Weak Minded Blues

Willie Baker


2004-06-05 SAT.



こりゃもうゼッタイ、昨日の 1970 年、Excello DBL28025 収録の Willie Baker ついでの悪乗りセレクトでは?とお疑いの方も多いかと存じますが、実は「まったく、その通り!」でございます。

この Weak-Minded Blues、そのタイトルに反して、やたらゲンキがいいじゃありませんか。
お仲間(?)の Charley Lincoln なんてアダ名こそ Laughing Charley なんて言われてても、その歌となると、ケッコー内向的っつーか、ま、陰気、と言ってもいいようなダウン気味なのに対し、あくまでアッパーっつうか、あっけらかんと唄い上げていきます。

ギターの音の扱いや、曲全体の構成など、Barbecue Bob や Blind Willie McTell などに通じる「この一派」に共通したクリシェが下敷きになっているようですが、このひとの唱法はその節回しや旋律の骨子などで、ところどころ、ブルーグラスなどにも一部共通するような白人的なものが見られるような気がいたします。

よく言うところのアパラチア山系の「ケルト系→アイリッシュ(あるいはスコティッシュ)→アパラチアン」という、古ヨーロッパ文明の残滓まで「嗅ぎ分けられる」なんてホラをこくつもりはありませんが、やはりアフリカ&西インド諸島由来のものだけではない「雑味」・・・じゃなかった「隠し味」が「むしろ」ブルースを引き立ててくれてるよな感じがしませんか?

彼は 1920 年代の半ばから 1930 年代にかけて、前述の Barbecue Bob や Charley Lincoln の Hicks 兄弟(って、なんじゃそりゃ?って文面ですが、詳しくは 2003-10-16 や、左下の「続きを読む」あたりをご参照くださいませ)、James Weaver に Blind Willie McTell などと Atlanta 周辺において交流し、一瞬の光輝を放つのですが、あいにく、その彼の出自について、さらにその後の彼の人生なども歴史の中に消えてしまったらしく、それを辿り得る資料を捜し当てることは出来ませんでした。
収録アルバムは Yazoo の The Georgia Blues 1927 - 1933。他に Document の Complete Recorded Works 1927 - 1930 では Charley Lincoln との組み合わせとなっています。

さらに Gennett 6766、Mamma, Don't Rush Me Blues なんてのが、コレクター垂涎の 78rpm レコードとなっているようですが、そこらも上の Document には入ってたハズ。

天気がいいのは嬉しいけど、夏至に近づきつつある高い位置からの強い日差しのおかげで、まるで炙られてるよな感じ! そ!めっちゃ暑いんですけど。
昨日は「お遊び」でひとっ走りしてたんで、そうゆう時は暑い、なんてあんまり思わないのに、それが用事で「必要に迫られて」街中を HARO F-1 で移動しなきゃ⋯となると、ブーたれたくなるんだから、人間って(ん?ワシだけ?)ホント勝手よね。
でも、やっと脚を出して走ってても目立たない季節になって嬉しい。

さて、そろそろ Cannondale R700 も長距離に連れ出してやんないとなあ。
こいつ、もともとがトライアスロン向けのフレーム・ジオメトリーらしくって、路面からのフィード・バックみたいな情報の体感できる解像度に関しては「やや」歯がゆい面もあるんですが、その替わり吸収性がいい(?)ので、長距離を「なにも考えず」に走るのに向いてるよな気がします。
こちらは Campagnolo のエルゴ、っちゅうシフター付きブレーキ・レバーで、手元でシフト出来るのはいいんですが、ナニを血迷ったか、長年使い慣れている Cinelli のクリテリウム・バーじゃなく TDF( Tour De France )ってハンドル・バーを選んじゃったもんで、いまだに違和感が抜けず、愛着が湧かないのよねん。
クリテリウム・バーより横幅あって、ドロップは少なく、やや直線的。
まあ、実際にドロップした下の部分を握って「フル・パワー!」なんて走りはほとんどしないんでその高低差のショボいのはまだイイんだけど、もうね「見た目」がイケてないの!
ダサ!って感じ。

