Welfare Cadillac Blues

Jerry McCain


2004-06-11 FRI.



昨年10月14日付の Things Ain't Right 以来の Jerry McCain でございます。
冒頭、スローなハープが聞こえ、あ、スロー?と思う間もなく、ナゼかヒッヒッヒ、っちゅう笑い声がかぶさり、いきなり語りが入ってまいります。

1950 年代後半の Excello へのレコーディングから、彼の Cadillac ネタはスタートしているのですが、他のブルースマンたちが「呑み過ぎ」やら「女に逃げられた」あるいは「ムショに入った」なんてダウナー系(?)のブルースを主流としていた中で、Jerry McCain は「スゲえ女を手に入れる」アッパー思考(ってゆうのか?)を前面に押したて、バンド名からして「彼の Upstarts(成り上がり者)」ですからねえ。
そして彼の Courtin' in a Cadillac では、女性の気を惹くための重要なツールとして Cadillac De Ville コンヴァーチブルが登場します。
およそ 1910 年代あたりから加速していったアメリカのモータリゼーションを考える場合、その普及に最大の貢献を成したのは Ford の Model-T Ford であるのはマチガイありません。
しかし、それによってアメリカのいわゆるインフラストラクチュアが整備されるにつれ、クルマというものに、基本的な人および荷物を雨風に晒されずに「確実に」運搬する、という「機能」だけではなく、乗って楽しい、乗ってイバれる、などの付加価値が要求され始めることとなります。そのとき、そのヘンの「アメリカン・ドリーム」を体現した象徴として、1950 年代以降、ハイアラーキィの頂点に君臨するようになったのが Full-size の Cadillac* でした。

*Cadillac ─ 1902 年、Henry M. Leland によって設立された自動車製造工場からの製品にその名がつけられました。
1905 年には初の四気筒エンジンを導入したことにより、時速 50マイル( 80km/h )での走行を実現しています。
1909 年には Cadillac は新たに発足した General Motors Corporation によって買い取られました。そして、そのグループの中では「便利で、ゴテゴテしておらず、どんな天候下でも快適でいられること」を目的としたクローズド・ボディ(つまりオープンにもなる幌を屋根としたクルマじゃない、ってこと)をメインとしたブランドとしてスタートしました。
1915 年には、後にアメリカン・スタンダードとなる V 字形対向 8 気筒エンジンを採用していますが、世界中で何故アメリカでだけ V8 が定着したんでしょね?あ、1930 年代の後半にはいったん V12 や V16 も出現はしているのですが、やはり生き残ったのは V8 だけでした。
その Cadillac も Pearl Harbor が襲撃された直後、生産ラインを軽戦車( M5ATや M24 )の生産にシフトしています。
戦後の 1948 年には、ついに(?)一世を風靡した「あの」テイル・フィンを採用し、その衝撃はアメリカの自動車産業全体に波及しました。
1950 年代末には Eldorado Brougham などが「ステイタスを象徴するもの」として社会的な意味付けがなされ始めます。
1967 年にはアメリカ車としてはマイノリティと言える前輪駆動を採用するなど、意外と(?)先進的なアプローチも目立ちますが、この Jerry McCain が歌っている Cadillac DeVille の方は本来エントリー・モデルとしてスタートした Calais と、フラッグ・シップたる Eldorado の中間的モデルとして 1949 年に Coupe DeVille としてスタートし、1956 年には Sedan Deville も追加され、結局、Cadillac のシリーズ中、最多販売車種となっていきます。
このアルバム Good Stuff のライナーにはオリジナル・シングルのジャケットの画像も収録されていますが、それがホントに 1970 モデルなのかどうかは判りませんでした。


乗員のためのキャビンを確保したら、その前後に、構造的な強度上、可能な限り長い車体をくっつけ、必然的に増加する車重をむりやり引っ張るために、大排気量のエンジンを搭載する。そして中でも、ソフト・トップ(つまり幌でげす)のコンヴァーティブルは、そんな御大層なクルマを「遊び車」として使ってる「どう?オレってスゴいだろ?」っちゅう、さらに上を行くオンナたらし⋯うっぷす、プ、プレイボーイの証だったワケです。
これはアメリカ文化の中で、一部の Hipster(それも黒人の、ね)たちに受け継がれ、今でも、ピンクのキャディラックの真っ白な幌を降ろし、得意満面で乗りまわしてる、それこそ Upstart が存在してるそうですから、ある意味「定着している」と言ってよいのかもしれません。そんなワケで、売れ始めたブルースマンあたりにしてみたら、やっぱキャディラックで乗りつけて、ナンパしてえなあウッヒッヒ、なんてゆー夢(?)も生まれてくるのでしょう。

Carey Bell の Richman's Woman でも、せっかく彼女にキャディラックを買ってやったのに(それも必死こいて、ひとの二倍働きづめで作った金でやっとだぜ)、それをカルマン・ギア(ドイツ製のワーゲンを改造したよなクーペ・スタイルの小型車。キャディラックと比べるとオモチャみたいに見える。ま、セルシオとダイハツ・コパンくらいのカンケーね)みたいに扱いくさる⋯なんてボヤいてましたが、そのくらい、アメリカ車の頂点としての存在なのでございますよ。

さて、しかるにこの Welfare Cadillac Blues、困ったことにその語り部分、必死に聞き取りを試みたのですが、ハッキリ言って「お手上げ」でございます。
なにやら、どれ、ワシの人生でも語ろうかいのう・・・ワシゃケツにフィンをおったてた流線型のキャディラックを持っちょった・・・ヒッヒッヒ・・・なんてのがところどころ出てくるんですが、訛りプラスしっかりかかったリヴァーブのおかげで、殆ど聴取不能でございました。面目ない。
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