゃないんですが。
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