いっそドロップ・バー自体ヤメちゃって PROFILE の DH バーに替えちゃおっかな?
Unnamed Blues / Barbecue Bob

特に戦前の、それもカントリー・ブルースの人たちの名前って、肉体的ハンディキャップをそのまま冠してる場合が多いですよね?イチバン多いのが、Blind Lemon Jefferson に代表される「ブラインド」でしょう。
他にもペグ・レッグ・ハウエルとか、曲名ですが「スタッガー・リー」なんてのもありますね。おそらく、黒人たちの間では見た目の特徴を仲間うちで、例えば「あのハーモニカ吹いてるデブ→ハーモニカ・ファッツ」みたいに、チビ→ショーティ、デカい→ビッグ、小さい(時にはコドモっぽい、若い)→リトル、なんて言い合ってたものが、さらに一般化してそいつの愛称になり、そのまま商標登録(?つまりレコード化されたときに「その名」が使われちゃうワケ)されちまう、って図式でしょうか。

日本ではそのような呼称を無自覚に用いることが差別につながる、として、近年見直しがススんでいます。さて、ではアメリカじゃどーなんでしょ?Blind Lemon Jefferson のように、そのような意識の無かった時代に既に定着してしまったものについては「そのまま」行くしかないんでしょうかね?
ま、それはともかく、こんなコト考えたのも、戦前のブルースマンで、時々気になる名前に出合うからでして、以前に採り上げた Black Ace なんてのもそのクチです。で、今回、ワタクシの目が引っ掛かったのはこの、Barbecue Bob。
俺はウェスト・サイドの Barbecue Brothers さ。と言ってた Magic Sam のことがフと脳裏をよぎりますが、とーぜんカンケーはございません。

G オープンのボトルネックを使った 12 小節( 2 小節目は「上がる」ことが「多い」。10 小節目も D のまま「に聞こえる」)のブルースは、意外とキュートで、優しいテクスチュアの曲です。タイトルが判んないのは、この曲、Yazoo のこのオムニバスに収録されるまで、一度も世に出たコトが無かったため、とライナーにはありますが、そんなの理由になるんかい?っちゅうギモンが・・・ま、なんにしろ、記録が付随してなかったんじゃしかたないけど。
終り近く、これまたこの初期のブルースによく登場するヨーデル的な裏声でのシャウト・・・ってほどじゃないし、なんと表現していいか、迷うとこなんだけど、ま、ゴスペルにおけるコール&レスポンスの「コール」に近いか?ってのが出てきます。
この発声法は、戦後のブルース、それもバンド化されて以降の都市のブルースでは殆どみかけませんが、初期にあっては、それだけヒルビリー系の音楽などとのキョリが近かったのでしょうか。
ただ、その発声のルーツについてはアフリカ大陸西部や西インド諸島、さらには中南米にまで及ぶ精査が行われなければ、安易にそんな決め付けは出来ませんね。

Barbecue Bob、本名 Robert Hicks は 1902 年の 9 月11日に Georgia 州 Walton County の Walnut Grove で生まれました。そしてまだ幼い時期に小作農だった両親と Newton County に移っています。彼には二つ上の兄、Charlie*がおり、その兄を真似て彼もギターを習いはじめます。
しかし、両親ともに音楽には縁がなく、ケッキョク彼らは Savannah "Dip'' Weaver からギターのレッスンを受けることになったのですが、彼女こそ Curley Weaver**( James Weaver: 1906 -1962 )の母親でした。そこで教わるうちに年も近い Charlie、Robert、そして James の三人はすぐに仲良くなり、一緒に練習するようになったのは当然のことでしょう。彼らと親しかった、とされる Snap Hill によれば、この時期に Hicks 兄弟は 6 弦のギターから 12 弦に移ったのだそうです。

