Ride'em On Down

Eddie Taylor


2004-04-13 TUE.
1955年12月 5日に Big Town Playboy とともに VeeJay に吹き込まれたナンバーで、Pete Welding のライナーによればこの曲でのハープは Jimmy Reed で、もうひとりのギターは Jimmy Lee Robinson、ベースはいない(!)らしく、ドラムは Vernell Fournier。

いっさいハデな仕掛けの無い堅実なブーギは、もっともベーシックな Boogieの「ありよう」をスナオにカタチ作っているように思います。
このあたりのことは昨年 8 月20日付の日記でも採り上げておりますので、よろしかったらそちらもどうぞ(ただし、なんでか、ジャンプして表示されるまでにちと時間がかかってるみたいで、ちょっとお待ちいただかないといけないようなんですが⋯というのは当時の接続事情でして、いま現在は「たぶん」スムースに開くと思います。いや、そうだったらいいな⋯)。

これが収録された South Side Blues VeeJay ULS-1881-JY(あ、ウチのはアナログ・ディスクだす)ってのは A面が Elmore James になっておりまして、そちらサイドにも Eddie Taylor はギターで参加しておる、っちゅう Eddie Taylor マニアにはたまらん仕立てになっておりますのですよ。しかもピアノは Johnny Jones だし!



久しぶりに QuickTimeに入ってみたら、Jackson Browne の The Very Best of ~が紹介されてました。
Jackson Browne の場合、ワタクシが好きってえワケじゃなく、そのムカシ、仙台から来てた友人がこれ大好きで聴け聴け、とウルサかったんですよ。それで来るたんびに言うもんだから、仕方なく一枚買っといて、そいつが来るとかけてやる(あ、その頃はまだブルース喫茶なんてえもんをやっておりましたんでね)、っつーイキサツで Late For The Sky がレコード・ラックに収まることになったのでした。
こうしてそのベスト聴いてみると、あの頃が蘇るなあ。

当時は若かったせいか(若さのせいじゃない、という声アリ?)今よりトンガってて、Folkや Folkっぽい音楽を「敵視」(ってより蔑視だな、ありゃ)しておりまして、ま、いまだに「その気」は残ってるとも言われたりしてますが、日本のフォークたらいうもんはとーぜんとして、C.S.N & Yから、ザ・バーズ、イーグルスでさえ「ちっ!ナマっちょろい!」なんてウソぶいてた時期なんで、この Jackson Browne にもスナオにのめりこむワケなんてなく、どこか醒めた目で見ていたものです。

しかし、そんなふーにフォークを内心、軽蔑してるワタシのとこに、これまたなんの因果か、弘大のフォークソング同好会が出入りするよになって(だって、地下を練習スタジオに貸してたんだもの)、皮肉なことにひとつのグループのライヴでのミキシングや自主製作のアルバムのレコーディングに悪知恵を提供したり、もちろんミキシングも手がけることになるんだから、ホント運命ってヤツは⋯

そのアルバム作りに際し、マイナーじゃなく、メジャーで「哀しみ」を表現する曲を作れ!と厳命(?)したのはマチガイなく、この Late For The Sky の影響でしたね。
そしてそのムリな注文に答えて彼らがホンキで取り組んで生まれた曲が「叙情飛行」ってタイトルだったハズ。
そんな '70年代の「置き忘れて来た」数々の思い出が次々とフラッシュ・バックする 4曲( Late For The Sky 以外に、For A Dancer、Fountain Of Sorrow、Before The Deluge )をホントに久しぶりに聴いて、束の間のタイム・トラヴェルでございますよん。

むしろ、当時そんな惚れ込んでいたワケじゃないこの音の方が「気軽に」聴けますね。
逆に '60年代以降の「あんなに聴きまくってた」ストーンズを始めとするブリティッシュ系は「いまは聴きたくない」んですよ。別れたオンナにまた会いたくはないみたいに。かってはあれほど愛していたからこそ、ね。そこんとこ判る?判んねーだろうなあ。