*Charley Hicks: 別名 'Laughing' Charlie、あるいは Charlie Lincoln は 1900 年 3 月11日生まれ。1923 年には Atlanta に移っています。
彼はそこで結婚して家庭を築き、仕事も鋳造関係からベーカリー、最後は塗装会社に職を得て着実に生活していたようです(しかし弟の Robert とは違って、さほど社交的ではなかった、とも言われており、なのに「 Laughing 」という名がついたのはそれなりの理由があるのですが、それはそのうちに)
一緒にギターを練習した James Weaver に弟の Robert、さらにそれに Eddie Mappe***を加えて、the Georgia Cotton Pickers の名で Atlanta 周辺で演奏活動をしています。1963 年 9 月28日死亡。

**James Weaver: Curley Weaver として有名。1906-1962。
別名は「 Georgia Guitar Wizard 」。1920 年代からレコーディングを始め、ジョージア・ブルースでは良く知られる名前となっています。
母の Savanah Shepard(後に結婚して Weaver となるのか、その辺は不明です)はゴスペル系のミュージシャンであったようですが、彼は(及び一緒にギターを習った Hicks 兄弟も)ブルースへの道を歩むこととなりました。Hicks 兄弟や次の Eddie Mappe***とも演奏活動を行っています。
彼は 1950 年代末に視力を失ったために活動を停止し、1962 年にこの世を去りました。

***Eddie Mappe 1911-1931。Georgia 州 Walton County の Social Circle の出身と思われるハープ奏者。彼が 1922 年に Newton 郡に移ってくる以前のことについては殆ど判っていません。James "Curley" Weaver とふたりでダンス・パーティなどで演奏したり、ときには Hicks 兄弟も一緒に演奏もしています。彼は Newton 郡では最高のハーモニカ奏者と言われていたようです。ところで、Hicks 兄弟の兄、Charlie が Lincoln 姓を名乗っている件について、この Eddie Mappe の母の旧姓だった、とする資料がありますが、だとしても、ナゼそれを名乗っているのか、は「?」ですね。
Eddie Mappe は Document に残った Barbecue Bob のバックで聴くことが出来ます( Georgia Blues 1928-1933 DOCD-5110 )。
1931 年の11月14日、彼は Houston と Butler(ともに「通り」の名前・・・のハズ)の角で死んでいるのが発見されました。死亡診断書では彼の左手首の動脈が切れていた、とされていますが、Piano Red は「ガール・フレンドに心臓を刺されたと聞いた」と言っているそうです。
いずれにしても Barbecue Bob の死からほぼ 2 ヶ月後の突然の「死」で、弟ばかりか、この Eddie Mappe をも失った Charlie Lincoln がショックから音楽を捨ててしまうのもムリはなかったんでしょうね。


1923 年に Atlanta に移った兄の Charlie を追って Robert も 1924 年には Atlanta に移り、職につくのですが、兄と違ってキラクなタチだったとみえて、あまり将来のコトなど考えず、稼いだカネはスグ使い切るような生活を送っていたようです。
上の注釈で挙げたメンメンとアトランタ周辺で演奏活動をするうち、1927 年には Columbia Records のスカウト・マン Dan Hornsby に見出され、5 月に Atlanta で録音したのですが、丁度その時に働いていた Tidwell's Barbecue を「売り」にしよう、ということでシェフの白衣を着せて Barbecue Bob の名前で出したところ、そこそこヒットし、その後、ニューヨークまで出向いて吹き込んだりもしています。
有名な作品としては Motherless Chile Blues など。
そして、ヒットを出したことによるヨロク(?)か、彼は兄の 'Laughing' Charlie Lincoln、Curley Weaver、Eddie Mappe の吹き込みを誘い、さらには、若いギタリスト Buddy Moss(1906 or 1914-1984 )が引き続き録音されることになる状況をリードした、と言えるでしょう。
しかし大恐慌がレコード業界を直撃し、状況は暗転します。彼の最後の録音は 1930 年12月のものとなりました。翌 1931 年の10月21日、Georgia 州 Lithonia でインフルエンザに起因すると思われる肺炎で死亡しました。29 才という若さでの死でしたが、その 2 ヶ月後には Eddie Mappe が、1 年後には彼の妻が、さらに 2 年後には母も死んで、これじゃ兄の Charlie もヤル気を無くすのも無理はないでしょね。
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