だってロックは「時代の音」だもの。その生まれた時代から取り残された音だけをいつまでも愛してたら「成仏」させてあげられないよ。
え?なんで成仏させにゃあかんのか、って? ううう⋯え~い!うるちゃい!それがロックの宿命なのじゃ!その時代をフルに生きて「燃え尽きること」こそがロックの証じゃ〜!。
つまりね、「なつメロ」になっちゃったら「あの時代」にはそれが持っていた毒素がもー「無効」になっちゃってるってことなのよねー。そんな姿で生き延びてるのを見たくないざんす。
あ、ポップスは別だよん。ポップスはむしろ時代と心中しない存在だから。どっちがエラいとかゆーんじゃなく、そゆもんだってこと。ワタシにとっては、ね。

と、またまた物議を醸しそなこと書いちゃったけど、なあに、ホントはね、'60年代中頃から '70年代初頭にかけての時代に聴いてた音楽ってのが、イッチバン混乱してた、自分の「カオスの時期」とあまりに密接に結びついてるために、とってもネガティヴなことどもが、その音を聴くことによって亡霊のように立ち現れてくるのがヤなだけなんですよ。
ま、そんだけ「入れ込んでた」っつーことなんですが。

それ以降の落ち着いた(どこがじゃ~!)生活になってからの音楽は気軽に楽しんでます。だから今だってレイナードはしょっちゅう聴いてるし、リフレッシュにはスティーリイ・ダンてな具合で(ありゃ?やはりアメリカもんばっかだなあ)、ムカシのはぜんぜん聴かないってこっちゃおまへん。

★上野の蕎麦屋、なんてゆーとドコだかすぐ判っちゃうかもしんないけど、そこの主人が監修した、ってえ触れこみの蕎麦が某N製粉から出ておりまして、以前 TV でその主人ってのがたいそうエラそうに講釈タレてたの思いだして、たぶんダメだろうな?とは思いつつも、喰ってみもしないでとやかく言うのはアン・フェアだな、と思い直し、試してみましたよ。
説明書どうり、氷を浮かべた水まで用意して、一言一句、違わないようにして作ってみましょ。
結果ですか?う~、市内のマズいソバ屋のよりはウマいけど、これだったら「ひさお庵」や「一閑人」に遠く及ばないな。
なにより「良くない」のは添付のファイル⋯じゃなかった、そのまま薄めずにお使いください、ってゆう「ソバつゆ」が封を切ったら、イヤ~な臭いが混じってる、ってこと。ヘンな生臭さがあるんですよ。これが製造行程でのモンダイなのか、そもそも最初の監修がマチガっとるのか、はさだかじゃございませんが、これだったら「にんべん」の蕎麦つゆを「白神ブナ原生林の水」ってので薄めたほうが旨そうな香りがしますよ。

ま、元々の上野の某店だって、実際に行ってみたら、能書きタレてる場合じゃねえだろ!とツッコミたくなるよなレヴェルのソバでしたからねえ。
自分の価値観でいくらこだわってみたところで、それが一般性の無い、言わば枝葉末節だったら、ダレもが(はムリとしても、たいてーのひとが)認める旨い蕎麦ってのには近付いてはいきません。むしろ、それが出来ないから周辺の能書きで理論武装してるんじゃ?ってえ気がいたしました。
200円そこそこ(しかもそれで二人前ですからねえ)でちゃんとした蕎麦屋の味を出せ、なんてゆーほうがそりゃムリってもんかも。

ところで、最近、ラーメンの有名店の名を冠したカップ・ラーメンなんてのがかなり出てますよね?アレって一応そこの承認を得てるんでしょ?いいのかね、そんな安易に名前貸しちゃって。
あ、それと、一体ナニ考えてんの?と言いたくなるのが、TVドラマの中の店の名前を冠したカップ・ラーメン!う~む、そんなハデに宣伝しても売れるもんかねえ?
客をナメてねえか?

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